俺のオートバイ、彼女の喜界島
夜明け前、僕は旅に出た。青いカワサキの650ccに跨って。
オートバイの左右両側にサドルバッグ、リアシートにテント、寝袋とマットをゴムで括り付ける。目指すは喜界島。其処は鹿児島県の離島、隆起サンゴで出来た美しい島、鹿児島市から380キロ離れており、フェリーで11時間を要する。冬は寒い。出来れば外に出たくない。オートバイに乗るのも億劫だ。ただ、僕はキャンプがしたかった。あの自由な時間は何事にも変え難い。僕は冬にキャンプした経験は無い。冬用の寝袋は軽く数万円を超えるし、残念ながら僕は金銭を大量に所有しているタイプの人間ではない。
「奄美に行ってくる」
行きつけの珈琲店の店主は野営旅の達人で、夏と冬に店を十日間ほど閉めて、オートバイに荷物を積載して颯爽と旅立つ。僕は先日店主からバンドックのソロドーム、芸人ヒロシも愛用するソロテントを中古で譲って頂いた。この冬は暖かい奄美群島を周る積もりらしい。成る程。その手があったか。夏用の装備でキャンプが出来る。僕はネットで情報を収拾する。気候が温暖で観光客が少なく、完全に一人きりになれそうな島を探す。喜界島。リゾートホテルが無くて、飛行機で行くには奄美大島で乗り換えが必要で島まで更に1万円料金がプラス、フェリーは鹿児島港から11時間と時間が掛かりすぎるし、到着は早朝で出港は夜間、等の理由で来島者が少ないようだ。素晴らしい。いい島だ。行く。会社に有給届けを提出した。一週間、休む。喜界島に2泊3日滞在する予定で旅程を組んだ。初日は高速道路で一気に鹿児島まで行き、夕方17時30分出港の船に乗る。到着は明朝4時30分。そんな早朝に着いて一体何をすれば良いのかさっぱり分からないが、取り立ててなにもする必要はないし、どうとでもなるだろう。天気予報を何度確認しても、出発予定の日は九州全域で午前中に雨が降るらしい。直前まで確認しても予報は同じだった。実は恥ずかしながら僕はオートバイで高速道路を走った経験は無い。初高速が雨、は嫌だし怖い。何より寝袋やテント、マットが早速濡れてしまうじゃ無いか。ただ前日は晴れ予報。間が悪い。旅の始まりと終わりに1日ずつ予備日、準備の日と休息日を当てていたから、僕は1日前倒しで旅立つことにした。出発日の前日に慌てて、じゃらんで安宿を予約する。湯治長屋という宿泊所らしい。ポイントを使って一泊1900円。学生寮みたいな雰囲気で防音性は皆無、共同炊事場、共同トイレ、暖房設備は石油ストーブのみ、食事は併設の店舗で19時まで受け付け致します、ご理解頂ける方のみご予約して下さい。苦情言ったら殺します。そうした文言が記されていた。理解しました。殺さないで下さい。初日は下道で霧島温泉へ行き前泊、翌日に鹿児島港へ向かう。
5時46分。1月10日。月曜日。
携帯電話に表示されている。まだ外は暗かった。僕は、旅に出た。風が冷たかった。オートバイで直走り、まずはゆっくり霧島神宮でも参拝してみる事にする。初詣も行ってないし、僕は大晦日も元旦も仕事をしていたから。霧島温泉へ向う山道は殆ど車もオートバイもすれ違わない。ノンストレス。オートバイも快調そのもの。わざと高めのギアのまま坂をダッダダダダッ、アクセルワークだけでコーナーを曲がる。気持ち良い。温泉街を曲がり霧島神宮に近づくにつれて徐々に車の台数が増えて来る。日本人という民族はやはり神社に参拝したがる風習があるらしい。マッチングアプリに登録している女性会員の中には「宗教に熱心な方はNG!興味ありません。回れ右」等と高らかに宣言している人も割と見かけるけれど、彼女達もきっと正月は神社に参拝しているんだろう。おみくじ引いたり神様に祈ったりしているんだろうな。境内は老若男女で混みあい賑わっていた。石段をひいひい息を吐きながら上る。本殿の前に長蛇の行列。僕は直ぐに諦める。判断に要した時間は、2秒。神様に願いを祈る積りなんて更々無いんだ。売店(社務所?)で交通安全の御守りを千円で買うと足早に引き返す。