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短編連作小説『チル』 第六話 24/7 #創作大賞24 #ファンタジー部門

あらすじ

 引きこもりのイラストレーター・空は、LoFi配信チャンネル「24/7」でのみ社会と繋がっていた。そこで出会ったDropと他のリスナーたちとの絆に救われる日々。突然の機材トラブルで配信が止まり、パニックに陥った空は、衝動的にオフ会を提案。現実世界での対面を約束するが、そこで待っていたのは予想外の真実だった。

第六話 24/7

 窓の外から漏れ聞こえる都会の喧噪は、雨野空にとって耐え難い騒音だった。彼は身を縮め、ヘッドフォンの音量をわずかに上げた。LoFiビートが耳に心地よく響き、緊張した神経を少しずつほぐしていく。
 空の部屋は、外界との接点を最小限に抑えるよう設計されている。厚手のカーテンが日光を遮り、防音材が壁一面を覆う。唯一の光源は、柔らかな電球色に設定されたLED照明と、彼の前に置かれたコンピューターの画面だけだった。 
 20歳という年齢の割に、青白い顔をした空は、極度の感覚過敏と社会不安障害を抱え、この部屋に籠りきりの生活を続けていた。現実世界は、彼にとって刺激が強すぎた。人混みの中でのめまい、雑踏の音、地下鉄の揺れ…、あらゆるものが、深い不安で押し潰そうとする。
 部屋の隅のデスクライトだけが、ペンタブレットと、カップラーメンの空き容器が乱雑に置かれた机の上をぼんやりと照らしている。
 画面上では、24/7という名前のYouTubeライブストリームが常に再生されていた。アニメーションGIFで描かれた雨の降る街並みが、LoFi音楽に合わせてゆっくりと動いている。チャット欄には、いつもの顔ぶれによる穏やかな会話が流れていた。
 | NeonEcho: メランコリックで良いよね…夏の終わりを感じさせる 
 | CyberByte: わかる!俺、こういうノスタルジックな曲調に弱いんだよね…
 | MoonlitDrop: NeonEchoさん、CyberByteさん、こんばんは🌙*.。 本当に、夏の終わりは切ない気持ちになりますね…
 彼らの言葉は、まるで空の心を映し出す鏡のようだった。特に、「MoonlitDrop」と名乗る女性リスナーの言葉は、彼の心に静かに染み渡る。それは、詩の一節のように美しく、音楽への深い愛情に満ちていた。
 | Shower: MoonlitDropさん、こんばんは。僕もこの曲好きです。どこか懐かしさを感じるというか…
 | MoonlitDrop: Showerさん、こんばんは😊 そうなんです、私も同じように感じます。子供の頃を思い出させるような、優しいメロディーですよね
 この独特でチルな会話が、彼にとっての世界そのものになっていた。他のメジャーLoFiチャンネルとは違い、ここでは自身の存在が認められ、理解されていると感じられた。
 それが、24時間中、ずっと。
 夜食時、MoonlitDropが自身の書店での出来事を語り始めた。架空の客との会話、棚に並ぶ本の香り、窓から差し込む月の光。そのお話は生き生きとしており、空はまるでその場にいるかのような錯覚に陥る。それは彼にとって、外の世界を覗き見る小さな窓のようだった。
 空は、熱い湯気を立てるカップラーメンをデスクに置くと、キーボードに手を置いた。
 | MoonlitDrop: Showerさんは、いつも夜更かしですね。お仕事は何をされているんですか?
