春の落ち着かなさの中で思うこと。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。
新約聖書 マタイによる福音書 6章28-30節 (新共同訳)
こんにちは、くどちんです。キリスト教主義学校で聖書科教員をしている、牧師です。
いよいよ2022年度が終わりますね。私は学校という場所で働いているので、この3月から4月の年度替わりというのは「一新」という印象が強いです。
学年等の担当が変わるのに合わせて、机の引っ越しもします。移動に伴って、要らなくなった書類をシュレッダーしまくったり、一年分積もってしまった本立ての裏側の埃を拭き取ったり。
「新しくなる」というのは、心浮き立つ部分もあります。明るくなってきた春の日差しに後押しされた、何か期待の漂う、胸が膨らむような気持ち。
一方で、落ち着かなさも感じます。先の机の引っ越しみたいなことも含め、居場所やポジションが変わることに対する心もとなさ、そわそわざわざわした感じ。
春と言えば、今私の家の近所では、桜が満開に差し掛かるところです。
今年はお花見を楽しめるかな……とこちらもわくわくはするんです。でも、桜の花がひらひら散りゆく姿というのは、何か急き立てられるような、儚さに焦りを掻き立てられるような、そんな気分にもなってしまいます、毎年。
「花」「開花」というのはとてもポジティブなイメージだけれども、花びらのやわらかさや散りゆくまでの刹那の姿など、やはり心もとなさとセットなところがあるんですよね。
「変化」というのは、そういう二つの側面を持っているものです。だからこの「春」という季節は、期待と不安、前向きな力と気後れする弱さ、その両方を感じる季節なんだなと思います。
私は日頃中高生と接していますが、彼らは「思春期」と呼ばれる時期を過ごす人たちです。
「思春期」の「春」にはいろんな意味があるようですが、それにしてもこの若い「変化」に富んだ時期を「春」と呼ぶのには知恵を感じるなぁと思ってしまいます。
青春、というと輝かしい美しいものの代名詞のように言われますけれども、間近で見る彼らにはその時期ならではの苦悩や葛藤があって、決して美しいだけとは言い切れない部分があります。活気のある時期であればこそ、悩みや苦しみもまた劇薬のように純粋に激しく彼ら自身を苦しめるのだろうと、痛々しく思いつつ見守ることも多くあります。自分自身を振り返っても、そうでしたもんね。
大人になると良くも悪くも鈍化して、そういう苦悩でさえも日常の中でやがて紛れたり、少し俯瞰して「まあ今までもいろいろあったけど何とかなってきたしな」というように相対化することができます。
でも思春期を生きる彼らは、「今この時」を純度の高い状態で生きているので、苦悩への「囚われ」の度合いもきついものがあるように感じます。
そういう危うく儚い、激しくも壊れやすい「花の季節」を経て、やがて葉は色を濃くし、枝は勢いよく伸びて根がたくましく張り巡らされ、確かな実りに繋がる、そんな人生の季節へと向かっていくのですね。
苦しい時というのは、その苦しさしか見えなくなってしまいがちです。でも、今のその危うい時期もまた大きな「変化」の過程の一段階に過ぎないということを、どこかで伝えてあげられたらなぁと思います。
なかなか開かないつぼみもまた良し。美しく咲き誇り人々に愛でられる花の姿ももちろん良し。でも散りゆく姿もまた良いし、花が散って終わりではなくその先に来る若葉の姿も素敵だし、紅葉も実りも楽しみにしていい。そして冬枯れの姿にも、凛とした美しさがあるのです。
我が推し、BTSのSUGA氏は「感情に意味を持たせ過ぎない」ということを言っていて、私はこの言葉にずいぶんと感銘を受けました。
これは「感情に意味が無い」というのとは違って、「意味を持たせ過ぎない」というところが肝なんですよね、きっと。
その時その時の感情にはもちろんそれぞれに意味があったり(無かったり)して、でもそこに囚われ過ぎない。良くも悪くも全ては過ぎ行く、人生は一過性のもの。「だから感情には意味が無い」ではなくて、「だから心配せずとも今ある感情もまた移りゆくよ」という意味としてこの言葉を噛み締めています。
「今」が納得できる状況でないからといって、それが全てではない。一方、過去の栄光に囚われたり、やがて来る逆境や衰えに怯えたりしたとしても、それも「また移りゆく」から、案じ過ぎなくていい。
若い者も年を重ねた者も、花盛りの者も散りゆく者も、不安にならなくていい。移ろいゆく人生の季節の中で、今この時与えられている祝福を味わいながら歩めたらいいな、と思う春なのでした。