神様にお祈りして願い事を頼んでも、神様は神様で常に超多忙、毎年毎年物凄い数の人間が多種多様な願いを頼んでおり、神様の方は今でも数百年前の願い事を処理している段階であり、今僕が祈ったとしてもその願いが受理されるのは下手すりゃ千年後、もう死んでるっつーの、みたいな訳なのだ。という説を敬愛する町田康先生は著書の中で書いておられた。参道の蒸氣屋で鹿児島銘菓かるかん、かすたどんを1個ずつ買った。駐車場にハーレーダヴィッドソン。宿泊地へ向かう。どうやら温泉の名前が変わったらしく、地図上の情報と異なり、一度通り過ぎてしまう。3桁の道から細い山道へ入る。くねくねのブラインドカーブが続く。大型の作業車が結構なスピードで突っ込んで来て、一瞬ヒヤリとする。普段対向車が来ない道なのだろうか。ガッタガタの白い混凝土の坂を登り切ると湯治長屋はあった。キャンプ場にバンガローも併設されているらしい。平屋、襖に簡易的な錠、共同玄関に靴箱、歩くと軋んでみしみし鳴る廊下、共同トイレ、共同炊事場、四畳半の部屋にテレビ、テーブル、暖房器具はガスストーブのみ。しゅぼぼぼぼぼ、ぼん。火がついて部屋にガスの独特の匂いが満ちる。暖かい。こんな辺鄙な所に泊まる人は少ないだろうと思いつつ風呂へ行くと、ぞろぞろ裸のおじさんが入ってくる。意外と人気なのかも知れない。風呂はサウナに露天風呂もあって立派だった。正面の部屋に泊まっていた、真冬なのに色黒で何故かTシャツ短パン姿のおじさんが共同炊事場で得体の知れない茶色いものを作っていた。シンクに米粒をぶち撒ける豪快な音が、僕の部屋にそのままの音量で響いた。風呂上がり、地場のスーパー、タイヨーで買った缶ビールを開け、ちびちび飲みながらテレビのニュースを眺める。鹿児島のニュースが流れる。奄美で感染者が急増。関係がある。僕と関係するニュースのようだ。奄美大島1市5市町村を対象に、県は独自の宣言を発令、爆発的に市中感染が広がっています、不要不急の来島はお控え下さい、明日より発令、だと。おいおい。僕は明日のフェリーを予約しているのだ。大丈夫なのか。出航するのか。慌てて携帯を弄り情報を求める。僕の目指す喜界島はどうやら対象地域からは外れているらしい。ただフェリーは奄美大島に寄港するから不安は残る。もう遅いから翌日にでも奄美海運に電話して運航状況を聞かんといけんなあ、面倒臭いなあ、多分大丈夫だろうけど、散り散りになる想いを抱えて眠った。ペラッペラの、布団で。
2日目。予報通り朝から雨が降っていた。午後からは曇りに変わる予報だから、僕は滞在時間の延長を申し出て、十時チェックアウトを1時間遅らせて貰う。延長料金550円を支払い、宿を発つ。空模様は怪しいが一旦、雨は上がったようだ。鹿児島市を目指し、山道を進む。途中で塩浸温泉龍馬公園、坂本龍馬お龍夫妻が新婚旅行で訪れ逗留したと伝えられる場所で休憩する。生憎の休園日だった。幟旗に「ここでしか買えない龍馬グッズ多数!」などと魅惑的な文言が並んでいる。龍馬。大河ドラマ龍馬伝に当時の僕は大ハマりしたものだ。仕事を辞めて、繋ぎのアルバイトで郊外の大型安物服屋、そのオープニングスタッフをしていた時期がある。服を掛けるラックや棚を組み立てたりトラックから搬入される商品を仕分けして広い店内の指定された場所に置いたり布団や毛布をいい感じに並べたりしていた。就職が決まっている大学生の兄ちゃんは僕に懐いたようで良く二人で駄弁っていた。兄ちゃんは今時の大学生そのもの、シュッとしたイケメンだった。或る時、二人でバッグヤードで棚に積まれたダンボールを開け服を仕分けていた。兄ちゃんは「ちょ、これみてくださいよ」と僕に透明フィルムに包まれた黒いTシャツを差し出した。胸の部分にローマ字で大きく斜めの書体で「RYOMA SAKAMOTO」肖像画も描かれている。「な、なんすか、これ」兄ちゃんは声が震えていた。「だ、ダサすぎでしょ。こんなん、誰が買うんすか。絶対売れないっすよ」堪え切れなくなったようで兄ちゃんは背を丸め床を転げ爆笑し始めた。仕事をしやがれ、馬鹿野郎。「俺、カネもらってもこんなクソだせえ服着ないっすよ」僕は数年前に龍馬伝が流行った、そのブームに乗じて作らせたんだろう、ブームが過ぎ去り大量に余った、それを店が買い叩いたんだろう、訳知り顔で解説するも「マジ、ダセー。なんやRYOMAって」兄ちゃんは全然聞いてなかった。僕は以前所有していた軽自動車のドア下に高知土産「RYOMA SAKAMOTO」と書かれたステッカーを貼っていた事は、無論黙っていた。