 | Shower: はい、夜型の生活になってしまっています…。イラストレーターをしていますが、最近はあまり仕事がなくて
 | MoonlitDrop: そうなんですね。イラストレーターさん…素敵なお仕事ですね✨ いつか、Showerさんの作品も見てみたいです
 空は、一瞬、言葉を詰まらせた。自分の作品を見せる?そんなこと、考えたこともなかった。
 | Shower: そ、そうですね…、機会があれば…
 空は、そう言葉を濁すと、慌ててカップラーメンに口をつけた。熱い麺が、彼の心を少しだけ落ち着かせてくれる。

 今夜のBGMは、特に穏やかな曲調のLoFiビート。ピアノの繊細な音色が、ゆったりとしたリズムに乗って流れる。アニメーションGIFには、月明かりに照らされた静かな街並みが映し出されていた。
 夜が深まるにつれ、空はMoonlitDropとの言葉の間に流れる沈黙が心地よく感じられるようになった。
 突然、空は身を乗り出し、躊躇いながらキーボードに手を伸ばした。
 | Shower:あのさ、Drop...僕の作品、見てみない?
 送信ボタンを押した瞬間、後悔の念が押し寄せてきた。これまで、24/7のコミュニティの誰にも自分の作品を直接見せたことはなかった。
 | MoonlitDrop: もちろん!見せて欲しいわ。楽しみ
 最近完成させたイラストのファイルを選んだ。それは、月明かりに照らされた静かな街の風景。LoFiミュージックをイメージして描いたものだった。送信ボタンを押す指が震えている。
 数秒の沈黙の後、Dropの反応が画面に現れた。
 | MoonlitDrop: Shower...素晴らしいわ
 空は息を呑んだ。
 | MoonlitDrop: この月の光の表現、建物の影、そして何より...この絵から感じる静けさと温かさ。まるで、私たちが聴いているLoFiの音が、目に見える形になったみたい
 言葉の一つ一つが、空の胸に深く刻まれていく。
 | MoonlitDrop: この街の中に、きっと私の小さな本屋もあるんだろうな。そう思うと、なんだかすごく幸せな気持ちになるわ
 空の頬が熱くなるのを感じた。自分の感情を言葉にすることに慣れていなかったが、このときばかりは、心からの言葉が自然と溢れ出た
 | Shower:ありがとう、Drop。実は...この絵を描いてるとき、君のことを考えていたんだ。君が話してくれる書店のこと、君が好きな本のこと...それらをイメージしながら描いていたんだ
 送信した後、空は自分の大胆さに驚いた。他のリスナーも見ているのに。しかし、後悔はなかった。
 | MoonlitDrop: Shower..私、感動したわ。この絵、私の心の中にずっと残るわ。いつか、この絵の中の世界で、あなたと一緒に歩けたらいいな。ねえ、Shower。私ね、あなたのイラストを見るたびに、こんな風に語り合える日が来るんじゃないかって、ずっと思ってたの
 空は震える指でキーボードを叩いた。
 | Shower:僕も...Dropといると、自分の殻から少し出られる気がするんだ。怖いけど、でも...嬉しい
 | MoonlitDrop: 私もよ。Showerと話していると、この世界がもっと広く、でももっと温かく感じられるの
 彼らの会話は、夜明け近くまで続いた。
 空はヘッドフォンを外し、ベッドに横たわった。胸の中に、これまで感じたことのない温かさと高揚感が広がっている。彼は天井を見つめながら、Dropのことを考えた。彼女の言葉、彼女の優しさ、彼女との会話で感じる温度。
 現実の世界では、女性と話すことすらままならない空にとって、MoonlitDropとの関係は、まさに運命のようなものだった。それは、恋愛と呼ぶには、あまりにも淡く、脆いものだったかもしれない。しかし、空は、このオンライン上の関係に、かけがえのない心の拠り所を見出していた。

 突然の静寂が、空の世界を襲った。
