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AIを活用しているつもりで自分の不要さを証明する人たち

AIを活用するのは大いに結構なことである。

便利なものを使わない手はない。
人類はずっとそうしてきた。

AIを使うなと言いたいのではない。
電卓を使い、エクセルを使い、検索エンジンを使い、今はAIを使う。

それ自体は何もおかしくない。

むしろ使えばいい。
自分も使わないわけではないし、便利だと思っている。

だが、安易に職場でAI活用を自慢する人に疑問を抱くことがある。
本人も、周囲も、何を喜んでいるのかよくわかっていないように見える。

AIで調べました。
AIでまとめました。
AIで作りました。
AIにやらせています。

そんな話を誇らしげに語り、報告してくる。
そして回りも反射的に、すごいすごいと沸いている。

なるほど、なるほど。
なにかおめでたいことがあったのかはわからないが、楽しそうだ。

つまるところ、「その人の仕事はAIができる」ということらしい。

なかなかに興味深い報告である。
本人は仕事をした報告をしているつもりなのだろうが、実際には少し違う。

自分の仕事がAIで代替可能であることを報告していることと変わらない。

普通なら、代替ができるという事実は隠したがるものである。

自分がいなくても回る組織です。
自分がいなくてもできる仕事です。
自分がいなくても完結されます。

大抵の場合で事実だが、それを大声で宣伝する人はあまりいない。

少なくとも正気なら。
少なくとも、自分の席を残したいのであれば。

ところが、AIの話になると不思議なことが起きる。

自ら嬉しそうに説明し始める。
道具の自慢を、まるで自分の能力や価値を語っているかのように始める。

だが、少し冷静になった方がいい。
それは本当に能力の話なのだろうか。

自分がいることの価値を証明する説明なのだろうか。

やたらに自分の仕事をAIにやらせていると自慢しているが、すごいと褒めてくれる人は同じ穴の狢ばかりではないだろうか。

AIにやらせられる仕事をしている人は、AIにやらせられる仕事をしている人を褒める。

だから話が噛み合う。
自分の仕事や自分の価値に疑いの目を持っていないからだ。

羊が羊を褒めているだけなので、誰も狼の視点を持ち込まない。

もしその人の仕事の大半をAIが肩代わりできるのであれば、

普通に考えれば、

「すごいですね」ではなく、「じゃもうあなたはいらなくない?」になる。

拍手ではない。
整理の対象である。

セルフ戦力外通告をしてくれるなんて、首脳陣も笑うより驚くだろう。

残酷な話だが、稚拙なAI活用自慢というのは、

自分の価値を証明するどころか、「自分の不要さを説明するプレゼン」になっている場合が少なくない。

そして、本人はその違いに気がついていないのも芸術点が高い。

思った以上に薄い仕事をしている。
その自覚だけが驚くほどない。

その人じゃなければいけないことが仕事になっていない。
その人が誰よりもうまくできる仕事というわけでもない。

言われたことだけをこれまでやっているような人が、これからは言われたことを自分でやらずにAIに渡したことを自慢する。

それで仕事が成立しているのは楽で良さそうだが、少し考えた方がいい。

効率化したともいえない。

AIで済むような仕事をこれまでしていて、AIで済む程度の役割だったということでしかない。

見事に、自らの「不要さ」と「価値の低さ」を証明している。

いや、自ら暴露しているとすら言える。

自分の仕事は「AI」にやらせています。

その嬉しげな報告と浅はかな賞賛に酔うのは勝手にすればいい。
だが、その話を聞いて感心する人がいるのも今のうちかもしれない。

まだバレていないだけかもしれない。

そろそろ、こう捉える人も出てくる。

「なるほど、その程度の仕事をしていたのか」と。

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