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AI時代に必要な「わかっている」とは?具体⇔抽象を行き来するとはどういうことか

ここ最近というか、AIを本格的に使って仕事をし始めてからずっと、頭の片隅でボヤを起こしているのが

AI時代、全部を自分でできる必要はないというけれど、「わかっている」のレベルが低いと効率化も改革もたかが知れているのでは?

ということ。

「基礎力」
「具体と抽象」
「体力」
がポイントだろうとは感じているものの、どうももやもやするので、4連休ついでに思うところを文字にしておこうと思う。

(「思う」とかAIっぽいと思うのですが、私の地の文章です…。先日も社長に「ここの文章AIっぽい」と言われたんですが、地の文章でした…。AIとしか話さない毎日が続いて、どうやら脳が汚染されているらしいんです。これはこれとして対策を立てないと…)

数学の公式を導くところからやる人

少し、私の思い出話に付き合ってください。

あれは私の中学校時代、数学の教師が言ったんですよね。

「参考と書いてある部分の公式の導き出し方。参考だからテストに出すことはしないが、これは自分で導けるようになっておいてほしい。
教科書を見なくても、自力で導けるようになるのを目標にしてほしい。それをやることで実力がつく」

なんの公式だったか覚えていないけど、当時の私はまじめにちゃんとやった。やったのだけど、参考と書かれた部分をしっかり読んでしまったがために公式の導き方をナチュラルに暗記。
暗記してしまっているので、実力アップにはつながらなかった…。

数学の解答集を見て解けた気になる人

暗記してしまう。といえば、数学のわからなかった問題にも困った記憶がある。
わからない問題も間違った問題も解答集を見れば正解と解き方が付いているのだけど、見ると暗記してしまう。

暗記するから解ける。暗記のおかげで解けているのだけど、「もう、解きたくない」が勝って解けたことにしてしまう。数値や文言が少し変わっただけの問題には対応できるから、いいことにしてしまう。

でも、当然のことながら、本質的に同じ構造を持つ別の問題には手が止まる。基礎力も応用力もないのである。

公式を暗記しているだけの状態からいつまでも脱出できない。ピタッとはまる問題とちょっとひねった問題に対応はできても、「そもそも」がわかっていないから。

書いていてだいぶん情けない気持ちになってきた。何をやっているのか昔の私よ。

(結局、苦手な分野と得意な(好きな)分野がまだら模様なまま、文理系になったわけだけれど…。もっとどうにかなったんじゃなかろうか…)

自分より圧倒的に優秀な部下を持つ上長に思いをはせる

なんで昔話をしたかというと「公式(解答)を暗記しただけ」「そもそもがわかっていない」人は、応用もできないというのは仕事でもそうだなと思ったから。

たとえば、組織には自分より技術力のある部下を持つ上長が必ずいると思うのですよね。

コードを書かせれば部下の方が速い。
実装の引き出しも部下の方が多い。
みたいな。

そんなときの上長は、何をもって上長たりうるだろうかと思ったのです。
だってAIは、典型的な「使う人間よりも優秀な」部下でしょう?

上長が丸暗記型の応用力のない人だったら悲惨だな(部下がすぐに転職しちゃいそう)などと…。

上長は常に部下より優秀でなければいけないのか

優秀であることに越したことはないのかもしれないですが…。(かもですね)

上長が部下と同じ技術力を持つ必要はないんじゃないかなぁと思うのです。
上に立つ人間に求められることと、下として優秀な人間に求められることは違って当然なわけで。

上長に必要なのは、部下のアウトプットを見て
「これは筋が通っているか」
「なぜその判断に至ったか」
を問い返せる解像度。
実装を再現する力ではなく、判断を再現する力かなと。

優秀な気になっている人が陥る罠が「もっともらしさ」のスルー

さっきの数学の問題解ける気になっている人状態になっている人は、この「判断を再現する力」を持った気になっているだけなんだろうと考えたのです。

そして、そういう人は、部下に言いくるめられ、表面的に整っただけの成果物をそのまま通し、問題がある場所をスルーしてしまう。

評価軸がないってそういうことですからね。

もっともらしさと正しさを区別できなくなった瞬間、評価者としての機能を期待されていた上長は役割を失うのかなと。

対AIとの仕事にも同じ境界線がある

AIによる効率化がどれだけ進んでも、本人がその仕事の中身を理解していなければ、効率化には限界がある。

だからといって、「プログラムのすべてを理解していなければAIを使う資格がない」といわれてしまったら、誰も使えないし。

境界線は「実装できるか」ではなく「もっともらしさと正しさを区別できるか」なんだろうと。

AIはアウトプットを高速に生成する装置。
それが良い構造から生まれているかどうかを判定するのは、常に人間。
(なんだけど、この判断軸をどこまでAIに渡せるかっていうのが最近の課題である)

人間に問われる力の正体は、具体的なアウトプットを見て、それがどの型に属していて、その型がなぜ妥当なのかという構造まで遡って検証できる力。

実装力が「構造から具体を生成する力」
評価力は「具体から構造を逆算する力」

両者はベクトルが逆を向いていて、AI時代に磨くべきなのは前者ではなく後者。

(ここまで書いて「そんなもの4連休に悩まなくてもわかってるんだわ」と思ったのですが…)

構造を持つには、一度は自分の足で道を通るしかない

「学問に王道なし」と頭に響きましたよね。(たしかこの金言も数学の課題にお悩みの王子に放った一言だったような)

この評価力を身につけるには、基礎力と一度自分の手で道を通った経験が要るんですよね。

遠回りなのだわー!
と言ってはいけない。ここをさぼるとろくな目に遭わないことは受験戦争で身に染みた。

そんなわけで、最近、基礎を体系立てて説明する本と、誰かの経験談や自伝的な本を並行して読むことにしています。

「読むことにしているなら、この文章書く必要なかったでしょ」と思った方もいらっしゃるかと思うのですが…。
心の中でもやもやしながら読んでいると「やっぱり考えを外に出しておこう」って気持ちになるもんなんですよ。

基礎本は抽象・経験談は具体

基礎本は構造そのものを体系的に叩き込む役割。
経験談は生々しいサンプルを大量に浴びる役割。

構造だけを学んでも血肉にならないんですよね。できる人もいるんですけど、私はそっちの立ち位置にいない。

経験談を読んで、自分の状況に転用できる抽象度まで引き上げる作業をするためにも基礎本が絶対に必要。

もちろん、手も動かす。

時間はかかる…。

私が最近読んでいる本

次に似たようなことを考えたときに、「あ。読み終わってない」ならないために、書いておきます(笑)

※各本のリンクはAmazonのアフィリエイトを利用していますよ。

基礎本として

手を動かす実践書として

基礎と抽象のハイブリッドとして

ひと時の効率化に喜ぶだけの人になりたくない

解答集を見て解ける人と公式を導き出せる人の差は、AI時代の実装力と評価力の差に、そのまま重なるんでしょう…(たぶん)

技術で部下やAIに負けることは何の問題でもないと思うのです。勝てっこないし。

でも、具体から構造を逆算する力だけは手放しちゃいけないと思うのです。
これを手放した瞬間、私はその場から静かに退場することになるはずなので。

残念なことに、というか知っていたけど、その力は一朝一夕には身につかないので、効率化の先の時間を使って、地道に自分をいじめるしかないんだと思うのです。

周りが効率化している中、ゆっくり自分で手を動かす時間は、何とももどかしく焦燥感にかられるけれど、こればかりは「忍耐」と「努力は裏切らないはずだ」の信念にたよるしかないのかなと感じています。

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