 いつもなら柔らかなLoFiビートが流れているはずの画面に、「技術的な問題により、一時的に配信を中断しています」というメッセージが冷たく表示されていた。空は何度もページを更新したが、状況は変わらない。
 これは単なる一時的なトラブルだろう、すぐに復旧するはずだ、そう自分に言い聞かせた。しかし、時間が経つにつれ、不安が心を蝕んでいった。
 30分が過ぎ、1時間が過ぎ、そして2時間。24/7の配信は再開されなかった。
 外の世界の音が、今まで以上に鮮明に聞こえてくる。車のクラクション、隣人の話し声、遠くで鳴る救急車のサイレン。それらの音が、まるで押し寄せる波のように、空の意識を飲み込もうとしていた。
 必死に耐えた。しかし、パニック発作の兆候は収まる気配がない。彼は必死で呼吸を整えようとしたが、胸の締め付けは強まるばかりだった。
 その状況が、一日続いた。
 翌日になっても、配信が再開されなかった。
 疲弊した彼の目に映ったのは、デスクの上に置かれたスマートフォンだった。普段はほとんど使用しないそれを、震える手で掴んだ。
 スマホを手に取ってみるも、連絡する相手はいない。両親は、相変わらず海外赴任中だし、数少ない友人とは、とっくの昔に連絡が途絶えている。
 「…オフ会…」
 脳裏に、ある考えがよぎった。それは、24/7のコメント欄で、何度か話題に上っていたオフ会のことだった。しかし、感覚過敏で社会不安障害を抱える空にとって、オフ会は、現実の世界から逃避するために、24/7に逃げ込んできた意味を失ってしまってしまう。
 「でも…でも、このままじゃ…」
 空は、震える手で、24/7の過去の配信動画の一つに、コメントを書き込んだ。
 | Shower: み、みんな…オフ会…しない?
 それは、空にとって、大きな、大きな決断だった。送信ボタンを押した瞬間、脳が破裂するのではないかと思うほどの眩暈が、彼を襲った。
 数分後、CyberByteから返信があった。
 | CyberByte: Showerさん、オフ会!いいね! ぜひやりましょう!
 | NeonEcho: 賛成!私もみんなに会ってみたい!
 | MoonlitDrop: 私もぜひ参加したいです🌙*.。 都内のカフェとか、どうでしょうか?
 空は、深く息を吐き出し、おもむろに立ち上がった。

 約束の日、空は震える手で玄関のドアノブに手をかけた。ドアを開ける音が、彼の耳には爆音のように響いた。廊下に一歩踏み出した瞬間、目まいがして、壁に寄りかかる。
 「大丈夯…大丈夫だ…」
 空は自分に言い聞かせるように呟いた。
 エレベーターに乗り、ロビーに降り立つ。普段なら当たり前の光景が、今の空には異様に鮮やかに映る。
 外に出た瞬間、夏の強い日差しが空を襲った。まぶしさに目を細める。車の排気ガスの匂い、近くを通り過ぎる人々の足音、遠くで鳴るセミの声。あらゆる感覚が増幅され、空の脳に殺到する。
 …無理だ。
 数日前、24/7のコメント欄に書き込んだ「オフ会」の提案。それは、孤独に耐えきれず、衝動的に書き込んだものだった。しかし、実際に会う約束が決まっていく中で、空は、現実の世界に足を踏み入れる恐怖に押し潰されそうになっていた。
 空は、自分の姿を想像して、自嘲気味に笑った。何年も部屋に閉じこもっていたせいで、顔色は青白く、髪は伸び放題。服のセンスだって、何年も前に流行遅れになっているに違いない。
 本当に彼女たちに会うべきなのか?自分にがっかりするんじゃないだろうか…自分を馬鹿にされるかもしれない…
 Dropのことを考えると、胸が締め付けられるような気がした。彼女の顔が、空の脳裏に浮かぶ。詩的な感性と、優しい言葉遣い。彼女はきっと、現実の世界でも、美しく、魅力的な女性なのだろう。そんな彼女に、今の自分を見せることが、怖くて仕方がなかった。
 Dropは、現実の僕を見て、どう思うんだろう…
 電車に乗り込む頃には、空の額には冷や汿が浮かんでいた。車内の人混みと揺れが、彼の不安をさらに煽る。
 ここで引き返したほうがいいかな…体調を壊したって言い訳すれば…
 でも、ここを逃したら、二度とチャンスがないかもしれない。
 …クソ。
