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ノートの賢い使い方― 書くためではなく「理解するため」のノート術 ―

学生時代、多くの人が「ノートはきれいに書きなさい」と教えられてきたのではないでしょうか。

黒板の内容を一字一句書き写し、色ペンやマーカーを使って見やすくまとめる。
そんなノートを見ると、「勉強を頑張っているな」という印象を受けます。

しかし、ノートがきれいな人ほど成績が良いとは限りません。

反対に、驚くほど字が大きく、余白が多く、一見すると乱雑に見えるノートを書いている人が、優れた成績を収めていることもあります。
この違いはどこにあるのでしょうか。

それは、ノートを「記録するためのもの」と考えているか、「理解するためのもの」と考えているかの違いです。

私は学生時代から、ノートをきれいに作ることが苦手でした。
字も大きく、決して人に見せられるようなノートではありませんでした。
友達も「お前のノート見ても分からんわ」と言う始末です。

しかし、内容をそのまま書き写すのではなく、自分なりに理解したことを要約して書き、あとから気づいたことを書き加えられるよう、あえて余白を残すことを意識していました。

ノートは完成させるものではありません。
学びとともに育てていくものです。
近年では、コーネル式ノートやマッキンゼー式三分割ノート、東大式五フレームノートなど、さまざまなノート術が紹介されています。
それぞれに特徴はありますが、優れたノート術には一つの共通点があります。

それは、「書くこと」が目的ではなく、「考えること」を目的にしているということです。

この記事では、有名なノート術の考え方も参考にしながら、「頭が良くなるノート」とはどのようなノートなのかを、理解型学習の視点から分かりやすくお伝えします。

学校では「ノートを取りなさい」と教えてくれます。
しかし、「どう使えば理解が深まり、学力が伸びるのか」までは、あまり教えてくれません。
今日からは、ノートを「書くための道具」ではなく、「考えるための道具」として使ってみましょう。
きっと、あなたの学び方は大きく変わるはずです。

「学校では教えてくれない 学びの教科書 一生使える「理解型学習」の実践講座」第2シリーズは「学びの技術」です。


<第1章 ノートを書く目的を間違えてはいけない>

あなたは、ノートを書く目的は何だと思いますか。

「授業の内容を記録するため」
「あとで見返すため」
「先生に提出するため」
そう考える人が多いでしょう。
もちろん、それらも間違いではありません。
しかし、本当に大切な目的は別にあります。

ノートを書く目的は、「理解すること」です。

ここを間違えると、どれだけ時間をかけてノートを書いても、思うように学力は伸びません。

多くの人は、先生が黒板に書いたことや教科書の内容を、そのままノートに写します。
きれいな字で、色分けをして、見やすく整理されたノートを作ります。
けれども、その作業だけでは、頭はあまり働いていません。
極端に言えば、コピー機が文章を写しているのと同じです。

情報はノートに移りますが、頭の中には十分に残りません。
一方、理解しながらノートを書く人は違います。

「つまり、これはどういう意味だろう。」
「一言でまとめると何だろう。」
「前に習った内容とどうつながるのだろう。」
このように考えながら書いています。

つまり、ノートを書くという行為そのものが「考える時間」になっているのです。

例えば、教科書に十行の説明があったとします。
その十行をそのまま書き写すのではなく、「要するに〇〇ということだ」と二、三行でまとめようとすると、自然と内容を理解しようとします。

この「要約する」という作業こそが、理解を深める大切な学習になります。
私が学生時代に心がけていたのも、この方法でした。

私は決してきれいなノートを書くタイプではありませんでした。
むしろ、字は大きく、見た目はかなり雑だったと思います。
それでも、黒板の内容をそのまま書き写すことはあまりせず、自分なりに理解した言葉でまとめるようにしていました。

理解できていないことは書けません。
だからこそ、「どう書けば短く説明できるだろう」と考える時間が、何よりも勉強になっていたのです。

最近では、コーネル式ノートやファインマン・テクニックなど、さまざまなノート術が紹介されています。
方法はそれぞれ違いますが、どれにも共通している考え方があります。

