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当たり前になった瞬間、感謝は消える―ありがとうの反対は?


音と記憶の間に― ひとりごとの記録 38



ありがとうの反対語はなんですか?


こう聞かれて、すぐに答えられる人はあまりいない。
たいていの人は一瞬考え、「え?」という顔をする。

普段、何気なく使っている言葉ほど、いざ正体を問われると口ごもる。

謝ることの反対だろうか。
無関心だろうか。
それとも、少し感じの悪い態度だろうか。
どれも候補にはなるが、どうも決定打ではない。

日本語の「ありがとう」は、「有り難い」から来ている。
有ることが難しい。

つまり、本来なら起きない。
起こること自体が、ひどく難しい出来事が、いま起きている。

その事実に、あとから気づいて感謝する。
それが「ありがとう」だ。

そう考えると一つの言葉が浮かぶ。

「当たり前」。


英語の「Thank you」 は、
もともと think と同じ語源を持つ言葉だという。
相手の行為を心に留める、という感覚だ。

中国語の「謝謝(シェイシェイ)」の「謝」は、
もともとは身を引くという意味を持つ。
礼としての、身の処し方である。

どちらも、なるほど分かりやすい。
誰が、何を、してくれたのか。
感謝の矢印は、はっきりと相手に向いている。

けれど日本語の「ありがとう」だけは、少し話が違う。

日本語は、誰が何をしたかよりも、
「それが起きた」という事実そのものを見つめる。

誰かが、ほんの一瞬、こちらの事を思ってくれた。
その出来事に、あとから気付き、小さく驚く。
その驚きが、感謝になる。

当たり前。
あるのが当たり前。
続くのが当たり前。
してもらって当たり前。

そう思った瞬間、「有り難さ」は音もなく消える。

感謝が消えると、
代わりに不満が顔を出す。
世界が少し意地悪に見え始める。

辞書で調べても「ありがとう」の反対語は明記されていない。

けれど感覚として、その反対側にあるものは、
「当たり前」だ。

「ありがとう」とは、
世界に向かって「これは当然ではありません」とつぶやく言葉だ。

こういう感覚が、
言葉より先に残っていればいい。



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もし、この感覚に少しでも引っかかるものがあったら。


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この文章の背景にある、仕事と記憶の出発点については、
こちらにまとめています。


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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。