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仕事に本気で取り組んできた人の物語には、言葉にできない熱がある。

仕事とは何だろうか。
生きるためのお金を稼ぐ手段ともいえるし、社会と接点を持つための道具という人もいるだろう。あるいは自己表現だという人もいるはずだ。

どのような思いがあるにせよ、今この社会では、学生生活を終えると大半の人が就職なり自営なりして働く。働くというのは、世の中の要請を受けて仕事をしているということでもある。

仕事はやってみるまで実態がよくわからないものだ。かくいう自分もそうだった。そして、全力でぶつかってみなければそれが自分に向いているのか、楽しみがどこにあるのか、あるいはつまらないのかわからない。

そして、仕事に本気で取り組んだ人の物語にはいつも心を動かされる。クロサキナオさんの「少しだけ昔を語っていい?」もそうだ。

今日の夕方にペーパーバックが届き、夕食を挟みながら読み続けて一気に読み終えた。

仕事にはきまっていい時と悪い時がある。不思議なもので、どちらも続かない。それは会社員であっても、自営業であっても同じだろうと思う。

クロサキナオさんのnote記事に出会ったのは、自分が独立を決めて会社に申し出た直後だった。不安と期待が入り混じる複雑な日々を過ごすなかで、切迫感のある内容と親しみのある語り口に引き込まれた。ただ、個人的に気になっていたのは、noteを書く前の物語だった。

本書には知りたかったリアルな仕事の記録があった。

ノウハウ本でもなく、事例の寄せ集めでもない一本の物語。
N1だが、N1だからこそ刺さる。

ところで、なぜ自分は仕事の物語に惹かれ、揺さぶられるのだろうか?

おそらくだが、内向的で技術肌であり、集団の中で右往左往してきた自分が、社会と対峙し成長するための場が「仕事」だったからだろう。

初めての職場、初めての上司に恵まれたおかげで苦しいながらも仕事に心血を注ぐ経験ができ、それが自分の土台となっている。だから、リアルで熱量のある仕事の話を見聞きするとズンと来る。


本気で仕事に取り組むと、悩みと楽しさが同時にやってくる。

もし、その悩みが100%になってしまったら仕事を続けることはできない。さりとて、悩みが0%の仕事というのもつまらない。

なぜなら、人は考えて工夫することにやりがいを感じるからだ。これは仕事に限る話ではなく、スポーツや芸術、はたまたスマホゲームにも言えることだろう。もし何の操作をしなくても常に100点をとれるスマホゲームがあったなら、それはもはやゲームではない。

人を成長させる仕事には少なからず悩むイベントがつきものなのだ。

とはいえ、その渦中には到底そんな風には達観できない。嵐が過ぎ去ってしばらくたって、その効用にようやく気づく。思い出補正付きで。

この本を読みながら、過去と今、少し先の未来の悩みが頭を駆け巡った。


あらためて、冒頭の問いにもどる。
仕事とは何だろうか。

今の自分の答えは「社会に所属するための手段」。
それは社会生活を送るための費用を稼ぐためであり、社会とコミュニケーションをとるためでもある。その中で自己表現をしたり、興味を追求したりすることもできる。

その活動に全力で取り組むとき、自分だけの物語ができるのだろう。

自分の新しい物語を作らなければ、と思う。


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