それは、「ノートは記録するためではなく、考えるために使うもの」ということです。

ノートは作品ではありません。
人に見せるために作るものでもありません。
あなた自身が考え、理解し、あとから学びを深めるための道具です。

これからノートを取るときは、「きれいに書こう」と考える前に、一度だけ自分に問いかけてみてください。

「私は今、写しているだけなのか。
それとも、理解しながら書いているのか。」

この小さな意識の違いが、学び方を大きく変えていきます。

<第2章 私のノートは汚かった>

「頭の良い人のノート」と聞くと、あなたはどんなノートを思い浮かべますか。

字がきれいで、色分けがされ、図や表も美しく整理されたノートを想像する人が多いかもしれません。

私は決して頭がいいわけではありません。
そのノートは正反対に字は大きく、決してきれいではありません。
書き方も整っておらず、人に見せるようなノートではありませんでした。
「えらい字が大きいな」「めちゃくちゃ雑なノートやないか」「見ても分からんわ」と言われたこともあります。
それでも私は、その書き方を変えようとは思いませんでした。

なぜなら、私にとってノートは「見せるもの」ではなく、「理解するための道具」だったからです。

授業中は先生の話を聞きながら、「これは重要だ」「ここがポイントだ」と思ったことだけを書き、自分なりの言葉で要約するようにしていました。
そして、あとから新しく気づいたことや先生の補足説明を書き加えられるよう、あえて余白を残していました。
きれいにページを埋めることよりも、あとで何度でも育てられるノートを目指していたのです。

反対に、ノートをきれいに書くことに夢中になると、勉強の目的が変わってしまいます。
黒板を写すことに集中し、色ペンを使い分け、文字の大きさやレイアウトを整えることに時間をかける。
そして、ノートが完成すると、「今日もよく勉強した」という満足感だけが残ります。

しかし、その満足感は、学んだ内容を理解できたこととは別のものです。
ノートは完成しましたが、理解は完成していないのです。

これは、料理でいえば、きれいに盛り付けはできたけれど、味見をしていないようなものです。
見た目は立派でも、本当に理解できているかどうかは別問題なのです。

もちろん、字がきれいなことが悪いわけではありません。
整理されたノートは復習しやすく、見返しやすいという長所があります。

しかし、それ以上に大切なのは、「考えながら書いたかどうか」です。

私は、自分で理解した内容を、一目でわかるように、短くまとめることを意識していました。
だから、あとでノートを見返すと、そのとき何を考え、何に疑問を持ち、どこが重要だと思ったのかが思い出せました。

つまり、ノートには情報だけではなく、自分の思考も記録されていたのです。

本当に価値のあるノートとは、きれいなノートではありません。
自分の頭の中を整理したノートです。

人と比べる必要もありません。
SNSで紹介されるような、美しく色分けされたノートを目指す必要もありません。
あなた自身が見返したときに、「なるほど、そういうことだったのか」と理解を思い出せるなら、そのノートは十分に価値があります。

ノートは作品ではありません。
学び続けるための「思考の記録」であり、「未来の自分へのメッセージ」です。
そのことを忘れなければ、ノートの書き方は自然と変わっていくはずです。

<第3章 書き写すより要約する>

ノートを取るとき、多くの人は「先生が話したことを漏らさず書こう」と考えます。

もちろん、大切な内容を記録することは必要です。
しかし、黒板や教科書をそのまま書き写しているだけでは、学力は思うようには伸びません。

なぜなら、「書き写す」という作業は、必ずしも「理解する」という作業ではないからです。

極端な話、意味が分からない外国語の文章でも、そのまま書き写すことはできます。
しかし、それで内容を理解したことにはなりません。
勉強でも同じです。

ただ書き写すだけでは、情報はノートに残っても、頭の中には残りにくいのです。

では、どうすれば理解が深まるのでしょうか。
その答えが、「要約する」ことです。

要約とは、長い説明の中から本当に大切なことを抜き出し、自分の言葉で短くまとめることです。

例えば、先生が五分間かけて説明した内容を、「つまり○○ということだ」と一文で表現してみる。
教科書の十行を二、三行にまとめてみる。
この作業をしようとすると、自然と頭が働き始めます。

「何が一番大切なのだろう。」
「この話の結論は何だろう。」
「自分ならどう説明するだろう。」
そんな問いを自分に投げかけることになります。

つまり、要約するということは、「考えること」そのものなのです。

私は学生時代から、この要約を意識してノートを取っていました。
黒板に書かれた内容をそのまま写すのではなく、「これは要するに何を伝えたいのか」と考え、自分なりの言葉に置き換えて書いていました。

