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私が「キセキ」を願うとき

『人生には一度だけキセキが起きる』と言われたらあなたなら何を願いますか ── 。

人は、論理や計算では説明がつかない出来事が、意味や感動と結びついた瞬間を『キセキ』と呼ぶのだろうか。

あるいは、劇的な変化ではなく「何も起きないこと」の価値に気づいた時、人はそれをキセキと呼ぶのだろうか。

どちらにせよ、世界は、私たちがそれをキセキと名付けた瞬間に、初めてその輝きを現すのだろう。

私が「キセキ」を願うとき

今から20年ほど前、小学生だった私が向かう先は、それぞれ別の理由で入院した家族が待つ、三つの病院、三つの病室、三つの異なる不安を感じる場所だった。

私と小さな姉弟が暮らす家には、離れて暮らす親戚の人が面倒を見に来てくれていた。家族ではない人との慣れない生活。いつ元の生活に戻れるのだろうかという先の見えない不安な日々。

家族揃って『いつかまた』という言葉が、あまりに遠く、その時はただ、キセキが起きるのを静かに待ち続けることしかできなかった。

明日、今日よりも好きになれる

2008年、なんという運命の巡り合わせだろうか。テレビの画面越しに、ある曲が流れ始めた…。

GReeeeNキセキ

その曲は、まだまだ家族に甘えたい小さな私の心に深く突き刺さった。私はCDを買った。擦り切れるほど再生した。キセキは起こるという希望を持ち続けるために。流れてくるメロディが、歌詞の一言一言が、折れそうな私の心を繋ぎ止めてくれた。

信じていれば、いつか終わる。信じていれば、また笑い合える。歌詞のように『明日、今日よりも好きになれる』時が必ずやってくる。

20年前、その言葉を信じて家族の帰りを待ち続けた小さな私に、今の私はどんな言葉をかけてあげるのが正解だろうか。正解なんてない。当時の私には、その言葉が確かに必要だった。だからこそ、あの時、信じることを選んでくれて「ありがとう」と伝えたい。それは、20年という月日を経てたどり着いた、最も誠実な答えのように思う。

祖父との別れ

懸命な闘病生活も虚しく、祖父は癌で旅立った。『いつかまた』という言葉が、あまりに遠く、悲しく響いていた。生きていて欲しかった。どんな言葉を尽くしても、どんなキセキを祈っても届かなかった現実に、幼い私の心はどれほど震えていたことだろう。

流行歌は時に、その時の情景を鮮明に引きずり出してしまう。私は『キセキ』という曲を聴く度に、神様はいないんだ、祈っても届かないんだ、という孤独な虚しさが蘇る。

奇跡と偶然と必然は同じこと

私がなぜ「奇跡」「偶然」「必然」という、一見すると正反対に思える言葉を同じと思うのか。それは、起きたことは偶然であり、その重みに感動すれば奇跡と呼び、後から理由を探せばすべては必然となると考えるからだ。

日常の何気ない瞬間をどう捉えるかで、世界の色の見え方が変わってくる。小さなキセキは、実は足元にたくさん転がっている。それに気づけるかどうかが、人生を豊かにする境界線なのかもしれない。小さなキセキに気付けた時、私の人生は今まで以上に輝きを増すだろう。

今日という日を素敵なものに変えるために。


奇跡のリゾート星のや竹富島

日本の最南端にほど近い沖縄県八重山諸島竹富島に
奇跡のリゾート」と称される星のや竹富島がある。

なぜ星のや竹富島は、奇跡のリゾートと呼ばれているのだろうか。

それは単に「離島に建てられた高級ホテル」だからではなく、島の厳しい歴史と、それを守ろうとした人々の意志が重なり合って生まれた場所だからだ。竹富島の人々が守りたかったものと、私たちが憧れる「非日常」が、最高の形で出会った場所。それが「奇跡のリゾート」と呼ばれる理由だろう。

この場所で働いている今、かつては通り過ぎていた些細な変化にも、気づくことができる。雲の形、星の瞬き、波の音、太陽の位置、風の匂い、そしてお客様の素敵な笑顔。

島の優しさに触れた今、私はこの出会いに心から感謝している。この場所を知る前と後では世界の見え方が、全く違う。広く、深く、希望のあるものに変わったのだ。


「キセキを願った小さな私へ。キセキは起きていたのかもしれないよ。天国へ旅立ったおじいちゃんは、優しい風になり、柔らかな光に姿を変えて、ずっとあなたの幸せを祈ってくれている。その見えない愛に守られて今があることが、何よりのキセキなのだよ。」

そう思うと、世界はどこまでも温かく希望に満ちて見える。『またいつか』の約束は今も続いていたのだ。

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