スキルを得る気がないマーケターたちが得る唯一のスキル
マーケティング部に所属すると、自分を含めていろいろなマーケターという生き物を目にする。
ある程度、観察していると不思議なことに気がつく。
ほとんどの人が、スキルを得ようともしなければ、試そうともしていない。
マーケターなどという仕事は、本来かなり残酷な仕事のはずだ。
知識がなければ見抜けない。
スキルがなければ改善できない。
結果が出なければ意味がない。
つまり、本来は個人の武器がなければ成立しない仕事である。
少なくとも、自分はそう思っていた。
だが現実には、なぜかそれで仕事もマーケターも成立している。
スキルのかなり手前で満足している
多くのマーケターがやっていることは、スキルの獲得ではなく、
その会社での業務の段取りを覚えることだったりする。
この管理画面ではここを押す、会議ではこう話す。
レポートはこう作る、上司にはこう返す。
すると不思議なほど簡単に、仕事している風のマーケターが完成する。
現代社会はかなり優しい。
Slackが動いていて、会議が終わり、進行表が埋まっていれば、
とりあえず仕事として成立するからだ。
わかりやすくイベント担当を例として扱ってみよう。
イベントを探す、申し込む、社内調整をする。
制作会社とやり取りする、備品を手配する、当日を迎える。
撤収する、軽く振り返る。
確かに骨が折れる作業ではある。
それゆえ、これを何回か繰り返すだけで、できてる感を出せるようになる。
段取りに慣れるからだ。
どこでメールを送るのか、誰に確認するのか。
いつ発注するのか、どう進行するのか。
すると、「回せる人」になる。
だが、多くの場合はそこで止まる。
改善や成果の分析、費用対効果の検証、
次回にもっと成果を出すべきにはどうすればいいのか。
本来のマーケティングの話になる前に、「でも大変でしたよね」で空気が締められ、そのまま「次も頑張ろう」でまた回る。
なぜなら、その辺りからは個人の性能差が露骨に出始めるからだ。
段取りだけなら、やっていけばある程度は誰でもできようになる。
だが、成果を改善し始めようとすると、
観察力、分析力、言語化能力、仮説構築、判断力、実行力。
こういう誤魔化しにくいものが必要になる。
だから多くの組織では、
改善よりも「問題なく繰り返せること」の方が重要視される。
今回も無事終わりました。
特にトラブルなく終わりました。
予定通りに進行できました。
実に美しい。
誰も傷つかない、誰も責任を負わない。
そして、何も進化しない。
成果はよく分からないが、とにかく平和である。
そして気づけば、成功させた人ではなく、無事終わらせた人が量産される。
これでは、スキルまでたどり着けないのも不思議ではない。
スキルを得ている雰囲気で満足している
もちろん、彼らは別に何も学んでいないわけではない。
本も読むし、ネット記事も見る。
セミナーにも参加すれば、YouTubeも倍速で見て、AIにも聞く。
現代のマーケターは簡単にできる情報収集に忙しい。
昔は情報や知識にアクセスするだけでも大変だった。
本を探し、人に会い、失敗談を聞き、実践する。
なければ、自分で考えて実践して、また考える。
いろいろと時間をかけて理解していく必要があった。
だが今は違う。
SNSを開けば、「CVR改善5選」「売上が伸びる導線設計」「最新AI活用」
「成果が出るマーケ戦略」みたいな情報が、呼吸をするように流れてくる。
何もしなくても、知ってる感だけはどんどん育つ。
しかもマーケティング界隈は、この学んでる空気を作るのが非常にうまい。
流行りの横文字を共有する。
セミナー内容を話す。
最新事例を貼る。
AIのアウトプットを見せ合う。
すると周囲も、「勉強になります!」「さすがですね!」などと言う。
もちろん、誰も試していない。
だが、空気は非常に前向きである。
実に素晴らしい。
筋トレ動画を見続けてるだけで、筋肉はついていない人たちの会合に近い。
そして不思議なことに、その知識は仕事でほとんど使われない。
なぜなら、実際の仕事は通常業務の段取りを回すことだからだ。
ここに、「じゃあ実際に試してみましょう」「成果を検証しましょう」
「改善しましょう」を入れ始めると、急に空気が悪くなる。
なぜそんなことを?