最初は時間がかかります。
うまくまとめられないこともあります。
しかし、それは理解が足りていないということです。

反対に、内容を十分に理解できると、不思議なくらい短い言葉で説明できるようになります。

よく、「人に分かりやすく説明できる人は、本当に理解している人だ」と言われます。
これは学習でもまったく同じです。

自分の言葉でまとめられるということは、知識が単なる暗記ではなく、自分の理解へと変わった証拠なのです。

近年注目されている「ファインマン・テクニック」も、この考え方に基づいています。
物理学者リチャード・ファインマンは、
「難しいことを子どもにも分かるように説明できるなら、本当に理解していると言える」という考え方を大切にしていました。

つまり、要約とは単に文章を短くする技術ではありません。
理解した内容を、自分の言葉で再構築する学習法なのです。

もちろん、授業中にすべてを要約する必要はありません。
まずは重要だと思ったところだけでも構いません。
授業の終わりに、「今日学んだことを一文でまとめる」と決めるだけでも、理解の深さは大きく変わります。

もしノートを書く時間があるなら、文字数を増やすことよりも、「つまり何だろう」と考える時間を増やしてください。
その数分間の思考が、何ページもの書き写しよりも価値のある学習になります。

ノートは、知識を書き込む場所ではありません。
理解を書き残す場所です。
その意識を持つだけで、ノートは「記録帳」から「学びを育てる道具」へと変わっていくでしょう。

<第4章 余白は最高の勉強スペース>

ノートを取るとき、多くの人は「もったいないからページを無駄なく使おう」と考えます。

行と行の間を詰め、余白をほとんど作らず、ページいっぱいに文字を書き込む。最後まできれいに埋まると、「しっかり勉強した」という達成感もあります。

しかし、理解型学習の視点から見ると、そのノートには一つ大きな問題があります。
あとから書き加える場所がないのです。

学びは、一度で完成するものではありません。
授業を受けたときには分からなかったことが、復習をして初めて理解できることがあります。

先生の何気ない一言が、あとになって重要な意味を持つこともあります。
本を読んで新しい知識を得たり、AIに質問して疑問が解決したりすることもあるでしょう。
そのたびに、ノートは少しずつ成長していきます。
だから私は、ノートには意識的に余白を残していました。

余白は「空いている場所」ではありません。
未来の自分が学ぶためのスペースなのです。

例えば、復習をしていて「ここはこう考えればよかったのか」と気づいたことを書き加える。
教科書には書かれていない先生の補足説明をメモする。
関連する知識や、自分なりの例を書き添える。
あるいは、「ここがまだ分からない」と疑問を書いておき、あとで調べた答えを追記する。

こうした積み重ねによって、ノートは単なる授業の記録ではなく、自分だけの参考書へと変わっていきます。

私は、授業中に完璧なノートを作ろうとは考えていませんでした。
むしろ、「あとで完成させればいい」と思っていました。
だから、急いで黒板を書き写すよりも、先生の話をしっかり聞き、理解することを優先していました。

分からないところがあれば、その場で無理に書き写すのではなく、疑問符を付けておきます。
そして復習するときに調べたり、先生に質問したりして、その余白に答えを書き加えていました。

このようにしてできあがったノートは、最初に書いたときよりも、何倍も価値のある一冊になります。
反対に、ページいっぱいに書き込まれたノートは、あとから新しい発見を書き込むことができません。
学びが進んでも、ノートだけは授業の日のまま止まってしまうのです。

私は、ノートとは「完成品」ではなく、「成長記録」だと思っています。
学ぶたびに書き足され、理解が深まるたびに内容が充実していく。
そんなノートこそ、本当に役立つノートです。

これからノートを取るときは、ぜひ少しだけ勇気を出して余白を残してみてください。
その余白は無駄なスペースではありません。
未来の自分が、今の自分よりも深く理解するための大切な場所です。

