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シヤチハタって、もう“名前”じゃなくない?

なんとなく思ったことを、置いておく。

別に大事件ではないけど、
日常の中にある呼び名って、
たまに妙に強い。

たとえば、ハンコ。

ひとりごと

今日は、ちょっとだけハンコのことを考えてた。

いや、ハンコって言っても、
ものすごく厳かな実印とか、
役所でドキドキしながら押すやつじゃなくて。

もっとこう、
宅配便が来た時にポン。
会社の書類にポン。
「とりあえず確認しました」みたいな空気でポン。

あのタイプのやつ。

たぶん多くの人が、
あれをまとめて「シャチハタ」って呼んでる気がする。

でも、よく考えると、
シヤチハタって本来は会社名なんだよね。

しかも正式には、
小さい「ャ」じゃなくて、
大きい「ヤ」の「シヤチハタ」。

ここ、ちょっと罠みたいで面白い。

僕たちは普段、
「シヤチハタ不可」とか見ると、
なんとなく「あ、あのインク内蔵の簡単なハンコはダメなんだな」
って理解する。

でも本当は、
「シヤチハタ」という会社の商品だけを指しているというより、
世間的にはもう、
“スタンプ台がいらない簡易ハンコっぽいやつ”
全体の意味になっている。

これ、言葉が強すぎる。

ホッチキスもそう。
本当はステープラー。

セロテープも、
ウォシュレットも、
バンドエイドも、
似たような立ち位置にいる。

商品名やブランド名だったものが、
みんなの生活に入り込みすぎて、
いつの間にか一般名詞みたいになっていく。

なんか、言葉の出世魚みたいだなと思う。

最初はただの名前だったのに、
使われ続けるうちに、
「それっぽいもの全部」を背負うようになる。

背負わされすぎでしょ。
ブランド名、肩こりそう。

でも面白いのは、
そこにはちゃんと理由があること。

シヤチハタの場合、
日本のハンコ文化と相性が良すぎたんだと思う。

ちゃんとした印鑑ほど重くない。
でも、ただのサインよりは“押した感”がある。

ポン、という音と一緒に、
「はい、確認しました」
「はい、受け取りました」
「はい、ここにいました」
みたいな気配が残る。

ハンコって、
小さいのに存在証明っぽい。

しかも「シヤチハタ」の大きいヤも、
ただの表記ゆれじゃなくて、
ロゴとして見た時のバランスを考えた表記らしい。

キヤノン、キユーピー、富士フイルム。

こういう会社名の大きい文字を見ると、
昔の人たち、文字の見た目にかなり真剣だったんだなって思う。

小さい「ャ」や「ュ」が入ると、
文字の並びに隙間ができる。
なら、大きくしてしまえ。

すごい。
発想が力技なのに、ちゃんと美しい。

たぶんこれ、
今でいうデザイン調整とかロゴ設計を、
社名そのものでやっている感じなんだと思う。

名前って、
ただ読めればいいわけじゃないんだな。

見た目。
響き。
覚えやすさ。
使われ方。
間違われ方。

全部含めて、
言葉は世の中に馴染んでいく。

そして馴染みすぎると、
もう元の意味から少し離れていく。

シヤチハタは、
ハンコであり、
会社名であり、
簡易承認の象徴であり、
たぶんちょっとした日本の事務文化の化石でもある。

……化石って言うと怒られそうだけど。

でも、脱ハンコと言われても、
「シヤチハタ不可」という言葉の感じは、
まだしばらく残りそうな気がする。

物としてのハンコより先に、
言葉の方が生き残ることってある。

それって少し不思議だ。

たぶん、
僕たちは道具そのものよりも、
道具にくっついた“感覚”を覚えているんだと思う。

ポンと押す。
終わった気がする。
確認された気がする。
なんか社会が動いた気がする。

その感じを、
一言で呼べる名前が「シヤチハタ」だった。

……まあ、違うかもしれないけど。

でも、
そう考えると少しだけ納得できる。

まとめ

結論ってほどじゃないけど、
シヤチハタって、
ただのハンコの名前じゃなくて、
「生活に入り込みすぎた言葉」なんだと思う。

ブランド名が、
いつの間にか文化の呼び名になる。

それって便利だけど、
ちょっと怖くて、
でもかなり面白い。

日常の言葉って、
思ったより勝手に育つ。

そして気づいたら、
こっちがその言葉に押印されている。

ポン。

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