偏向報道の実態
最近オールドメディアによる偏向報道が問題視され、テレビ離れや新聞離れが起こっています。
オールドメディアとは、旧来からの新聞や雑誌、テレビやラジオといった報道媒体のことで、対するニューメディアとは、SNSを中心としたソーシャルメディアのことです。
新旧の入れ替えが起きているのですね。
私もご多分に漏れず、家にはテレビがありませんし、新聞ももう定期購読していません。
テレビや新聞に関する記事も書いていますので、よかったらご覧ください。
オールドメディアは、昔からも「マスゴミ」と呼ばれていました。
昔の偏向報道の中心は、視聴率至上主義により話題性を追求して、より刺激的な表現に誇張してしまうことでした。
典型的な例は、1991年に起こった雲仙普賢岳の火砕流報道事件でした。
各社競うようにして現場に入り、ニュース番組担当者からより刺激的映像を求められて危険性を顧みずに現場に近づき、結果52名の死傷者を出す大惨事になったのです。
最近では特に政治的偏向報道が目立つようになっています。
そのため、SNSを味方につけた兵庫県知事の斎藤氏が再選を果たし、
アメリカのトランプ大統領も2期目に返り咲いています。
オールドメディアでは、「財務省解体デモ」についてほとんど報道されませんでした。
また、「石破辞めるなデモ」は報道するのに、その何倍も行われていた「石破辞めろデモ」は報道されませんでした。
SNSの支持率では圧倒的多数が石破不信任・退陣要求だったにもかかわらず、逆に支持率上昇の世論調査を公表したりしていました。
自民党総裁選の最中も、テレビのキャスターやコメンテイターが明らかに高市氏批判を繰り返していました。
国境なき記者団の2025年報道自由度ランキングでは、180か国中66位、G7内では9年連続の最下位で、「問題あり」評価となってしまっています。
情報を一方的に流すだけで一方通行のオールドメディアが、視聴者や読者に対し、特定の考え方を持たせるために垂れ流す偏向報道は、ニューメディアがそれとは違う姿を発信し始めるにつれて「オールドメディアは真実を隠している、嘘をついている」と認識され始めたのです。
なぜこのようなことが起こるのでしょう。
先の雲仙普賢岳の報道のような視聴率狙いは、その方が視聴者が喜ぶからです。
また、記者や編集者の個人的偏見や情報の裏を取らずに片方だけの取材で済ませてしまっていることもあります。
そして一番大きいと思われるのが、政治的・経済的圧力によるものです。
支援団体の意向をくんだ政党や、自社や自国の利益を追求するスポンサーの影響を強く受ける形でしか活動できないのでしょう。
報道と言うのは、まず「数あるニュースの中から、どれを報道するのか」ということから始めります。
キャスターの選び方で報道されるニュースの内容は変わってきます。
「石破辞めろデモ」は故意に選ばれなかったということです。
そして、同じニュースでもどちらの立場に立って伝えるのかによっても受ける印象は全く違うものになります。
「市民が政府に対し、自由を求めて抗議しました。」というのか、
「一部の過激派が政府の方針に反対して騒動を起こしました。」というのか、立ち位置によってこうも印象が変わるのです。

使われる映像や画像もそうです。どれを使うかによって変わってくるのです。
先日時事通信社のカメラマンが「支持率下げてやる」、「支持率下げる写真しか出さないぞ」と発言していた音声が拾われて問題になっていました。
これはまさしく悪意のこもった偏向報道をしようとしていた証拠です。

特定の勢力や政党に有利な情報だけを流し、敵対する側は悪者に見せるような情報をながす、
スポンサーの利益に反するような不都合な事実は隠し、好印象を与えるような報道だけを行う、
人々の対立を煽って注目を集め、社会の分断を図る、
大きなスキャンダルから国民の関心をそらすために、別のニュースを大きく繰り返し報道する、
自分たちの都合のいい部分だけを切り取って、重要な文脈などを意図的に省略する、
コメンテイターの個人的意見を、さも事実の様に報道する、
ただの憶測でしかない事柄、誤った情報を流す、
そして、視聴者や読者の受けがいい内容に合わせて偏った報道をするといったことが行われているのです。
私たちのできることは、
国内外の複数のメディアを比較してみたり、
誰が発信しているのか、
意図的なものはないかを考えてみたり、
感情的な表現や言葉は使われていないかを注意して確認したり、
公式発表を直接全文・全場面確認したりすることが必要になってきました。
しかし、ここで問題もあります。
オールドメディアだけでなく、ニューメディアにも「フェイクニュース」などが混在しているのです。
「真実とは何か」を見極めなければいけないのです。
「フェイクニュース」の対応に関する記事も書いていますので、こちらもご覧ください。
全ての報道は、事実を編集されたものなのです。
報道の自由は公共性を伴い、社会に貢献するものでなければいけません。
メディアにも放送倫理と言うものがあるのです。
その編集作業はメディア倫理に従って、行われるべきものなのです。
もう一つ、AIの普及にも危険性がはらんでいます。
AIに偏った情報、間違った情報を学習させれば、導き出された答えは当然差別的だったり不公平なものになります。
AIが自ら客観的な事実を語るわけではないのです。
インターネットの普及により、今や誰でも発信者になれる時代が来ました。こうした倫理的な問題は、メディアだけでなく私達全員が抱える問題になってきていると思います。
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