ノートは、一度書いて終わるものではありません。
何度も開き、何度も書き足し、何度も考えることで、本当の価値を持つようになるのです。

<第5章 色は少ないほど頭は整理される>

文房具店へ行くと、たくさんの色のペンやマーカーが並んでいます。

最近では、色鮮やかで見た目も美しいノートがSNSなどで紹介されることも多く、「きれいなノートを作りたい」と思う人も少なくありません。

もちろん、色を使うこと自体は悪いことではありません。
大切な部分が目立ち、復習しやすくなるというメリットがあります。

しかし、色を使いすぎると、かえってノートが見づらくなってしまうことがあります。

赤、青、緑、黄色、オレンジ、紫……。
たくさんの色が並ぶと、「何が一番重要なのか」が分からなくなってしまうのです。

色は、本来「重要な情報を目立たせる」ためのものです。
すべてを目立たせようとすると、結果として何も目立たなくなります。

私は学生時代から、色はできるだけ少なくするようにしていました。
基本は黒で書き、重要な部分だけ赤、補足や後から気づいたことは青というように、三色以内に抑えていました。
これだけでも十分に情報を整理できます。

大切なのは、色の数ではなく、「色に意味を持たせること」です。
例えば、

  • ……基本事項や授業内容

  • ……特に重要なポイントや試験に出そうな内容

  • ……補足説明や復習で気づいたこと

このように、自分なりのルールを決めておけば、ノートを開いただけで情報の種類が分かります。
さらに私は、色だけでなく記号もよく使っていました。
例えば、

  • ★……特に重要

  • ◎……必ず覚える内容

  • →……因果関係や話の流れ

  • =……言い換え

  • ?……まだ理解できていないこと

  • !……新しい発見や気づき

こうした記号は、文字を増やさなくても情報を整理できます。
特に「?」はおすすめです。
分からないことをそのままにせず、「ここは理解できていない」という印を付けておけば、復習するときに優先して確認できます。

理解型学習では、「分からないことが分かる」ことも大切な学びです。
だから、「?」は恥ずかしい印ではなく、成長のスタート地点なのです。

また、色や記号にはもう一つ大切な役割があります。
それは、思考を整理することです。

例えば、「→」を書けば因果関係を意識するようになります。
「=」を書けば、「つまりどういうことか」と言い換えを考えるようになります。
「★」を付けるときには、「本当に重要なのはどこだろう」と判断することになります。
つまり、色や記号を使うこと自体が、考えるきっかけになるのです。

反対に、何も考えずにすべてを赤線で囲んだり、マーカーを引いたりしても、理解は深まりません。
ノートを見やすくするために色を使うのではなく、考えやすくするために色を使う
この意識が大切です。

ノートは芸術作品ではありません。
色の多さを競うものでもありません。

自分が見返したときに、一目で内容が整理され、理解しやすいことが何よりも重要です。

ぜひ、自分だけの「三色ルール」と「記号ルール」を作ってみてください。
シンプルなノートほど、頭の中もシンプルに整理されます。
そして、そのシンプルさが、深い理解へとつながっていくのです。

<第6章 テーマが変わればページも変える>

ノートを見返していて、「どこに書いたのか分からない」と困った経験はありませんか。

数学の公式の横に別の問題の解き方が書かれていたり、英語の文法の途中から単語の意味が始まっていたり、一つのページにいくつもの話題が混ざっていたりすると、必要な情報を探すだけで時間がかかってしまいます。

これは勉強だけでなく、仕事でも同じです。

情報は整理されているほど、必要なときにすぐ取り出すことができます。
だから私は、テーマが変わったら新しいページを使うことを意識していました。

「まだ半分しか使っていないから、もったいない。」
そう思う人もいるかもしれません。

しかし、ノートは紙を節約するためのものではありません。
時間を節約し、理解を深めるためのものです。

例えば、「割合」の授業が終わり、次に「速さ」の学習が始まるなら、新しいページから始めます。
歴史なら「鎌倉時代」が終わったら、「室町時代」は次のページにします。
英語なら、「現在完了」と「受動態」を同じページに詰め込まず、それぞれ独立したページにまとめます。

このようにテーマごとにページを分けるだけで、復習するときの効率は大きく変わります。
「あの内容は、このページにあった。」
そうすぐに思い出せるようになるからです。

さらに、ページを分けておけば、あとから新しい知識を書き加えることも簡単です。
授業では説明されなかった内容を参考書で調べて追記したり、問題を解いて気づいたことを書き足したりするスペースも確保できます。
もし途中から別のテーマを書き始めてしまうと、そのページには追記する余地がなくなってしまいます。
せっかく余白を残していても、テーマが混ざってしまえば、ノート全体が見づらくなってしまうのです。