龍馬公園でセブンスターを一本吸いドカジャンのポケットから携帯を取り出す。着信が1件ある。奄美海運。予約していたフェリー会社からの着信だった。そういや電話する積もりで忘れていた。予約の最終確認だろうか。リダイヤル。鹿児島なまりの女性の声が聞こえる。
「本日、欠航が決まりました。その御連絡でした」
「け、欠航?」
僕は携帯を耳に強く押し当てながら、誰もいない公園で頓狂な声を出した。雲行きは益々怪しく今にも雨が降り出しそうな気配だった。
「往復でご予約されていますけど、どうされます?復路分もキャンセルしますか?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。もう今日は動かないって最終決定ですか」
「左様でございます」
「い、いや1週間有給出して予定作ってたんで。ちょっと狂って。欠航、ですか。まじっすか」
「海が荒れておりますもので。こればかりは。てへ」
てへ、って何だよと思いつつ、僕の頭はぐるぐる急激な速度で回転を始め、このまま鹿児島市へ行き高速に乗って引き返す、残りの休みは全部家で寝て過ごす、職場の人たちにフェリー欠航したんで家帰って寝てました、と報告する己を想像して、打ち消す。オートバイに積んだ荷物を思い出す。のこのこ帰れるものか。島には2泊3日で滞在予定だったからまだ1日猶予がある。
「明日は運航しますか?」
「ええ。運航予定で御座います」
「じゃあ明日、12日の夕方に出港して13日の朝に着いて帰りは当初の予定通り14日の船で帰って来れますよね」
「はい。そうですね。では、今日の予約をそのまま明日へ回しますね。予約番号はそのまま同じですので」
はあ。何とか最悪の事態は回避出来たようだ。しかし今まで旅行でこんなに急遽予定が変わった事は無かった。事前に決めた予定、行程を無難にこなすだけ、時間通りに新幹線に乗ったり飛行機に乗ったりして、名所名跡観光地を巡り、はいクリア、お土産、はいクリア、そんな感じだった。ハプニング。機に臨み変に応じる。僕は経験値が上がったのを感じた。で、取り敢えず宿が無い。今日はフェリーで一泊する予定だったから。耳なし芳一。宿なし芳一。龍馬公園にじっとしていても事態は動かない。オートバイに跨り、僕は南下する。こんな荷物を積んで、キャンプしに来たんだからキャンプ場を探そう。寒いけれど一晩くらい何とかなるだろう。鹿児島だし、もう少し南へ行けば少しは暖かくなるかも知れない。指宿、池田湖周辺、開聞岳を望む辺りにキャンプ場はないだろうか。霧島市街地へ入る。意外に交通量が結構多い。左折して、イオンに入る。雨が本格的に降って来た。屋根付きの駐輪スペースに停めて、店内へ。ソファに凭れ携帯で検索する。鹿児島県キャンプ場。伊佐市。1件だけ良さそうなキャンプ場が見つかる。渋いカスタムが施されたジムニーから下りてきた大柄な中年男性は「おっす、おら管理人」咥え煙草のままで言った。僕は煙草を吸う人間は大体信用するようにしている。
「ここは阿蘇と同じくらい冷え込むから、危ないと思ったら、すぐに小屋に避難して下さい。じゃあ楽しんで」
