チャカ・カーン(フィールドノーツ2025Sep26)

"I'm Every Human who Embodies All Genders"

というスラムポエムを、noteのプロフィールを作ったときに書いた。もちろん、"I'm Every Woman"のもじり。

ティーンの頃、一番好きな女性アーティストは、チャカ・カーンだった。

プリンスの曲のカバーで有名だったり、『プリシラ』で、ドラァグたちが彼女の曲に合わせてパフォーマンスしていたり、今思うと、結構、感慨深い。

前に、ジョージ・マイケルがゲイなのを知らず、歌詞の意味もよく理解しないまま、当時オンタイムで聞いていたフリーダムを熱唱していたし、強烈に彼の外見に憧れていた、という自伝的な文章もnoteに書いたんだけれど、何だか、いろいろなことが不思議だ。趣味が一貫している、というか、何と言うか。

当時の私は一体、何を考えていたんだろうか、と言ったら、そうしたら、シンクロさんも、『どんな時も』を熱唱していた自分は、当時一体何を考えていたんだろうか、と言っていて、それについても、同じ文章に書いておいたはずなんだけれど、無意識、というのは、本当に不思議だ。

男性化すると、本当に良かったと、涙ぐむような、ホッとするような、何とも言えない気持ちになり、それを、ジェンダーディスフォリアだと言われるのだけれど、自分で選んで、トランジションしたのだけれど、自分で選んだにしても、あまりにあまり。

一方、女性を好きになる気持ちと、男性を好きになる気持ちは、あまり同じではないけれど、どちらも、それなりに、好きになると思う。

好みの男性を見つけると、チンパンジーのように首にぶら下がって、首筋に噛みつきたいな、と思う。

女性に対しては、もっと強烈な性欲で、もっとコントロール不可能な複雑な気持ちになるけれど、感情的にジェットコースターに乗せられてしまうから、男性の方が楽かも。

しかし、私の選ぶ男性は、基本的にトキシックなので、もう男なんて嫌だ、と毎回思い、次に女性にうっかり恋して、ジェットコースターに乗せられて、女性はもうこりごりだ、と思う。その繰り返し。

なんか、分かるわと、笑われるんだけれど、アタシの恋は、これからどう展開されるのかしら。。。

あなたのためなら、どんな女にもなれます、みたいな融通は、まったく利かない。予定なんかは、極めてイージーゴーイングに合わせられるんだけれど。

まったく持って、やれやれであるが、I maybe embody all genders. 的な何か、ではある。一般的にはね。

というのが、ジェンダーとセクシュアリティの一般的説明の建前を、もう一度問い直し、なぜその説明が必要とされたかを問い直す、歴史的に繰り返されている取り組みの一つ、です。

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