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どうやら世間では誠実じゃない人を、「大人」と呼ぶらしい

最近、「それが大人だから」という言葉を聞くたびに、
大人ってそんなに嘘つきの代名詞みたいなものだったっけ、と思う。

表では、「尊敬しています!」
裏では、「あの人ほんと無理」

どうやら大人という生き物は、表情筋と本音が別々に動くらしい。

「すごーい!」と言いながら目は死んでいる。
「またご飯行きましょう!」と言いながら予定は空けない。

でも、そういう愚痴を言ったり聞いたりすると、

「社会ってそういうもんだから」
「大人だから仕方がないよね」

と言われたり、それが正解という扱いをされる。

そして、それを器用さとか社会性と呼ぶらしい。

もちろん、こういう大人な感じがゼロで生きていけるとは思っていない。

思ったことを全部そのまま口にする人を、誠実だとも思わない。
言わなくていいこともあるし、飲み込んだ方がいい場面もある。

でも、それと、「本音では嫌っている相手を表では持ち上げる」ことや、
「裏で切り刻みながら、表では仲良く笑う」ことは、少し違う気がする。

少なくとも自分は、それを大人の成熟とは呼びたくない。

しかも残念なのは、
そういう振る舞いに違和感を持っている人まで最後には、

「それが大人だからね」
「社会人なんてそんなもんだよ」

と着地してしまうことだ。

その言葉を聞くたびに、少しだけ寂しくなる。

本当は嫌だったんじゃないのかよ。
本当に傷ついていたんじゃないのかよ。

なのに最後は、自分の違和感ごと社会性という箱に押し込めて、蓋をする。
まるでそれが「大人のあるべき姿」とでも言いたいかのように。

この着地を示されたときに、つい考えてしまう。

じゃあ「自分に対してもそうなんだろうか」と。

本音を隠して、空気に合わせて、
その場にちょうどいい言葉を置いているだけなんだろうか、と。

今までの話もそういう感じだったのか、と。

もちろん、人間なんだから多少はあると思う。
でも、それが普通として扱われる関係なら、残念で悲しい。

そもそも自分は、裏表を使い分けてまで続けたい関係というものが、
あまりよく理解できない。

しかも、互いにその裏表が透けて見えているなら余計に。

もちろん、空気を読んで飲み込むことはある。
思ったことを全部そのまま投げるわけじゃない。

でも、思ってもいないことまで言いたいとは思わない。
嫌なら嫌な感じが出るし、好きならたぶん好きな感じも出ている。

喧嘩を売るなら、分かるように売る。
もしバレたら「そうですけど、じゃやりますか?」で別にいい。

逆に言えば、好きな人には、

「こいつ自分のこと好きなんだろうな」

も、普通にバレている。
おそらく無意識に漏れている。

20代前半のころバイト先で、なんとなく苦手な年上の男性がいた。

別に揉めたわけじゃない。
悪口を言ったこともない。
本当に、ただなんとなく苦手だった。

そしたらある日、その人に急に、

「KSMくん、僕のこと嫌いでしょ?」

と聞かれた。

どことなく試されている感じだった。

普通なら、「そんなことないですよー」と流す場面だったのかもしれない。

でも自分は、「えっ、バレました?鋭いですね!」と、そのまま返した。

すると、意外なことにその人はめちゃくちゃ笑っていた。
で、そのあと、なぜかその人を含めて何人かで飲みに行くことになった。

もちろん、これが正しいやり方だとは思わない。
場合によっては、面倒な揉め事に発展しててもおかしくはない。

もっと器用にやったほうが、社会では楽なことも多いってこともわかる。

でも、自分はたぶん裏で本音を隠しながら関係を維持するくらいなら、
多少不器用でも、見える形で関わっていたい。

もし、それを大人じゃないと言うなら、別に大人じゃなくて構わない。
少なくとも、自分の心にないことを相手に言って加点されたところでだ。

誠実さを削って「ダサい大人」になるぐらいなら、

いっそのことクソガキでいいかもしれない。


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