夜中は冷え込んだ。小屋に暖房器具は無いから、靴下を二重履きしてカイロを貼り、目出し帽を被り、手袋を両手にはめて寝袋に潜り込んだ。それでも寒くてなかなか眠れず、疲れて明け方に2時間くらい意識を失った感じだった。冬用の寝袋は必需品だと身を以て知った。兎に角なんとか朝を迎えられて安心した。管理人の話によると気温は1℃だったらしい。朝起きて焚き火してコーヒーを沸かし、かるかん饅頭を食べ、隣接の温泉で体を温めた後、出発する。管理人から「暖かくなってから、また来てねん」とお見送りの言葉。また、来ようと思う。鹿児島港へ向かう。出港は17時半。1時間前には手続きを済まして下さいと伝えられている。昨日とは打って変わり、空はどこまでも澄んで、青かった。フェリー乗船受付所はひっそりしている。待っているのは数組。受付で、条件付き運航、について念を押される。港の状況によっては寄港せずに引き返したり、とばして次の港へ行く可能性があるそうだ。了承する。支払いを済ませ乗船の仕方を教わる。自動車待機場所への遮断機のバーはオートバイは反応しないから、脇の舗道を通って良いらしい。係員の指示に従いオートバイを停める。桜島が正面に見える。胸が高まる。乗船券を提示して船に乗り込む。帽子に青い制服の船員から条件付き運航について再び念を押される。一番安い二等席。雑魚寝っちゃあ雑魚寝だけど頭部だけは隠れる仕切りはある。空いているし、全然良いだろう。予定通り17時30分に出港する。喜界島到着は翌朝の4時30分。
休憩スペースの窓から遠去かる鹿児島市街をじっと眺めた。オートバイで乗船したのは僕だけだった。予定通り4時30分、喜界島に着いた。やっと、着いた。滑りそうで突起があるタラップ、ギアは1速で半クラ、転けないようにゆっくり降りた。港の簡素な受付所、白い蛍光灯の明かりの先、島は真っ暗だ。何も考えず、僕は直進した。暖かくはないけれど、全然寒くない。風は強い。ヘルメットの隙間から甲高い風切り音。防寒着は船内で脱いで、既に秋の装いに替えていた。事前に調べた情報で最低気温が12度くらいらしかった。冬の空気とははっきり違う。両脇に建物がなくなって、暗くてよくわからないがサトウキビ畑が広がっているようだ。サーっと雨が降る。ヘルメットのシールドに雨粒。通り雨みたいだ。ムチャカナ公園、と書かれた看板。ムチャカナって何だろう。僕は、むちゃかなむちゃかなー、むちゃかな、むちゃかなこうえんー。即興で歌い出す。まだかなまだかなー、学研の、おばちゃんまだかなー、のメロディーで。ムチャカナ公園のベンチに仰向けで寝転がる。風が木々を揺らし葉が擦れるような音。遠くから鶏の啼く声が聞こえる。雲が多い。また雨が降るだろうか。暗くて辺りが良く見えないから、サイドバッグに入れたヘッドライトを取り出し装着する。石碑があった。照らすと、望郷の碑、と刻まれている。ムチャカナとは、薩摩藩幕政時代、むちゃ加那って表記する女性の名前、むちゃさんの母ウラトミは加計呂麻島出身、奄美一の美貌の持ち主でその美貌に目を付けた薩摩藩の役人に妾となるよう要請されたが、嫌です、絶対に嫌です、お前はキモい、キモすぎる、お前の妾になるくらいなら私は自殺する、と女の矜持で断固拒否、茹で蛸のように顔面を真っ赤に染め怒り狂った役人はウラトミを追放、ウラトミは喜界島の小津野海岸に流れ着き地元の御曹司とめでたく結婚し、むちゃ加那が産まれた、母を凌駕する美貌の持ち主だった、いつも後光が差してるような、目が合うだけで発狂しそうな、むちゃさんの度を越した美貌に島の男性陣は皆夢中で熱狂チヤホヤしまくり連日アピール合戦、むちゃさん宅には、白ゴマ黒糖油そうめんヤギ肉卵巻きおにぎりサクナーの天麩羅イッチャーシー海産物野菜果物黒糖焼酎など喜界島の特産品郷土料理の類が大量に貢ぎ物として届けられ、郵便ポストには、好きです!よろしくお願いします!とLINEのIDを記した紙束がぎゅうぎゅうに押し込まれており、面白くない島の凡庸な容姿をした娘たちから妬み嫉み誹謗中傷の嵐、むちゃさんのSNSは投稿と同時にコメント欄に「あなたは腋臭ですよね?」