見出し画像

キム・ゴウンがセッティング、最高なノ・サンヒョン―映画「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」(イ・オニ監督、韓国、2025)

 

 2025年夏、短い間に2回映画館で観た作品だけど、また観たくて配信になることを楽しみにしてる作品。何がそんなに? この作品については、キム・ゴウンが出てるよね?くらいで、どんなテーマなのかとか、どんな設定なのかといったことはぜんぜん知らなかった、というか、あまり関心なかった。そんなにはありふれていない恋愛モノ?くらいの感じで、この、なんだか底の抜けたようなスケール感のタイトルにもピンとこなかったし、そんなわけで、ちょっと距離をとっていたところ、えっ―ということになったのは、6月、東京プライドのフェス会場(@代々木公園)で、何のブースか忘れてしまったけど、どこかのブースにかなり大きく、というか、ほとんどメインという感じで紹介されていたのをたまたま目にしたときだ。で、ちょっと気になってチェックしてみたら、キム・ゴウンとダブル主演のもうひとりは、ノ・サンヒョン! あのとき目にしたポスターもちゃんとは見てなかったから気づかなかったんだけど、彼はドラマ「パチンコ」(AppleTV⁺)でイサクを演じていて、ぼくは、そのイサクの気前のよさ、それはもう悲劇的なまでの気前のよさなんだけど、そんなイサクが大好きだったから、イサクを演じたノ・サンヒョンのことも気になっていたのだ。原作は、ミン・ジン・リー『パチンコ』(池田真紀子訳、文春2020)。在米コリアンの作者が在日コリアン100年の歴史を描いた作品。ぜひ。ドラマ版「パチンコ」でのイサクのライバルはイ・ミンホ演じるハンス。2人が対峙する場面、イ・ミンホが演った役のなかでも、とりわけカッコいい役がこのハンスだと思うんだけど、そんなハンスと対峙して、まったく引けを取らないノ・サンヒョンのイサク、仕立屋でのあの場面はとりわけ印象的―というわけで、ぼくが「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」を観たいと思ったのは、ぜんぜん違う文脈でのノ・サンヒョンも見てみたいと思ったからだ。

 さて、「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」。キム・ゴウン演じるジェヒとノ・サンヒョン演じるフンスは大学で同じフランス語のクラスを履修して知り合いに。ふたりともいろいろあるわけだけど、まずはジェヒ。彼女は「韓国社会の女の子/女子/女性」としての「あたりまえ」からはみ出ている女性だ。それはジェヒが帰国子女ということもあるようだし、放任家庭というバックボーンも絡みそうだけど、でも彼女は、一定程度は自分からも進んではみ出して行ってるようなところもある。「は、そんなふうに言うんだったら、そうしてやるよ」的な? けちくさい「あたりまえ」をチラつかされれば、自分からそれを踏みつけに行くという、そんな感じだ—タバコ、スクーター、クラブ通い、異性関係。その装いからライフスタイルまでこれみよがしにはみ出していく。だから、彼女は「あたりまえ」がどんなものなのか、どうあるのが「正解」なのかといったことを実のところよく理解しているのだ。そうでなければ、それにいらつくこともできない。だけど、じゃあ、本気出せば「あたりまえ」をこなせるのか、そのように振る舞うことができるのかというとそうでもないし、さらに同時に、本当はそんな自分を丸ごと理解してもらえるとうれしい―というなかなかにめんどくさくてイタくもあるという、シンプルにはいかないキャラ。「わたしは傷つけてもいい人間だと?」―号泣。でも誰かがそういうことで困っていれば、そのあり方を認め切ることもできちゃうのがジェヒだ。「あんたらしさがなんで”弱点”なの?」―って、ほんとナイスだ。

 一方、ノ・サンヒョンのフンス。彼は、できることなら「あたりまえ」に生きていきたいけど、それはムリな世界の住人、カミングアウトしないゲイだ。母親はその事実を「見ないふり」というやり方を採っているし、そうでないときは、「それ」を治癒するかもしれない「病気」だと思いたい人だから家も居心地悪いし、いろいろ投げやりになる寸前くらいのところを、クラブで適当な相手を見つけたりしてしのいでいる。ということで、フンスは他人とのつながりを持たないようにしてる人がまとう類の寡黙さを身につけている。恋人関係になりそうな青年にひんやりと伝えるひと言―「おれは他人の目が気になる」。そして、そんなたたずまいはノ・サンヒョンにピタリとハマるのだ。

 で、その問題の秘密がジェヒには思い切りバレるわけだけど、ジェヒは少しも気にしない、ぜんぜんだ。と同時に彼女は「周りは、そのことをすごく気にする」ということをとてもよく分かっている。ジェヒが教室に漂う「あいつゲイじゃね?」的な空気からフンスを救い出だす場面がすごくしっくりくるのはそのためだ。

 そんなこともあって、ふたりは仲よくなっていくわけだけど、その過程を追ったハイテンポな描写は楽しくてすごい引力だし説得的。下着ドロボーを捕まえる、手書きの同居契約書、ジェヒの部屋が「ふたりの部屋」になる瞬間のふたりの絶妙なシャイネス、冷凍ブルーベリーを頬張る、小さなタトゥ、狭いけどかわいい部屋―なるほど、こんなふうに仲よくなっていったんだね、という感じがホント心地よい。これは「また観たい」ということになるでしょ。

 ジェヒの孤立感は、物語のなかのあたりまえな人たちからすると「わがままなマジョリティ」の孤立感ということになりそうだけど、ぼくは「名前ついていないマイノリティ」のそれだと思っている。いずれにしても、ジェヒの、はみ出さずにはいられないけど、はみ出し切りたくはないというめんどくささをそれごとおもしろがってくれるような居場所はなかなか見つからない。ジェヒはいつも異性からの好奇のまなざしと同性からの「あの人ちょっとね」的なまなざしにさらされていた。変人として、過剰に性的な存在として噂のタネだし、遠巻きにされる。あだ名は「イカれ女」。でも、そんな人を寄せ付けないジェヒはフンスにとっては悪くなかったはずだ。「遠巻き」の内側に隠れてしまえるからだ。はみ出していって、結果、遠巻きにされてしまって、そこでの孤立感とはうまく付き合えないという感じのジェヒと、そうなるしかないフンス。だから、ふたりは日々刻々「あたりまえ」と格闘しながらも、「あたりまえ」ではない世界をぎりぎり生きるために、互いを守り合い、互いを必要とする2人になっていくのだ。こうして、「ゲイ男性✕ヘテロ女性」というすでにおなじみになっているファンタジーも「あり」なファンタジーになっていくわけだけど、ジェヒはやがて、いよいよ本気で「あたりまえ」の世界へと踏み込んでいく―。

 原作はパク・サンヨン『大都会の愛し方』。この小説が有名な作品だということも、すでにドラマ化されていたということも映画バージョンを観たあとで知って、そして、原作を読んであらためて思ったのは、ファンタジーバージョンのフンスをやり切ったノ・サンヒョンは最高だったなと。複雑で繊細なジェヒを自在に操るキム・ゴウンが次々と見せ場を、舞台を整えていく、で、ノ・サンヒョンがそのすべての場面で期待応える、あの原作に対峙するノ・サンヒョンのフンスは、イ・ミンホのハンスに対峙したイサクみたいだった―すばらしい。


いいなと思ったら応援しよう!