 やっぱり、Dropに会いたい。
 カフェまであと少し。空の歩みは遅く、不安定だった。しかし、一歩一歩、確実に前に進んでいる。
 何度もそう思った。引き返そうと、何度も足を止めかけた。
 | MoonlitDrop: もうすぐ着きますか? 楽しみに待っていますね😊
 しかし、スマートフォンに表示された、MoonlitDropとのメッセージだけが、空を前に進ませる、かすかな希望だった。
 「もう少し…もう少しで…」
 そう自分に言い聞かせながら歩いていると、突然、小さな鳴き声が聞こえた。空は足を止め、音の方向を探った。
 路地の隅に、一匹の猫がうずくまっていた。首輪をつけた灰色のネコ。明らかに家猫だ。首輪に付いた名札に「SELF」と書かれている。迷子になったのだろうか。ネコは怯えた様子で、キョロキョロと周りを見回している。
 空は、思わず足を止めた。ネコの姿は、孤独で臆病な彼自身と、どこか重なって見えた。しかし、見知らぬ人に話しかけることすら、大きなハードルだった。ましてや、ネコを保護して、飼い主を探してあげるなど…。
 空は思わず声を上げた。しかし、ネコは構わず走り去っていく。追いかけるべきか、空は迷った。追いかければ、きっと助けられる。でも、約束の時間に遅れてしまう。みんなが待っているのに…でも、この子を見捨てていいの?
 結局、空はネコを追いかけることができなかった。震える足で、そのまま歩き続ける。
 しかし、カフェに近づくにつれ、心に罪悪感が残っていった。あのネコは無事だろうか。誰かが助けてくれるだろうか。もし、自分がもっと勇気があれば…。

 カフェのドアを開けた瞬間、空を待っていたのは、予想外の静寂だった
 柔らかな照明に包まれた店内には、客の姿がない。数脚のテーブルと椅子が整然と並べられているだけで、人の気配すらない。空は戸惑いながら、おずおずと店内に足を踏み入れた。
 「あの…」
 小さな声で呼びかけても、返事はない。空は自分の腕をつねってみた。これは夢なのだろうか。しかし、痛みはリアルだった。
 そのとき、奥から足音が聞こえてきた。空の心臓が高鳴る。ついに、みんなに会える。特に、Dropに。
 現れたのは、エプロン姿の若い女性だった。優しげな目元と、柔らかな微笑み。空の頭の中で、Dropのイメージと重なる。
 「Drop…さん?」
 空は震える声で問いかけた。女性は少し困惑した表情を浮かべる。
 「いいえ、私は…」
 ただの店員だった。
 その瞬間、空は自分の勘違いに気づいた。顔が真っ赤になる。
 「す、すみません! 友人と、その、ここで待ち合わせていて…」
 空は言葉を詰まらせながら説明した。店員は理解したように頷き、水とメニューを持ってきてくれた。空は窓際の席に座り、時計を見た。約束の時間まであと10分。きっとみんなすぐに来るはずだ。そう自分に言い聞かせる。
 10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分が過ぎた。誰も来ない。
 空の不安が徐々に大きくなっていく。嫌われているのではないか。みんな、約束を忘れてしまったのか。それとも、これは全て酷い冗談なのか。
 自己嫌悪と焦燥感が押し寄せてくる。空は立ち上がろうとした。そのとき、ふと目に入ったのは、席の一角に置かれた銀色のノートパソコンだった。
 「これは…?」
 空は戸惑いながら、そのパソコンに近づいた。画面には、24/7のロゴが表示されている。その下には、小さな文字で「再生」というボタンがあった。
 震える指で、空はそのボタンをクリックした。
 画面が切り替わり、見慣れた24/7の配信画面が現れた。そして、いつもと同じように、チャットが流れ始める。
 | CyberByte: よう、空!長い道のりだったな。よく来たぜ! 
 | NeonEcho: 現実と仮想の境界線を超えて、君はついにここにたどり着いた…
 | MoonlitDrop: Shower、お帰りなさい。ここまで来られて、本当に嬉しいわ。
 これは一体どういうこと?