私は、ノートを「一冊の本」のように考えていました。
本は、一つの章が終われば次の章へ進みます。
途中で突然、別の話題が入り込むことはありません。
ノートも同じように整理すると、あとで読み返したときに内容の流れがよく分かります。

また、ページの最初には、そのテーマのタイトルを書くこともおすすめします。

例えば、
「一次方程式」
「江戸時代の政治」
「現在完了」
というように見出しを書いておくだけで、目的のページを探しやすくなります。

日付を書いておくのもよいでしょう。
いつ学んだ内容なのかが分かり、復習の計画も立てやすくなります。
ノートは、一度書いて終わるものではありません。
何度も開き、何度も見返すものです。
だからこそ、「書きやすさ」よりも「見返しやすさ」を意識することが大切です。

ページを一枚使うことを惜しまないでください。
その一枚が、あとで何十分もの復習時間を短縮し、理解を深めてくれるかもしれません。

テーマごとにページを分ける。

一見すると小さな工夫ですが、この積み重ねが、学びを整理し、知識を長く定着させる大きな力になるのです。

<第7章 有名なノート術に共通すること>

ここまで、「理解するためのノート」の考え方についてお話ししてきました。

この考え方は私だけのものではありません。
世界には、さまざまなノート術があります。

仕事で成果を上げるために考えられたもの、
大学での学習を効率化するためのもの、
理解を深めるために生まれたものなど、その目的や形は少しずつ違います。

しかし、その根底には共通する考え方があります。
それは、「ノートは考えるための道具である」ということです。

例えば、「コーネル式ノート」は、ノートを「記録する欄」「キーワードを書く欄」「要約を書く欄」の三つに分ける方法です。
授業中に内容を書き留めるだけで終わるのではなく、あとから重要なキーワードを書き出し、最後に自分の言葉で内容を要約します。
つまり、何度も考え直すことで理解を深める仕組みになっています。

「マッキンゼー式三分割ノート」も同じです。
情報を整理しながら、「結論は何か」「その理由は何か」と考えることを重視しています。
これは、仕事で必要な論理的思考力を鍛えるための方法でもあります。

「東大式五フレームノート」は、情報を分類し、関連性を整理することで、知識を体系的に理解しようという考え方です。
覚えることよりも、知識同士のつながりを見つけることを大切にしています。

さらに、「ファインマン・テクニック」は、「子どもにも説明できるくらい簡単に説明できれば、本当に理解している」と考える学習法です。
自分の言葉で説明することによって、理解できていない部分がはっきり見えてきます。

このように、それぞれ方法は違っていても、目指しているものは同じです。
「書くこと」ではなく、「考えること」。
「記録すること」ではなく、「理解すること」。

だからこそ、どのノート術を使うかよりも、その考え方を理解することのほうが大切なのです。

私はこれまで、自分なりの方法でノートを取り続けてきました。
当時は、コーネル式ノートやファインマン・テクニックという名前を知っていたわけではありません。
それでも、「自分の言葉でまとめる」「余白を残す」「あとで書き足す」「理解することを目的にする」という考え方は、自然と実践していました。

振り返ってみると、それは多くの優れたノート術と共通する考え方だったのです。

学校では、「ノートを取りなさい」と教えてくれます。
しかし、「なぜそのように書くのか」「どう書けば理解が深まるのか」までは、あまり教えてくれません。
だからこそ、ノートを書く目的を知ることが大切なのです。

これからノートを開くときは、ぜひ次のことを思い出してください。

ノートは、きれいに作るものではありません。
ノートは、頭の中を整理し、理解を深めるための道具です。

その意識を持つだけで、同じ授業を受けても、同じ本を読んでも、学びの質は大きく変わります。

そして、今回ご紹介した考え方は、ノートだけに限ったものではありません。
辞書の引き方、本の読み方、復習の方法、アウトプットの仕方にも共通しています。
これらを組み合わせることで、「理解する力」はさらに大きく伸びていきます。

次回の記事では、「メモを取る本当の意味」をテーマに、メモが単なる記録ではなく、「思考を逃さないための技術」であることについてお話しします。

お読みいただきありがとうございます。
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これからもよろしくお願いします。






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