漢字も書けない高卒が社長になり適応障害。AIで復活した男の全略歴|竹久夢藤とは何者か
最初に言っておきます。
私は漢字があまり書けません。
高校時代は担任の先生にこう言われました。
「お前は絶対社会人になれない」
今思えば、その言葉が私を動かし続けた燃料だったかもしれない。
でも当時は鼻で笑ってました。
社会なんかくそっくらい。
「お前は絶対社会人できない」と言われた高校時代
ギリギリで高校を卒業しました。
テストは壊滅的。
小学生レベルの漢字も怪しい…
勉強が得意だったわけでも、スポーツで目立っていたわけでもない。
真面目に登校するわけでもなく単位はギリギリ。
「本当にギリギリ運よく卒業できた」という感じで、胸を張れるものは何もありませんでした。
周りの同級生が大学進学を選ぶ中、私には選択肢が限られていました。
とにかく働くしかない。
それだけは決まっていました。
手取り9万円の整備士から副業で這い上がった話
最初の仕事は自動車整備士でした。
手取り9万円。
給料日に手渡されて、「これで生きていくのか」と思った感覚は今でも覚えています。
整備士を経て、溶接工見習いになりました。
現場仕事をしながら、空いた時間にTwitterを始めました。
最初は趣味のような感覚でしたが、仲間ができ、つながっていくうちに気づいたらコンサルや芸能人のアカウント運営を任されるようになっていました。
そのつながりで「ライターの仕事あるんだけど?」と言われ、某サイトのライターとしても活動して、少しずつ収入が増えていきました。
でも単価が安い。
「自分でやった方がいい」と思い立って、WordPressで芸能トレンドブログを開業しました。
これが当たりました。
本業年収の半分くらいを副業で稼げるようになっていました。
現場で汗を流しながら、夜はパソコンに向かっている日々。
しんどかったけど、楽しかった。
「俺にもできるじゃないか」という感覚が、初めて生まれた時期でした。
副業を5年放置した理由と後悔
息子が野球を始めました。
週末は野球で潰れるようになっていきました。
小学生の野球は親が参加しないといけない…
「仕事か家族か」という選択を迫られたとき、私は迷わず家族を選びました。
副業をセーブしました。
それと同時に、本業の施工管理が忙しくなっていきました。
残業120時間を超える月もありました。
代わりの人間もいない。
毎日現場と事務所を往復するだけで精一杯で、副業のことを考える余裕はゼロでした。
気づいたら5年が経っていました。
ブログの流入は大幅に減っていました。
月数千円。
副業のコンサルや芸能人のTwitter運営も途中でお断りしました。
あれだけ頑張って育てたサイトや副業のつながりが、放置の間に静かに死んでいました。
後悔したかというと、正直そうでもありません。
息子の野球を見ていた時間は、今でも宝物です。
ただ「続けていたらどうなっていたか」という想像は、今でもたまに頭をよぎります。
ChatGPTで職務経歴書を書き直してビズリーチで社長になった話
施工管理の現場は限界でした。
残業120時間超え。
私の担当は特殊なプラント工事で、事業が軌道に乗り休みもまともに取れないくらいに。
「代わりの人間を雇う」と言いながら、入ってくる仕事は大きいものばかりになるのに、状況は一向に変わらない。
このまま続けても先がない、と感じてビズリーチに登録しました。
経歴を入力すると、スカウトが来始めました。
おっ。こんな会社も来るんだ。とワクワクした記憶があります。
当時、初期のChatGPTが出始めたタイミングでした。
「これを使えるんじゃないか」と思って、職務経歴書の書き直しに使ってみました。
自分では気づかなかった強みを、AIが引き出してくれました。
TVで取り上げられたプラント案件を担当していたことがありました。
「それを前面に出せ」というアドバイスをもらい、職務経歴書を作り直しました。
そしてスカウトが来ました。
「社長をやってみないか」という話でした。
漢字もまともに書けない高卒の溶接工上がりが、社長になる。
正直、信じられませんでした。
でも飛び込みました。
雇われ社長として限界を迎えるまで
入社即社長でした。
20人の組織を任されました。
最初から逆風でした。
社長の引き継ぎを2人失敗していた会社で、得意先からの目線は「またか」というものでした。
マイナスからのスタート。
単身赴任でした。
年収720万円スタート・成果報酬で最大1,200万円という条件でしたが、2世帯分の生活費がかかります。
施工管理時代は長期出張は出張手当という形で非課税でご飯代が出ていたのが、全部給料から。
家に帰る交通費も馬鹿になりません。