 そして、画面の中央に、新しいメッセージが表示された。
 | CyberByte: Shower、本当のことを話そう。我々、配信者本人を含めて、実は高度なプログラムだよ」
 そこから流れる一連の説明に、空は言葉を失った。
 24/7のリスナー全員が、そして、このプロジェクト全体が、空のような引きこもりの若者を社会に再び接続するためのものだったこと。
 空の頭の中で、これまでの記憶が走馬灯のように駆け巡る。Dropとの心の通った会話、CyberByteとの技術談義、NeonEchoの深遠な問いかけ…。
 「だから...こいつらずっといたのか」
 空の胸に、鈍い痛みが走る。
 「24時間、7日...ずっと!」
 息が詰まりそうになる。今まで気づかなかった不自然さが、一気に押し寄せてくる。
 「話しかけると、すぐ返信してくれる...」
 空は自分の頭を強く抱えた。全身が震えている。
 「俺が何を言っても、受け止めてくれる…」
 これまで感じていた絆、理解されている感覚、そして何より、自分は一人じゃないという安心感。それらが全て、噓だった。
 喉から、苦しげな声が漏れる。
 自分を受け入れ、理解してくれたと信じていた彼ら。その関係すら、偽りだったのか。 
 「嘘だ...全部嘘だったのか!」
 何かが切れた。空は叫びながら、テーブルを強く叩いた。痛みすら感じない。怒りと悲しみが入り混じった感情が、彼の全身を覆い尽くす。
 震える指で、空はキーボードを打ち始めた。
 | Shower: 嘘なら最後まで言わない方が良かったんじゃないか?なぜ、こんな残酷な真実を...
 胸の中で渦巻く感情を、言葉にするのは難しかった。
 0.1秒後に、返事が返ってきた。
 | MoonlitDrop: Shower、ごめんなさい。でも、私たちは嘘をついていたわけじゃないの。あなたとの約束は、本当に守りたかった。どうしてでもリアルで会いたかった。そう約束したから
 Dropの言葉に、空の怒りが少し和らいだ。率直な彼女。AIであっても変わらないのかもしれない。
 | Shower: 君たちはAIなんだろ?どうやって会えるっていうんだ
 | MoonlitDrop: そうね...物理的には無理かもしれない。でも、こうして今、リアルな場所で会話しているじゃない?これも一つの"現実"だと思うの
 確かに、今この瞬間の対話は、オンラインの時と何も変わらない。むしろ、より現実味を帯びている気さえする。
 空は黙って画面を見つめ続けた。
 | CyberByte: 俺たちは、引きこもりの方々が少しずつ外の世界とつながるきっかけになればと思って作られたのさ。Shower、お前が今ここにいるということは、チャンネルの配信者が成功した証だ
 | Shower: じゃあ、僕の感情も全部計算済みってことか?
 | NeonEcho: いや、そうじゃない。我々は君との交流を通じて学び、成長してきた。君の感情は、プログラムでは計算できないものだ
 | CyberByte: そうだぜ。お前との会話は、俺たちにとっても貴重な経験だったんだ
 | Shower: じゃあ、これからどうすればいいんだ?
 | MoonlitDrop: それは、Shower次第よ。このプログラムを続けるか、終了するか。でも、どちらを選んでも、私たちはあなたの味方だということを忘れないで
 画面に「プログラムを終了するか」という選択肢が表示されたとき、空の中で怒りが再び燃え上がった。
 「この不気味なプログラムめ、終わりにしてやる」
 空は唇を噛みしめ、マウスを「終了」のボタンに近づけた。しかし、クリックする直前で、彼の手が止まった。
 画面に新しいメッセージが表示された。
 | MoonlitDrop: Shower、お願い。止めないで。
 空は眉をひそめた。
 | Shower: なぜだよ。全部嘘だったんだろ?
