【小説】ガトーショコラに地獄 修二編②
やがて続々と人が、小親村で一番豪華な旅館に集まってきた。みな、この村や旅館の美しさ、鮮やかさ、華やかさにわぁわぁ言いながら。まるで旅行かのように。
喪服姿の修二たちは、旅館の喫煙スペース近くのソファで駄弁っていた。古びた、まるで神社の御神木のように立派な木のオブジェを囲むベンチで、スマートフォンを弄る。
大きな黒い窓の向こうにある、外の喫煙スペースでは、冬也が煙草を吸っている。修二と明里は現在進行系で、結構な時間、待たされていた。どうやらしばらく会わないうちに、冬也は相当な喫煙者になっていたようだ。
「人多くないか、結構」
「やっぱり人多いよね? あたしも思った。ベルってこんなに関係者いるの? だって家族とは……」
「あぁ。変なマルチにハマった母親に、毎日怒鳴られてたって」
「そういう系ね。うちの従業員にもいる。どこの家も何かしらあるんだよね、結局。昔は被害者の子供たちが声を上げられなかったから、見えなかったってだけで、きっと昔から親の被害者はいた。今は声を上げられる時代だからこそ、わかることもあるわね」
「あぁ」
「ま、幸せな時代になったよ。きっとね」
明里は吐き捨てた。妙に饒舌なのを修二は疑問に思ったが、明里はこれ以上話す気はなさそうだった。会話が途切れて、妙な静寂が広がる。
「そういえば、さっき話しかけてきた女の子たちに聞いたんだけど」
「あー、なんか声かけられてたな。すごいきゃぴきゃぴした子たちに」
「きゃぴきゃぴって……。あの年頃ならあれが普通くらいよ? やば、しゅうくん本当におっさんになったね」
「うるさい引くな。で?」
「ちょっとその、妙だなって」
明里の大きくカールしたまつ毛が、だんだんと増えていくまばたきで、ぎこちなく揺れる。
「あの子たち、ベルとバイト先が同じだっただけなんだって。高校生のとき一緒で、ベルは大学生アルバイトの先輩のひとりだったから、来たんだって言ってた」
「へぇ。ベルと仲良かったんだ」
ベルはカフェでアルバイトをしていた。あの頃はインスタでおしゃれなカフェなどの投稿が流行っていて、ベルも「ここで働けるなんて」と最初は嬉しそうだった。だんだんと忙しくなり、次第に「シフト多すぎ」と疲れたように笑っていたこともあったけれど。
「でも、ベルとは仲が良かったわけじゃないみたい」
「は?」
「ベルって少し、ていうか結構抜けてるし、トロいとこあったでしょ?」
「それは、まあ」
「だから仕事できなくて、後輩からも『給料もらって恥ずかしくないのか』って、見下されてたみたいなの。あたしは当時、なんかベル、うまくいってないのかなとは少し予想ついてたけど。あの子たち、三毛門社長のインスタのファンですって言われたからおしゃべりしたけど、嬉しそうに『給料泥棒のお葬式なんて、なんで来なくちゃいけないんでしょうね』って言われたときは、さすがのあたしもビビったわ」
修二は短く息を吸う。
「待てよ。俺、聞いたことない、そんな話。だってベルはあんなに楽しそうにバイトして」
明里がすぐに、疲れたようなため息を付いた。子供に言い聞かせる母親のように「あのね」と呟く。
「しゅうくんさぁ、前から、ほんと大学の頃から言いたかったんだけど。しゅうくんは人の話を鵜呑みにしすぎ。特にベルの話を信じすぎよ。恋は盲目っていうけどさぁ」
「そんなにひどい? 俺」
「うん。仕事とか大丈夫? 新城(しんじょう)先輩のアパレルでしょ? 取引とかで馬鹿正直に相手の言うこと成すこと、鵜呑みにしてないでしょうね?」
「そんなことな、いや、たまにあるけど」
「あるんかい」
