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ここまで書き続けてこられたのは、皆さんのおかげです。

アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、モーセはヨシュアに言った。
「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」
ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。
ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。
旧約聖書 出エジプト記 17章8-13節 (新共同訳)

こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。

なんか「最終回!」みたいなタイトルにしてしまいましたね(笑) たぶん違います(笑)

noteを始めて、もうすぐ丸3年になるのでしょうか。今見たら、公開中の記事が180本ちょっとありました。
初めは不定期でしたが、いつからか「毎週日曜日に一本ずつ」というリズムで定着しました。
noteは書き手に「書き続けさせる」ための工夫がいろいろあるなと感じています。その一つが、投稿時に「何週連続投稿」出て来るという数字と、「継続は力なり!」みたいな応援メッセージ。前回投稿時、「111週連続更新」というゾロ目の数字が出たことを覚えているので、丸2年は毎週投稿しているということになりますかね。えらいもんだ。(と、自分で言ってみる)(これがnote側の工夫の力だね)

そうは言っても実は「げー、また日曜日が来る。どうしよ。もう書くこと無いで~」と思っていることがほとんどです。今もそうです(笑)
年度末の忙しさや疲労のせいもあるでしょう。「毎週説教する教会の牧師はすごいけど、私なんか仕事でもないのにこんなん書き続けるの、ようやるわ」と自分でも思います。「もう別に週一ペースじゃなくったってええんやんな」「隔週にしようかしら」「誰に頼まれてるわけでもないのに、書いてる意味あるんかいな」と思うこともしばしばです。今もそうです(再)(笑)
でも、「今よりもっと大変な時、忙しい時も何とかかんとか続けてきたんやったら、せっかくやしもうちょっと続けられるかなぁ」と、えっちらおっちら自分の背中をゆっくり押しつつここまで続いてきました。そして、このまま行くとどうやら今回も、112週目も更新できそうです。たぶん。(ライブ感満載の記事ですね)

そもそも自分なんかが文章書く意味ってあるんかいな、というのは初めから思っていました。一本目の記事にそんなことを書いていますね。

「パン「五つ」分になるくらいは書けたらいいな」なんて言ってますけれども、180本書けてたらそこんとこは十分達成したと思っていいかもしれませんね。さらに「魚二匹分」くらいも補えてそうですね。おお、やったぜ、当初の目標は達成かな?

何度も何度も「まあいつやめてもええねん」「別に今週書かんかったって誰にも何の影響も無いねんよ」「大したことも書いてへんしな」と自虐クドウのささやき戦術(?)に負けそうになりながらも、「読んだよ」という反応に励まされたり、「今度あれについて書いてみてよ」なんていう助言をもらったりしながらここまで書き続けて来ました。

冒頭の聖書箇所は、旧約聖書のモーセの物語の一部です。モーセと言えば海が割れる話で有名です。
同胞イスラエル民族をエジプトから引き連れ、「海を渡る」奇跡などを経て旅を続けるモーセですが、この場面では「アマレク」と呼ばれる人たちとの戦いに臨んでいます。実際に最前線に立つのはヨシュアという人でしたが、モーセは「丘の頂で手を上げて祈る」という形で「参戦」します。

でもね、「手を上げ続ける」ってしんどいんですよね。当然、くたびれてくるとモーセの手は下がってくるのですが、モーセが手を下ろすとイスラエル側が劣勢になってしまうんです。

モーセは「もうやだ~、そろそろ手ぇ下ろしていい~?」と、疲れた顔で泣き言を言ったかもしれません。でもそこに仲間のアロンとフルという人が出て来て、両側からモーセの手を支えるのです。いわばモーセは両腕を仲間に預けた形。おかげでイスラエル勢は勝利したっていうんですから、「腕上げパワー」おそるべし。

面白いのは、この「くたびれた腕を、モーセ本人の努力だけではなく仲間の力で支えた」というところ。

直接剣を取って参戦するならともかく、離れた所で「手を上げて祈り続ける」というのは、ひょっとしたら「戦いの手応え」にはやや乏しかったかもしれない。「自分がやっていることの手応えが無い」というのは、人をものすごく消耗させるものだと思います。
でもそんなモーセを両側から支えた仲間がいた。その仲間がいたからこそ、下ろしたくなった、だるく痛くなった腕を、モーセは上げ続けることができた。

何かの働きを続ける、ということの背景には、多かれ少なかれこういう構図があるような気がします。

このnoteの更新だけでなく、仕事だって勉強だって家事だって、「同じことを続ける」ように思われる日々の営みの中では、投げ出してしまいたくなる局面が何度も訪れることでしょう。
けれどもそういう時に誰かが傍で支えてくれるということのおかげで、忍耐や継続が可能になる。「手を上げる」という行いも「その腕を両側から持ち上げて支える」という行いも、決して劇的でも奇跡的でもない、ちょっと滑稽ささえ漂う地味なものかもしれないけれど、その先に「勝利」とも呼び得る希望が訪れる。
そういうことって、あるんじゃないかな、と思いました。

そんなわけで、今日もたぶん更新達成です(笑)
小さくて地味な積み重ねだけど、読んでくださる皆さんのおかげで「丸2年間毎週更新」という一つの達成を果たすことができました。まだもう一押し頑張ってみようと思うので、私のなかなか上がらない腕を、ちょっとずつ持ち上げてくださったら嬉しいです。



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