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昨日咲いていなかった花が今日咲いていた。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
新約聖書 マタイによる福音書6章25-34節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教学校で聖書科教員として働く、牧師です。

一昨日ベランダから見える桜の木を眺めながら、家族と「そろそろあの桜が咲く頃やねぇ」と話していました。その木は毎年近所で一番早く開花する木なのです。
今朝同じベランダからその木を見たら、なんと梢にちらほらと開花した桜の花が! 我が家の開花宣言。
と思っていたら、続々と地域のローカルニュースでも開花報告が上がって来始めました。植物ってすごいなぁ。みんな自分の「時」を知ってるんやなぁ。感心してしまいます。

咲き始めた桜を見て、しみじみ思いました。
「一昨日の夕刻にはまだ一輪も割いていなかった桜の花が、今朝はもうこんな風に咲き始めている。『変化』とか『希望の訪れ』は、もしかしたらこんな風に思いがけず突然やって来るのかも」と。

ところで、「マインドフルネス」という言葉が数年前に流行りました。
当時私は「なんだそれ~」とあまり気に留めていませんでした。
それが、最近になって読んだ本の中で「マインドフルネス」について説明されていて、「なるほど」と思ったのでした。

『セルフケアの道具箱』(伊藤絵美著、細川貂々絵)。
かわいらしい絵がいっぱいの本で、文字もそんなに詰まっていなくて読みやすいのは、本当にケアを必要としている「しんどい人」が何とか手に取れる程度の負荷に抑えようという、作者側の意図だろうなぁと思います。
加えて、この中で提案されている「セルフケア」の数々も、すべて「あんまり難しく考えなくていいからとりあえずどれかひとつやってみて」という軽やかさで示されています。これもまた、本当に「しんどい人」が真面目に頑張ってしまって一層しんどくなってしまわないようにということを慮っての試みでしょう。

この本の中で「マインドフルネス」についても提案されているのですが、「歩いている時に『自分は今歩いているな~』と、その『歩いていること』だけに意識を集中させる」とか、「レーズン一粒をまず目で眺め、指で触り、口に入れて触感を確かめ、噛んでみて歯ざわりを意識し……と、レーズン一粒に時間をかけて自分の五感に意識を集中させる」というようなやり方が書いてあります。
「マインドフルネス」は何となくヨガとかの瞑想のイメージが強かったのですが、いずれにせよ呼吸や五感や自分の身体に意識を集中させることで、「今、ここにある自分」にのみ思いを馳せ、余計な思い煩いからしばし解き放たれるというようなものなのかな、と理解しました。

改めて、私たちは普段「今、ここにある自分」をいかに置き去りにして、過去のことやこれから起こる(かもしれない)出来事にばかり神経をすり減らしているか、思い知らされました。

ストレスを感じてイライラしたり落ち込んだりしている自分というものを俯瞰で振り返ってみると、大抵「すでにもうどうすることもできない過去の出来事」を反芻して自分を苛んでいたり、これからどうなるのか結局分かりもしないのに悲観的な未来を想定して絶望していたり、という感じ。
それで何か捉え方や振る舞いが切り替わるならともかく、そうではなくただただ今の自分が辛くなってしまうだけのことがほとんどです。

そうか、だからマインドフルネスが有効なんだな、とちょっと納得。

「いつ咲くのかな、去年はいつだったかな」と桜の木を見ながら考えていても、そんな私の思いをはるかに飛び越えて、ちゃんと「咲く日」はやって来た。それも、私の想像よりもっと早く、もっと唐突に。

ついつい物事を悲観したり希望を見失ったりしそうになる時は、この桜のことを思い出そう、と思いました。
「まだ咲かない」と嘆くのではなく、「大丈夫、ちゃんと咲くさ」と信じて「今ここ」にある自分に感謝しつつ大切にしていれば、思っているよりも早く開花の日は来るものだ、と。

「明日のことまで思い悩むな」というイエスの言葉は、「どうとでもなるから心配するな」という投げやりな励ましではなく、「大丈夫、あなたの心配を超えて神さまはちゃんとあなたを導いてくださるから、今のあなたを大事にしてね」という労りのメッセージなのかなと思います。

絶望しか見出せないように思えてしまう昨今の世の中です。「希望の花はまだ咲かない」「希望の花はもう咲かないのではないか」とつい嘆息しがちな今日この頃。
でも、「希望の花は必ず咲く。それも、遠からず」。そのように信じて、今の自分の持ち場を守っていかねばな、と思わされました。

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