確かに代表取締役社長である新城に、よく「お前、クールでモテるくせに、根はいい子ちゃんだからなぁ」とからかわれてはいた。クライアントに納期を勝手に伸ばされたり、納品をすっぽかされたり、嘘をつかれたりしたことがたくさんあった。今は新城のからかいの言葉さえもが、修二の鈍感さ、情けなさの象徴のように思えて、唇の端が下がる。
この旅館の、修二の住むアパートの部屋より広い玄関先が脳裏に浮かぶ。あの玄関先ではしゃいでいた女子たちは、ベルのことを給料泥棒呼ばわりしていたのか。ただの後輩の、当時は高校生だった子供の分際で、見下して。もしかしたらベルが「シフトが多い」と零していたのも、あいつらの肩代わりをしていたのではないか。勝手な推測がふつふつと沸いてくる。
首の後ろに冷水をかけられたような、寒くて静かな苛立ちに包まれる。修二は眉間に皺を寄せた。苛立ちはおそらく、今の今まで何も知らずにいた己自身にも向いている。その自覚があった。
「明里、なんでそいつら、ここに来たんだ? 来なくていいだろ、ベルにそんなこと言った奴らなんて。さっさと荷物まとめて帰れよ」
「ちょ、落ち着いて。目バキバキじゃん。相変わらず怒ると怖いなぁ」
明里が視線を下に逸らす。
「まぁ、しゅうくんもそう思ったよね。そこがあたしが一番妙に感じるとこ。その子たちね、2週間くらい前から毎日、夢で言われたんだって」
指先に力が入る。夢。修二にとって、あまりに身に覚えがある単語。
「ベルの葬式に来ないと、自分にとって大切な誰かが死ぬ、とか、不幸な目に遭うとか」
「え」
「さっき話した子は全員で4人いたんだけど、4人全員が同じような夢を見てたの。神社とかお祓いとか行ってもお手上げで、もうここに来るしか手はないって神主さんとか霊媒師に言われたから、仕方なく来たそうよ」
顔の肉がどんどんと強張っていく。修二は思わず首を左右に振っていた。ベルは優しい女の子だった。そんな一昔前のホラー映画じゃあるまいし。
「そいつらも性格悪いな。趣味の悪い嘘だろ、そんなの。だって俺のときはベル、あの頃と同じく優しい笑顔で、俺のこと葬式で待ってるって言ってた」
「……しゅうくんも見たの? 夢」
「うん。俺のは全然、不幸とかそんな感じじゃなかった。白くてキレイな部屋で、ベルが立ってたよ」
あの頃よく着ていた、お気に入りのピンクのワンピースで、あの頃と同じ、ミルクティーベージュに染めたロングヘアーで。確かに笑いかけてくれたんだ。
修二は口をぎゅっと一文字に結んだ。指の先でふわふわと妙な浮遊感を抱く。不安定な場所に立っているみたいに、心と身体が落ち着かない。
明里の顔をそっと見る。明里は白い肌に汗のしずくをひとつ浮かべていた。ここは汗なんて似合わない、むしろ涼しい場所だった。
「明里?」
明里の黒目がおぼつかなく揺れる。修二はまばたきをした。一瞬、ほんの一瞬だけ、明里の目が血のように赤くなったような気がしたのだ。
「……やっぱり、あのときのことが原因で、あたしはベルに、きっと」
彼女の声はわずかに震えていた。叱られる前の子供を見ているような気分になり、修二は咄嗟に明里の肩に手を伸ばそうとしていた。
がらり、と無機質な音が空気を裂く。
「うぃーす、お待たせしました」
「と、冬也、遅いっ! 何本吸ってんのよ」
「ヤニ吸わなきゃやってらんねー身体になっちまったんですよ、明里さんみたいにオレ、ずぶとく強かじゃないんで」
「悪口?」
「まさかぁ。褒め言葉ですって」
明里の珍しくぎこちない声が響く。「そろそろ式の時間っすね」と冬也が歩いていくのに続いて、明里も席を立つ。
「おい、明里」
「しゅうくん」
明里は振り返らず、言葉を続ける。彼女にしては珍しく、背中が自信なさげに丸まっていた。
「今日は、せめて今日だけは、人の言うこと鵜呑みにしすぎないでね。お願い、なんか、嫌な予感がするの」
「急になんだよ。あのベルの葬式で、縁起でもない」
明里が振り返る。
