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弦を緩めると、ハワイの風が吹いた──Jim “Kimo” Westとスラックキー・ギター


記憶の針を落とす Vol.42


冷房の風と、四本の弦


真夏の夜、冷房のきいた部屋で、KoAlohaのウクレレを弾いている。
ハワイから持ち帰った1本だ。

窓の外には、昼間の熱を抱えたままの東京がある。
夜になっても、ベランダの手すりや建物の壁から、まだ熱が立ち上がっていた。窓を閉めた部屋の中は静かだ。

ウクレレの四本の弦を、親指の腹で軽く撫でる。

コロン。

もう一度、コードを変えて鳴らす。

コロコロン。

小さな木の箱から、丸い音が転がり出す。ギターのような厚みはなく、低音もほとんど響かない。けれど、足りないとは感じない。

弦を強く鳴らしても、ウクレレはそれほど大声を出さない。少し騒がしくなったと思っても、すぐに機嫌を直し、また軽い音へ戻っていく。その素直さが心地よかった。

ウクレレは、ギターを弾いてきた人間には入りやすい楽器だ。
弦は二本少なく、ネックも短い。音の並びも同じため、ギターで覚えた指の感覚をそのまま移しやすい。

ピアノとピアニカの関係に、少し似ている。

ただし、ギターは弦が上に行くほど低い音になるが、ウクレレの一番上の弦は通常、低い音ではなく一オクターブ高いGに合わせる。この「ハイG」が、あのコロコロと弾むような響きを生んでいる。

私はいくつかのコードを繰り返しながら、すっかり満足していた。

音楽として何かを完成させているわけではない。ただ、C、F、Gとコードを移り、気まぐれに指を動かしているだけだ。

それでもウクレレの音には、弾いている人間を少しだけ上機嫌にする力がある。


山下達郎の音楽を通して、私は日本にいながら夏とハワイの風景を覚えた。
けれど、ハワイの音楽は、最初から南国のイメージとして存在していたわけではない。


小さな楽器が海を渡ってきた


ウクレレは、ハワイで太古から鳴っていた楽器ではなかった。

十九世紀の終わり、ポルトガル領マデイラ島からハワイへ渡った移民たちが、小型の弦楽器を持ち込んだ。マシェーテやブラギーニャなどと呼ばれていた楽器が、ハワイの木や歌と出会い、やがてウクレレへ姿を変えていった。

外から来た楽器が、その土地の象徴になった。

これはウクレレだけの話ではない。ハワイ音楽の歴史をたどると、同じようなことが何度も起きている。

ウクレレがハワイへ渡るより半世紀ほど前、ギターが海を渡っていた。

十八世紀末、イギリス海軍のジョージ・バンクーバーがカメハメハ一世へ牛を贈った。その牛は、天敵のいない島で野生化し、農地を荒らすほど増えてしまう。

そこで1830年代、カメハメハ三世はメキシコ領カリフォルニアからカウボーイたちを招き、乗馬や投げ縄、牛の追い方を学ばせた。ハワイでは、こうした人たちを「パニオロ」と呼ぶようになる。

彼らが島へ持ち込んだものの中に、ギターがあった。昼間は馬に乗って牛を追い、仕事を終えると、宿舎や焚き火のそばで故郷の歌を弾いたのだろう。ハワイの人々は、牧畜の技術とともに、ギターの構え方や弦の鳴らし方も覚えていった。

やがてカウボーイたちの多くはカリフォルニアへ戻ったが、ギターと、それを弾く習慣は島に残った。

しかし、カウボーイたちはギターの弾き方は教えたものの、調弦の方法までは詳しく伝えていなかった。そのため、彼らが去ったあと、ハワイの人々は残されたギターを前に、自分たちの耳を頼りに弦を合わせたという。

どの弦を、どの高さにすれば、自分たちの歌が気持ちよく響くのか。

調弦方法を知らない彼らは、ペグを少しずつ回しながら音を探した。ある弦を下げ、隣の弦を鳴らし、違うと思えばまた動かす。

そうした試行錯誤の末に、左手でどこも押さえなくても和音が鳴る組み合わせへたどり着いていく。

歌う人の声の高さに合わせれば、さらに弦の音程は変わる。家族や土地によって違う調弦が生まれ、それぞれの響きが口伝で受け継がれていった。

もっとも広く使われるのが、低い弦からD–G–D–G–B–Dに合わせる「タロ・パッチ・チューニング」だ。タロ・パッチとは、タロイモ畑のこと。おそらくタロイモ畑での農作業の合間に生まれた調弦なのだろう。