「口臭が耐えられません」「足が臭い」「家で大麻を栽培している」「ファミリーショップよしかわで昨日万引きしてたのを見ました」「腹黒さが滲み出ており不快」「吐き気がするので削除して下さい」「糞」なんて言い掛かりや罵詈雑言が溢れて即炎上、あの子ってなに聞いても、別に、しか言わないのよ、なにそれマジむかつくんですけど、ありもしない噂を立てられた挙句に、あの女やっちゃいましょうよ、そうよそうよ、誰からともなく言い出して、むちゃさんは島の娘たちから、むちゃ氏が来てくれるなら男子いっぱい集まるからお願いしまーす、と海水浴に誘われ快く応じるも、ハッキリ言って、それは罠、示し合わせた娘たちに崖から海に突き落とされ、むちゃさんは果敢なく逝ってしまい、その遺体は奄美大島の青久集落まで流れ着いた、その余りにも美しすぎた故の悲劇、非業の死は奄美民謡「むちゃ加那節」に唄われている、そうだ。随分遠くまで来たんだなあ。寝転がり空を見上げ、そんな感慨に耽っていても、まだ暗かった。腹が減っているが島にコンビニはないし、どこの店も開いてないだろう。公園の口臭トイレの水道は、手洗い用です、飲み水ではありません、と注意書きがあったが、煮沸すればきっと大丈夫だ。バーナーで湯を沸かしドリップパックコーヒーにお湯を注ぎ、コーヒーを飲みつつ、カロリーメイトフルーツ味を食べる。コーヒーは変な味がした気がするが、きっと気のせいだ。決して水のせいでは無いんだ。僕は強く己に言い聞かせた。やっと空が白々と明けて来た。僕はオートバイを走らせた。島を、巡った。喜界町役場に電話する。目星を付けておいた公園キャンプ場を使用するには利用申請書を提出する必要があるらしい。今日の今日で大丈夫ですかと問うと、はい、全然大丈夫ですと快い返答。役場は思ったより立派な建物。二階の端、企画観光課へ行き申請書に必要事項を記載する。企画観光課の夏川りみ的な雰囲気の女性は「てか、あそこ水出ましたっけ」と日焼けして精悍な印象の若い男性に確認している。僕は下見して来たからオッケーです、水出ました、と報告する。僕は、利用するに当たって何か注意事項とかありますか、と聞く。「いや特に。なんも無いです」との返事。車両の乗り入れは禁止です、草花を引き抜いたりしないで下さい、ゴミはお持ち帰り下さい、直火は禁止です、近隣住民に迷惑なので夜間は大声で騒がないで下さい、カラオケ大会はおやめ下さい、オリジナルソングを歌わないで下さい、全裸で走り回らないで下さい、みんなのキャンプ場です、ご利用に当たっては決められたルールやマナーをお守り下さい、みたいな事を言われるかと身構えていたが拍子抜けした。まあ僕はゴミは持ち帰るしカラオケはしないし野外で全裸になる趣味も勿論持ち合わせてないのだけれども。自由に使っていいそうだ。話を聞くと、今はその公園キャンプ場を利用する人は殆ど、というか全くいないそうである。よし。貸し切りだ。地域一番店を目指し日々お客様のニーズに応えるべく毎日数多くのご奉仕品を取り揃えているスーパーマーケット、ショッピングセンターふくりでドーナツ、パン、カット野菜、喜界島産魚の切り身、おにぎり二個、お茶、隣りの酒屋で土産も兼ねて黒糖焼酎喜界島を購入し、キャンプ場へ向かう。まだ昼前だからゆっくりダラダラ何度も休憩を挟みつつ設営をする。倒木を拾って鋸で切って跳ね上げ用のポールにする。薪にする。小枝を集める。寝床の体裁が整ってから、珈琲を沸かしドーナツ。至福の時間。茫とする。やる事はない。腰を低く落とした力士のつっぱり、ラガーマンのタックル、特攻服の女番長に足裏で蹴られまくる。夜。そんな夢を見そうな気がする。メッシュ素材のインナーテントを閉め寝袋に潜り込んで目を瞑っていた。ひゅおおおおっと上空から甲高い音が鳴って、数拍の静寂を置き、どんっ、波動砲のような衝撃がテントの側面を凹ませ、テントの張り出しがばららららっと凄い勢いで振動する。ポールが持って行かれそう。それから、ばら、ばらばらばらららっと雨が降る。そのサイクルをずっと繰り返す。多分張り出しに雨が溜まって、強風に吹かれメッシュを通り抜けるんだろう。顔面左眉の辺りに、びちゃっと水が掛かる。顔にタオルを巻いて、知らん、寝る。固く目をつぶって朝を待とうと試みたが、また顔面に水、三度目の水で、寝れるかーいと自分に突っ込みを決め起き上がった。ヘッドライトを装着しポールを外しファスナーを下まで閉める。形状的に風が逃げるのか衝撃も少し和らいだ。バンドックのソロドームは優秀なテントだ。テントに籠って聴く、ぽつぽつ響く雨音もいいものだ。僕は明け方近くに気絶するように眠った。