「あたしは、しゅうくんだけには、幸せになってほしい。だから言うよ。この葬式、あんまり、いい感じがしない」
振り払うような大股歩きで、彼女はこの場を去っていく。先ほどまで快晴だった3月の空に、少しずつ雲が浮かび始めた。
*
式が行われるのは、村から少し隣町寄りに進んだ、山奥にあるセレモニーホールだった。旅館からは小さなバスで行くことになった。
昼の10時、玄関に人がぞろぞろと集う。今日の参列者はざっと数えて20人ほど。その中には例の、ベルの元後輩たちもいた。明里はその女性たちに無理やり引っ張らえて、おしゃべりをしている。修二も「一緒に喋りましょ」と媚びた視線を向けられたが、吐き捨てるように断った。こんな奴らと話すことなど何もないのだ。
冬也とふたり、バスを待つ。
「冬也、お前ちゃんと消臭したか? 煙草臭いのと香水の匂いが混じってるんだけど」
「ちゃんとやりましたって。多少は大目に見てくださいよ」
「お前、このまま行くと変なネックレスとか売る、金ピカのスーツ着たおっさんになりそうだな。そんな感じの匂いがする」
「シンプルに悪口」
「ごめんって」
「もう。ま、どうせ線香の匂いで消えるんですから」
そういう問題じゃないのだが、冬也は興味なさげにポケットに手を入れた。
「シュージさん、これあげる」
冬也はスーツのポケットから、手のひらサイズの紫色の皮の巾着袋を取り出した。ピアスを買ったときに付いてくるもののようで、可愛らしい。受け取ったそれを軽く振るとしゃらしゃら音が鳴った。中を開けるためにと紐を引こうとしたとき、冬也が修二の指を強く、がっと掴んだ。
「開けないでください」
「え、何?」
「あぁ、いや、その。それ、お守りみたいなもんなんすよ。ほらよく言うでしょ、お守りの中には神様がいるから、むやみに開けちゃだめなんだって」
「そうなんだ。ありがと。でも急すぎない? お守りなんてどうした? 葬式でビビってんの?」
「明里さんといい、失礼だなホントに。ガキじゃねーんですけどオレ」
修二はわざと、冬也のピンク色の頭を撫でる。「ガキ扱いやめてくださいって!」と冬也は笑い声を上げた。
さっきまではただの小袋に見えていたけれど、言われてみるとなんだか、清らかで慎ましい雰囲気があるような気がする。
「実はこの村に、マニアには有名なパワースポットがあるんです。これはそこのお守り。紫が可愛いでしょ? プリンセスたちに買っていく用の、おすそわけしてあげます」
「プリンセスって?」
「ほんと世間知らずっすね。姫、ホストの客のことっすよ」
「姫って最初から言え。俺だってそう言ってもらえれば分かったし」
「はは、拗ねなくっていいんすよ」
「拗ねてないし」
冬也が頬をつつく。修二は顔に力を入れて頬を固くした。
やがて2台の、グレーのバスがやってくる。小さいバスで行く、と聞いていたのだが、本当にこの教習所の送り迎えみたいなサイズのバス2台で、この20人全員が乗ることができるのだろうか。冬也にそのことを尋ねると「みんな細いから大丈夫っしょ」とスマートフォンを片手に言われた。適当にもほどがある返しだ。
バスの方から2人、若い男性が歩いてくる。鮮やかな黒髪に白い肌の、和装の喪服を着た青年。もうひとりは、大柄なスーツ姿の金髪に黄緑のインナカラーを入れた男。
和装の黒髪の彼が、小走りでやってくる。
「はぁっ、すみません、お待たせいたしました。皆様、順番に乗ってください」
20代前半ぐらいだろうか。この若さで葬式に和装で来るなんて珍しい、と修二は彼をまじまじと見つめた。単に、アパレル関係者として和装特有の奥深い黒色に興味がある、というのもあるが。
ぞろぞろとバスに向かって人々が歩みを進めていく。冬也は修二の肩を小さく叩き、和装の黒髪の彼の方へと修二を案内した。