今まで問題なかったですよね?
リスクありませんか?
マーケティングの仕事なのに、試すことが微妙に嫌われている。
なぜなら試した瞬間、現実が返ってくるからだ。
その結果、常にアップデートされている気がする最新情報に詳しい通常業務担当者たちが、何もアップデートされない通常業務を回していくのである。
マーケティングらへんを回っているだけになる
ここまで来ると、もはやマーケティングをしているのではない。
マーケティングらへんを回っている。
SNSは投稿する、イベントもやる。
広告も出す、会議もする、レポートも作る。
遠目で見るとかなりマーケティングっぽい。
だが近づいて中身を見ると、驚くほど成果の話が出てこない。
なぜその施策を続けているのか。
本当に意味があるのか。
何が成果につながったのか。
逆に何が無駄だったのか。
こういう話をし始めると、急に空気が曇る。
「でも認知なので」
「ブランディングなので」
「長期施策なので」
「定性的には反応ありました」
マーケティング界には、
成果が見えなくなった時だけ現れる便利な精霊たちがいる。
本来、マーケティングとはかなり嫌な現実を見続ける仕事のはずだ。
だが現代では、現実より回っている感の方が重視される。
イベントは今年も開催された。
SNSも毎日更新された。
広告も止まっていない。
定例会も無事終了した。
何かが活動している感じはある。
水槽のブクブクぐらいには動いている。
ただ、それが売上や成果につながっているのかは、誰も深く触れない。
触れると空気が悪くなるからだ。
そして気づけば、
多くの人が「マーケティングをしている気」になっていく。
だが実際に得ているのは、
段取り
社内調整
無難な返答
この辺だけ、だったりする。
もちろん、社会人としては大切かもしれない。
だが、それをマーケティングスキルと呼び始めると、かなり危険だ。
さらに厄介なのは、回すこと自体が目的化し始めることだ。
マーケティング施策は、適切な効果や成立している条件があるから回すのであって、回すことそのものに意味はない。
だが現実には、「止めると業務がなくなる」「担当範囲が減る」
「存在意義が薄くなる」という大人の事情も混ざり始める。
すると施策は、不死身になる。
成果がなくても続く。
改善されなくても続く。
誰も見ていなくても続く。
もはやマーケティングというより、伝統芸能に近い。
よっ。
この惰性で回り続ける世界では、段取りを覚えるだけで十分になる。
そしてスキルを必要としない環境で、マーケティングをしているような錯覚だけが育っていく。
その場で回り続けるだけのスキルが身につく
こうして、彼らは「マーケティングをしている」と思いながら、
実際には、その場で回り続ける技術だけを磨いていく。
唯一、得たスキルと言ってもいいかもしれない。
もちろん、それも立派な能力ではある。
空気を読む、波風を立てない、去年と同じように進行する。
絶妙に責任を負わない、
成果の話になった瞬間だけ、急に長期的視点を語り始める。
かなり高度な社会適応能力である。
組織によっては、マーケティングスキルより高く評価されることすらある。
成果や現実をしっかり見る扱いにくい本物のマーケターより、
組織からすれば、何も考えずに回し続ける人は扱いやすいし安心感がある。
成果はよく分からなくても、動いている。
ハムスターの回し車のように。
そして本人たちも、自分は経験を積んでいると思っている。
成果を出す経験ではなく、その会社で問題なく生息し続ける経験だけを。
だから環境が変わった瞬間、急に何もできなくなる。
だが安心してほしい。
現代には、「マーケ経験○年」「プロジェクト推進経験あり」
「複数施策を担当」「チームマネジメント経験あり」など、
実態が曖昧でも何となく強そうに見える便利な言葉が大量にある。
マーケティングらへんを漂流していただけでも、何とかなるさ。
実に優しい世界である。
また、別の場所で、
お得意の「その場で回り続ける能力」を発揮していけばいい。
そのスキルだけには、長けているのだから。
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