朝の天気も微妙だった。相変わらず降ったり止んだりを繰り返す。ただ鳥の囀りと時折覗く強い陽射しが心地良い。珈琲とセブンスター、昨晩の残り物の鍋。虹が出た。美しい。青いオートバイ、青いテント、ブルーシート、雲の隙間から青空。僕だけの景色。僕だけの時間。喜界島に来て、本当に良かった。昼近くまで雨は断続的に降った。夜21時出港の船で帰る。時間はまだまだある。テント内に引き篭もりのんびり過ごす。クシャクシャになった地図を眺めて大まかな予定を組む。やっと雨が上がってオートバイに跨る。観光、昼食、風呂、お土産。ファミリーレストラン珊瑚で昼食、魚フライ定食。刺身が付いてお得な気分だ。そういや昨日、刺身食ってなかったし。ファミリーショップよしかわで黒糖バナナチップスを150円。店を出る時に東京ナンバーのクロスカブとすれ違う。旅人だろうか。喜界島随一の高級ホテル、喜界第一ホテルで立寄り湯に入る。半円形の簡素なエントランスに舶来のアドベンチャーバイクが二台停まっている。どちらも関西ナンバー。島を結構走り回ったけれど全然会わなかったなと不思議に思う。立ち寄り湯の料金は500円。受付した白髪のホテルマンは懇切丁寧な接遇案内、すっげえダンディな感じだった。風呂は狭めで淡い水色の浴槽、タイル張り、レバーを少しお湯に傾けると激烈に熱く水にすると爆裂に冷たい、温度調整操作が非常に難しいシャワー、昭和そのまんま、館内もレトロチックで愛おしい。リゾートホテルがない島は素晴らしい。このままでずっといてほしい。誰もいない小さな港で黄昏れる。目の前に、ただ海があるだけ。浜辺に下り貝殻と珊瑚の欠片を拾って肩掛けバッグの中にそっと仕舞う。たそがれ清兵衛。お洒落な珈琲店ULU coffeeを訪れる。珈琲豆を200グラム購入。帰り際髭面の店主が「お時間ありますか?珈琲一杯いれますんで飲んでって下さい」と引き留められる。有り難く申し出を受け入れる。店主が珈琲を淹れる間に女性スタッフと話す。実は福岡に住んでいたらしい。地元話が弾む。世間は狭いっすね。つい最近も言ったばかりの台詞を繰り返す。ベンチに座って煙草を吸い珈琲を飲みながら、差し向かいで店主と語らう。これまでの人生、島の状況などについて。美容室帰りで、ニューヘアスタイルを決めたらしい、向かいの民家の中年女性がサーターアンダギーを差し入れる。「この人、福岡から来てるんよ」と紹介され会釈する。僕もサーターアンダギーを一つ頂く。おいしい。珈琲に良く合う。店主と連絡先先を交換し「今度は一緒にキャンプしましょう」と言われ店を発つ。東京のカブ乗りと意気投合し島を一緒に走り、帰りのフェリーで関西のおじさんライダー二人と交流した。旅が終わった。久し振りの自室は暗くてひっそりしていた。荷物を床に放り投げ、衣類を洗濯機へまとめて入れ、台所で食器類を洗った。生活。僕は日常に戻った。拾った貝殻と珊瑚の欠片を肩掛けバッグから取り出し、部屋に飾って、眺めた。
仕事帰りに近所のスーパーマーケットへ立ち寄る。自宅から徒歩数百メートルの距離である。まさかな、と思いつつ酒コーナーを覗く。
(…ある。じゃねえか)
黒糖焼酎「喜界島」が売られている。結構、目立つ。遠路遥々喜界島まで行って先輩にお土産に買って来たのだ。実は徒歩圏内で買えたのである。僕は普段酒を殆ど飲まないから全く知らなかった。実は遠いと思っていた喜界島は、すぐ近くにあった。僕が知るずっと前から、島は確かに存在していたのだ。島は僕のすぐ傍にいた。島は近かった。僕は嬉しい。そう。僕にとって島は彼女で、彼女は島だった。
喜界島は、今でも年間2ミリメートルずつ隆起を続けている。