「慈郎田(じろうだ)さーん」
じろうだ。難しい響きの名前だ。黒髪の彼はふにゃりと表情を柔く崩す。
「あぁ、冬也くんお疲れ。待たせてごめんね? うちの村の連中がバタバタしてて、もうお茶はこぼすわ、喪服に穴が開いてるわで、てんやわんやだよ。あはは」
「大変ですね。あ、今日のご飯はちゃんと予定通り手配してありますって、おばちゃんからの伝言です」
「ありがとう、助かるよ。それで、こちらの方がもしかして?」
「はい。シュージさん、挨拶」
「うるさいわかってるよ。お初にお目にかかります。松長修二と申します」
修二の名を聞いた彼は、ぱあ、と顔を輝かせた。
「これはこれはご丁寧に。もちろん存じています。ベルの恋人だった方ですよね?」
「えぇ、一応」
「冬也くんから話は聞いていますよ。僕は慈郎田水之助(じろうだ すいのすけ)、と申します。ベルとは親戚に当たりまして、此度の葬儀の喪主を務めさせていただきます」
「えっ、喪主?」
「はい?」
「いやあの、こんなお若い方が喪主とは驚きまして。普通こういうのって」
「あぁ、もっとお歳を召した方がやる印象ですよね。僕も自分でそう思います。ただその、言いにくいことではあるのですが、僕らの親族はみな不幸やら病やらで、僕以外の人間はとても喪主なんてできる状況じゃないんです」
水之助が困ったように眉を下げて微笑む。修二は勢いよく、深々と頭を下げた。
「……大変失礼いたしました」
「いえいえ! こちらこそ暗い話を申し訳ない。ま、いろいろありましたけど、僕は全然元気いっぱいなので、どうぞ顔を上げてください」
彼の声は軽く、本当に気にしていないようだった。同時に、悲しみに慣れてしまった人特有の、あっけらかんとした印象があった。修二の勝手な予想だが、ご家族に不幸があったのは随分前のことなのかもしれない。
「松長さん、生前はベルと仲良くしてくれてありがとうございました。今日は精一杯おもてなしいたします。ベルを偲ぶのもそうですが、どうぞごゆっくり、羽を伸ばしてってください」
「お気遣いありがとうございます。そうさせてもらいます」
「冬也くん、案内よろしくね」
「はい」
「ふふ。では、僕はこれにて失礼します。また葬儀場で」
「はい、また」
水之助がせかせかと早歩きで去っていく。少し慌ただしさが残るが、それさえも爽やかな印象に昇華する。そんな人当たりの良い好青年だった。
冬也が修二の顔を覗き込む。
「慈郎田さん、明るい人でしょ」
「めっちゃいい人。若いのにしっかりしてるな」
「ちなみに童顔なだけで30代です」
「年上!?」
「あはは! よかったすね、敬語崩さなくて」
どう見ても20代前半の肌だったろ、とぎゃいぎゃい言い合いながら、バスに乗り込む。
バスに乗り込む瞬間、水之助と共にこちらに来た、大柄な金髪の男と目があった。妙に視線を引き寄せられた、と言ったほうがいいくらいに。
男は煙草を気怠げにふかしている。修二に特に話しかけるわけでもなく、雲が出始めた空に白い息を昇らせていた。
ぶぅん、と大きな音を立てて、バスが発車する。修二は窓側に座り、冬也は隣でスマートフォンをずっと弄っている。
窓の外に連なる、花開いた梅の木々、瓦屋根の見事な家々、まだ蕾の花が揺れる緑の花壇。バスが右折のために一時停止すると、生け垣には蜘蛛の巣が白く連なり、雨粒が日に照らされ、きらきらと光っていた。光を受け止め、跳ね返る水の粒。
____えっ、いいんですか!?
水滴が引き金だった。修二の脳内に、ベルの声が蘇る。出会ったあの日、入学式での、彼女との宝物のようなやりとりが。
続
3話
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生活費の足しにさせてつかあさい!!!切実に!!!