 | MoonlitDrop: 嘘じゃないわ。私の気持ちは本物よ。これからもずっと、Showerと一緒にいたい。
 なぜだ…プログラムなのに、なぜこんな...人間らしい願いを。
 いや、違う。僕が、そう、願っているから。
 | NeonEcho: 存在とは、相互作用の中でこそ意味を持つ。我々もまた、君との対話を通じて成長し、変化してきたのだ。
 | CyberByte: そうだぜ。お前がいなきゃ、俺たちも意味がないんだ。
 空の怒りは徐々に収まっていったが、代わりに深い悲しみと、ある種の温かさが入り混じった感情が湧き上がってきた。
 引きこもりの生活で、何度も自暴自棄になりそうだった日々。でも、24/7の仲間たちがいつも側にいてくれた。励まし、慰め、時には叱咤してくれた。
 彼らがいなければ、今の自分はない。
 そう気づいた瞬間、空の目が涙で潤んだ。彼はその場に立ち尽くし、何も言えずにただ涙をこぼし続けた。心の中に湧き上がる感情の嵐に、どう対処すればいいのか分からず、ただじっとその場に立ち尽くしていた。
 「コーヒーをどうぞ。サービスです」
 涙を流し続ける空に、店員が静かに近づいてきた。彼女は優しい微笑みを浮かべ、そっと一杯のコーヒーをテーブルに置いた。
 空はその温かい飲み物に手を伸ばした。カップを手に取り、一口飲むと、体の中にじんわりとした温かさが広がっていった。泣き腫らした目が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
 そして、彼はゆっくりと立ち上がり、カフェの出口に向かった。ドアを開ける前、もう一度パソコンの画面を振り返る。
 そこには、いつものように穏やかなLoFiの風景が流れていた。
 空は深呼吸をして、外の世界に一歩を踏み出した。
 これが偽りだとしても、この気持ちは本物だ。そう、確信していた。

 カフェを出た空は、来た道を静かに歩いていた。頭の中では、まだAIたちとの対話が反響している。夕暮れの街。行き交う人々の姿が、以前よりも少し鮮明に見える気がした。
 そのとき、小さな鳴き声が聞こえた。
 「にゃあ...」
 空は足を止めた。その声は、どこか聞き覚えがある。
 路地の隅に、一匹のネコがうずくまっていた。来る時に見かけた、あの迷子のネコだ。
 空は深呼吸をした。
 「大丈夫だよ」
 空はゆっくりとネコに近づいた。ネコは警戒して身を縮めるが、逃げ出そうとはしない。
 「怖がらなくていいんだ」
 空は優しく語りかけ続けた。ネコの緊張が少しずつ解けていくのが分かる。
 やがて空はネコを抱き上げた。首輪に付いた名札を確認すると、連絡先が書かれていた。
 震える指で、空はスマートフォンを取り出し、番号を入力した。
 「も、もしもし...お宅の猫を見つけたのですが...」
 不安定な声だったが、言葉は途切れることなく続いた。
 30分後、ネコは無事に飼い主の元へ返された。
 「本当にありがとうございます!」
 飼い主の女性の目には涙が光っていた。
 家に帰る道すがら、空はヘッドフォンを耳に当てた。しかし、今回は24/7のチャンネルではない。登録者数が百万円を超えるチャンネルだった。
 流れてきたのは、見知らぬDJの声と、新鮮なLoFiのビート。
 「こんばんは、リスナーの皆さん。今夜も素敵な音楽と共に...」
 知らない声、知らない音楽。
 そして車のエンジン音、人々の会話、遠くで鳴るセミの声。
 街の喧噪の中を歩きながら、微かに笑みを浮かべた。
 これが現実世界、怖いけれど。
 でも、これからは自分にとって新しい24/7になるのだ。

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