私は自分を「雑に救えない」らしい
いま振り返ると、分かる。
私は長い間、自分を大切にしようなんて思っていなかった事に。
むしろ、自分を否定して責め立て
「自分の何が悪かったのか」を探し続けていた。
その場で崩れ落ちて泣いている事は、弱さだと思っていた。
立ち止まっている場合じゃないんだ。
どこかに原因があるはずだし、今より良くなる方法があるはず。
そう思って考え込んだ。
自分を労わるという発想はなかった。
誰も私を労わってくれることはなかったから、単純に知らなかっただけかもしれないけど。
ただ自分と向き合うしかなかった。
それしか、やり方を知らなかった。
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よく言われる
「自分を大事にする」「自分を甘やかす」
という言葉には、どこか勢いがあって壁を感じていた。
つらいなら休めばいい
嫌なら離れればいい、というような類の言葉。
出来ているはずなのに、出来ていない感じ。
私の場合は休むことも、離れることも、実際にはしてきた。
不登校だった時期もあるし、今は働くことから身を引いている。
その場から逃げる選択が取れなかったわけではない。
ただ、どんな状況でも手抜きができなかった。
休んでいても、離れていても、
頭の中では、ずっと何かを考え続けていた。
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学校に行けず、自分の世界に閉じこもった日々。
あの頃も、今も、生活は静かなはずなのに
気持ちはいつも、何かを探していた。
休んでいるはずなのに、
休んだ感覚だけが、なかった。
なぜこうなったのか。
何が足りなかったのか。
どこで間違えたのか。
いくら休んでいても
頭の中では、自分を許すことはできなかった。
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どうしてこうなったのか突き止めない限り
前に進んではいけない気がしていた。
そこに優しさや労りはなく
自分を理解するためというより
自分を責めるための思考だったと思う。
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今振り返ると、助けを呼ばなかったのではなく
誰かが助けてくれる、という事を知らなかったのだと思う。
「人を頼る」という選択肢がなかった。
あるいは幼い日の、最初の一手で踏みにじられて、選択肢から消えてしまったのかもしれない。
だから、自分に問い続けるしかなかった。
それは、自分を大切にできなかったからでも、
意志が弱かったからでもない。
私はただ、
雑に救う、という方法を持っていなかった。
ちゃんと分からないまま、理解できない状態で全てを飲み込むことが出来なかった。
納得できないと、自分を救うことができなかっただけ。
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今も、この考え方が完全に変わったわけではない。
ただあの頃の私には、その選択をせざるを得なかった。
それだけは分かる。
そう思えるようになっただけで、少し呼吸がしやすくなった。
これは、
私が自分について理解した一つの経過の話。
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