開放弦を鳴らすだけで、明るく開かれたGの和音が響く。

「正しい調弦」がわからなかったから、仕方なく弦を緩めただけではなかった。

始まりは手探りだったとしても、ハワイの人々は自分たちの耳と感覚で、ギターを自分たちの音楽へ作り替えていった。

スラック=緩める。つまりスラックキーとは、文字どおり弦を緩めた調弦を指す。ハワイ語では、キー・ホアルと呼ばれる。

弦を緩めただけで、ギターの中に別の風景が生まれた。

音の隙間を、風が通っていく。

音と音の間に、風が通る


ジム・キモ・ウエストのアルバム『Slack Key West』に針を落とす。

Jim “Kimo” West『Slack Key West』(2005)
彼は、後に2020年発表のアルバム 『More Guitar Stories』で、
2021年のグラミー賞「最優秀ニューエイジ・アルバム」を受賞する。

ハワイで過ごした時間から生まれたオリジナル曲を中心に、古くから親しまれてきた曲も収められている。ここで鳴っているのは、観光写真のようなハワイではない。彼が島で見た海や山、人との記憶を、ギター一本へ移し替えた音楽だ。

最初に聞こえてくるのは、旋律というより空気だった。

親指が低い弦をゆっくりと進み、その上へ高音が一粒ずつ置かれていく。低音と旋律はぴったり重ならず、それぞれが少し離れた場所を歩いている。

その隙間を、風が通る。

「My Hawaiian Heart」は、甘く穏やかな曲だが、ただ明るいだけではない。開放弦から広がる和音には、午後の光が少しずつ傾き始めるような翳りがある。旋律は感情を強く押し出さず、遠くにあるものを静かに思い出しているように聞こえる。

一方、「Maria Elena」は、母親が好きだった曲を誕生日のために録音したものだという。ハワイで生まれた調弦を使いながら、そこに置かれる記憶は演奏者自身のものになる。

ジム・キモ・ウエストは、ハワイに生まれた演奏家ではない。外から島を訪れ、その音楽に惹かれ、長い時間をかけて自分の指へなじませていった。

だから彼のスラックキーには、伝統をそのまま再現するだけではない響きがある。

ロックギタリストとして身につけた構成感や、旋律をくっきり立たせる感覚も残っている。それでも技巧は前へ出ず、音楽の奥へ引いている。

『Slack Key West』に流れているのは、南国の心地よさだけではない。

速く弾ける人が、あえて急がない。強く鳴らせる人が、弦に触れる力を緩める。一つの音が消える前に次の音を重ねるのではなく、消えていく時間まで演奏の中に含めている。

ギターの余韻が部屋の静けさへ戻りかけた瞬間、次の音が落ちてくる。

水面に小石を一つずつ投げているようにも聞こえる。波紋が消えかけたところへ、また次の波紋が重なる。

音数は少ない。けれど、何も起きていない時間はない。同じように弦を緩めても、いつも穏やかな風景が生まれるとは限らない。


弦を緩めた二つの音楽


ギターの弦を緩め、開放弦で和音を作る奏法は、ブルースにもある。

エルモア・ジェイムスが多用したオープンDや、マディ・ウォーターズが使ったオープンG。

デルタ・ブルースのギタリストたちは、開放調弦を使い、ボトルネックや金属のスライドを弦の上に滑らせた。

仕組みはスラックキーとよく似ている。

ところが、聞こえてくる風景はまるで違う。ブルースは金属やガラスのスライドバーを弦に這わせ、音程と音程の間を擦りながらつないでいく。スラックキーは指の腹で弦をはじき、音と音の間に沈黙を残したまま、次の音へ渡す。

デルタの綿花畑とハワイのタロイモ畑は、どちらも強い日差しの下にある。それでも、そこで鳴るギターは同じ場所へは向かわない。
一方は音を外へ押し出し、もう一方は静かな場所へそっと戻していく。