課税されて手元に残る金額は、想定より全然少なかった。
「割に合わない」と感じ始めたのは早かったです。
追い打ちをかけたのが、前任の社長でした。
本来2年の任期が終わっていたのに延長されていた人物で、私が入ってからも影で仕事を新しい会社に回したり、根回ししたり。
やりたい放題でした。
負けん気の強い私は最初はやり合っていました。
でもM&Aで買った親会社の社長に言われました。
「それでは引き継げないだろ?」
その瞬間私の中で、会社のために頑張ったつもりがそんなふうに言われるなんて…
ぐっと飲み込むしかありませんでした。
入る前に頼れると言われた人間が2人いましたが、一人は60歳。
2人ともあまり当てにならなかった。
5年この会社は続かない、と確信した瞬間がありました。
その瞬間に、体が動かなくなりました。
適応障害になって気づいたこと
会社に行く途中、涙が止まらなくなりました。
それはホームシックではなく、今までに感じたことのない感覚。
適応障害でした。
「辞める」と決めました。
決めた瞬間、不思議と楽に。
それまでどれだけ自分を追い込んでいたか、辞めてから初めてわかりました。
家族に連絡すると、「帰っておいで」と言われました。
その一言で泣きました。
社長という肩書きも、年収も、全部どうでもよくなりました。
無職になりました。
無職のニートおっさんの完成です。
1年間、無職でした。
最初の数ヶ月は何もできませんでした。
ただ家にいるだけ。
息子の野球にも行けなくなりました。
無職で自分にいっぱいいっぱいだから。
適応障害になって気づいたことがあります。
私はずっと「認められたい」という気持ちで動いていたんだと思います。
「漢字も書けないお前が社会人できるわけない」と言った先生に証明したかった。
それが私のエンジンだったんだと、無職になって初めてわかりました。
無職1年・職業訓練・AIと出会い直した話
職業訓練を受けました。
電気関連の訓練です。
訓練校に通いながら、時間ができたのでAIを本格的に勉強し始めました。
転職活動でChatGPTを使ったことは覚えていました。
でもあの時は「使った」だけでした。
今度はちゃんと「学んだ」。
AIの可能性に気づいたのはこの時期です。
「これは義足になる」と感じました。
学歴がなくても、漢字が苦手でも、AIがあれば武器になる。
そう確信しました。
その後、またビズリーチで転職活動を始めました。
今度はAIをフル活用して職務経歴書を作り直し、スカウトが来た会社が今の職場です。
今の私とこのマガジンを書く理由
今は統括マネージャーとして働いています。
発注・見積もり・営業・現場管理・社内保全・経理のルール作り・客対応・工程管理、全部やっています。
仕事の量は施工管理時代や社長時代と変わらないかもしれない。
むしろ多くなった気もする。
でも全然違います。
AIのおかげで、メールに時間を費やしてたのも命令するだけで返信文ができる。
質問はググるより便利。
資料作りも完璧。
2重チェックもしてくれる。
しかも今の会社は問題点を放置しない会社で、一緒に良くしていく感覚がある。
それが私には合っています。
このマガジンを書こうと思った理由はシンプルです。
「漢字も書けないギリギリ高卒でもここまでできた」ということを伝えたかった。
私より学歴がある人は山ほどいます。
私より賢い人も、要領がいい人も、コミュニケーション能力が高い人もいます。
それでも私は今、それなりにやれています。
真面目さだけは誰にも負けないと思っています。
学生時代にやらなかった分、今は泣きながら勉強しています。
それだけです。
やる気さえあれば、何でもできます。
これは綺麗事じゃありません。
私が実証してきたことです。
このマガジンには、私がやってきたことを全部書きます。
AIの使い方も、転職の攻略法も、キャリア設計の考え方も、全部です。
難しいことは何もありません。
真面目にやるだけです。
一緒にやりましょう。
このマガジンに、私がやってきたことを全部書いています。
職務経歴書の作り方・ビズリーチの攻略法・面接対策・給与交渉・適応障害からの復活まで、AIを使った再現可能な手順で全部公開しています。
学歴は関係ありません。
やる気さえあれば、何でもできます。
高卒が社長になりAIで復活したキャリア逆転術
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漢字もまともに書けないギリギリ高卒が、現場仕事からビズリーチのスカウトで社長になりました。 そして適応障害で崩壊しました。 今は統括マ…
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