ブルースのオープンチューニングには、泥の匂いを感じる。土を引っかく爪の痛み、踏みしめる足音。スライドが弦を擦る摩擦音の向こうで、ギターが人のようにうめく。

スラックキーにも、その土地を生きた人たちの歴史が染み込んでいる。開放弦の響きを活かしながら、その音が向かう先は違う。

デルタのギタリストが弦を絞り上げ、スライドバーで傷口を開くように痛みを叫ぶのだとすれば、スラックキーは文字通り『弦を緩める(Slack)』ことで、張詰めた感情の糸を解いていく。

泥と湿気の中で生まれたブルースが『地上に自分を繋ぎ止めるための重い音』なら、風と光の中で育まれたスラックキーは『空気の中に自分を溶かしていくための軽やかな音』だ。

楽器は、弾く人が暮らす土地の言葉を覚える。
ギターという木の箱に、人の声や湿度、光の強さまで染み込んでいく。


ロックギタリストが見つけた静けさ


ジム・キモ・ウエストは、長年“Weird Al” Yankovicのバンドを支えてきたギタリストだった。大きな会場でエレクトリックギターを鳴らし、正確さと幅広い音楽性を求められてきた。

1985年、彼は友人に誘われ、初めてハワイのマウイ島ハナを訪れた。
滞在先の家族の家では、毎晩のようにスラックキーのレコードが流れていた。

ギャビー・パヒヌイやソニー・チリングワース、アッタ・アイザックス……。

それらは、大音量のステージで正確さを求められる仕事とは反対にある、家の中でひっそり鳴る音楽だった。

大勢へ向けて放たれる音と、家の中で静かに受け継がれてきた音。その距離は遠い。

ギターを弾く人間は、音を出すことを覚えたあと、少しずつ音を減らすことを覚える。

速く弾く方法を身につけたあとで、急がずに弾く難しさを知る。そしてある日、強い音を出せるようになったはずの指が、弦に触れるか触れないかのところで、いちばん遠くまで音を響かせていることに気づく。

ジム・キモ・ウエストのギターには、長くギターを弾いてきた人間が、ようやく見つけた静けさがある。


ハワイまでの距離


ウクレレをスタンドへ置いて、ギターを手に取る。
チューナーを見ながら、六本のうち四本の弦を緩めていく。

ペグを回すと、張り詰めていた音が少しずつ下がっていく。弦の張りはやわらかくなり、指先へ返ってくる感触も軽くなる。

普段の調弦では少し硬く感じるギターが、急に機嫌を直したように思えた。全ての弦を合わせ、左手でどこも押さえずに鳴らす。

ジャラーン。

一つの和音が、そのまま部屋に広がった。
何も押さえていないのに、すでに音楽の入口に立っている。

何だ、簡単じゃないか。そう思ったのも一瞬のことだった。

親指で低音を一定に刻み、その上へ旋律を乗せようとすると、すぐに指がもつれる。低音を気にすると、高音が止まる。高音を追うと、親指が迷子になる。

ジム・キモ・ウエストの演奏では、二つの流れが自然に並んでいた。私が弾くと、低音と高音が同じ狭い入口でぶつかり、どちらも先へ進めない。

風を吹かせるつもりが、部屋の中で荷物を運んでいるような音になる。
それでも、何度か同じ形を繰り返した。

親指で低音を鳴らし、少し遅れて高い弦をつまむ。音を急いでつながず、消えていくところまで待ってから、もう一度低音を鳴らす。

そのとき、一瞬だけ、音と音の間に隙間が生まれた。

そこへ、冷房の風が通った。

ハワイの風とは、まだ呼べない。
東京の熱帯夜を、エアコンで冷やしただけの風だ。

けれど、その一瞬、緩めた弦が、いつものギターとは違う声で鳴った。
私は指の形を崩さないようにしながら、もう一度、親指を動かした。

ハワイまでは、まだ遠い。
けれど、この部屋には今、たしかにハワイの風が吹いている。








🎧 ハワイの風を感じる音楽

🎧ジム・キモ・ウエストがグラミー賞を受賞したアルバム。

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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。