知財を「独占」から「共感」へ —霞が関で5年、政策を編集し直した話
ノマド政策家のフィールドノート第2回
2019年の夏、私はニューヨークから羽田に降り立った。スーツケースには、パーソンズ美術大学院で2年間記録し続けたノートブックと、グアテマラの山奥の織物職人たちと作ったポートフォリオのコピーが入っていた。
国家公務員として初めて美術大学院に国費留学した——と言うと響きはいいが、帰国後の私の頭にあったのは、もっと素朴な問いだった。
「このデザインという道具を、霞が関のどこで、どうやって使えばいいのか」
その答えを探しに転がり込んだのが、特許庁だった。前回書いた「川崎町の10日間」や「Glass Rockでの東大生」の話は、すべてこの5年間の経験のあとに訪れた景色である。だから今回は、少し時間を巻き戻して、Kumanomics創業の前夜——特許庁とデジタル庁で過ごした5年間の話を書きたい。
私の"骨格"は、この5年で出来た。その序章はパーソンズにある。
パーソンズで出会った、別のかたちのデザイン
私が所属していたのは、パーソンズ美術大学院のトランスディシプリナリーデザイン(越境するデザイン)学科だった。「デザインの学校」と聞いて多くの人が想像する、グラフィックやプロダクトを磨く場所ではない。もっと広い射程で、「人と社会の関係そのものを、どうデザインし直すか」を問う学科だった。
教室の構成がまず独特だった。学生はデザイナーとノンデザイナーがちょうど半々。ノンデザイナーの側には、哲学研究者、ジャーナリスト、金融出身者、脳科学者、エンジニア、起業家などが混ざる。
授業では、気候変動、移民政策、都市の孤独、食の不平等といった重たいテーマに対して、「どんな仕組みを設計できるか」を議論し、プロトタイプを作り、現場に持ち込んで試す。図面を描くより、現場の人の話を聞き、対話のプロセスを作り込む時間のほうがはるかに長かった。
1年目の2学期目、私はクラスメイトとともに、グアテマラ高地の先住民の織物職人の女性たちと協働するプロジェクトに、半年間関わった。ニューヨークに居ながらリモートでの調査・設計を重ね、春休みには、実際に山奥の村に入って現地で対話を重ねた。彼女たちは世界有数の伝統技術を持ちながら、自分たちの仕事の価値を自分では言語化できずにいた。買い手が値段を決め、作り手が受け入れる。そういう非対称な関係のなかで、彼女たちの誇りは、少しずつ削られていた。

私たちがやったのは、職人たち一人ひとりと何時間も話し、作品を撮影し、背景にある物語を聞き取り、一緒にポートフォリオを作る——ただそれだけのことだ。けれども、ポートフォリオという"鏡"を手にした職人たちは、少しずつ変わっていった。自分の仕事を誇りを持って語り、価格について交渉の場に立ち、若手に技術を継ぐ話を自分から始めるようになった。
このとき私は、デザインという行為が持っている力の根っこを見た気がした。

それは、目の前の一人(N=1)に深く寄り添うことから、仕組みを立ち上げていく力だ。統計の平均像に向けて制度を設計するのではない。たった一人の職人の誇りから出発して、コミュニティが動き、市場との関係が書き換わり、伝統が未来に接続される。
「政策を作る側」として育った私にとって、これは文字通り"別のかたちのデザイン"だった。霞が関で私が扱ってきた設計は、常に鳥の目からのマクロ設計だった。その対極に、N=1から立ち上げる設計の作法がある。この二つを両手で使えるようになったら、政策の現場は変わるのではないか——そう思って帰国した。
帰国後の違和感と、特許庁への配属希望
帰国したのは2019年。「デザイン経営」「サービスデザイン」「ユーザー中心」という言葉が、日本のビジネス界を飛び交い始めていた時期だった。民間には、実際にこれを体現している経営者もデザイナーもいた。研究者も蓄積を重ねていた。言葉を作ってきた人たちが、確かにいた。
ただ、行政の内側で、その言葉を日々の業務に接続する実装はまだこれからだった。「デザインは業務に活かせるのか」「敷居が高い」という声は、私が入る場所ごとに聞こえてきた。誰も分かっていないのではない。分かっている人はいる。けれど、行政という現場でそれを動かした経験のある人は、ほとんどいなかった。
そんな時期に、特許庁が「デザイン経営宣言」(2018年、特許庁・経済産業省)を起点に、組織そのものの変革に動き出していた。私は留学から日本に戻るタイミングで、この動きを知り、強く希望して特許庁への着任を願い出た。

ただ、正直に言えば、ワクワクすると同時に、これは一筋縄ではいかないだろうとも感じていた。
特許庁は、霞が関のなかでも屈指の「手続きの城」である。審査官が膨大な案件を厳格に処理する、最も固いはずの組織だ。意匠を扱う部署があるから、デザインと全く無縁ではない。しかし、「デザイン経営」という新しい思想が、組織の骨格そのものを書き換えていく相手として、もともと親和性の高い組織とは、私自身も必ずしも思っていなかった。
だからこそ、この場所で挑む価値がある——そう腹を括った。
ミッションを書き換えるということ
異動後、私は特許庁のデザイン経営プロジェクトチームに合流した。公募で手を挙げた80名ほどの職員が集まり、正式に発令が出て動き出した"組織図に載るプロジェクト"である。ただ、実態は有志活動に近かった。本来業務——私で言えば法律の起案など——を減らすわけではなく、その上に週1〜2回のミーティングを積み上げていく。 この「プラスアルファの構造」が、この活動の難しさであり、同時に面白さでもあった。

その5年のなかで、最も手応えがあった仕事の一つが、特許庁のミッション・ビジョン・バリュー(MVV)を書き換えるプロセスだった。
特許庁には、2009年に制定された「特許庁ビジョン」があった。約12年にわたって庁の指針となってきた言葉で、産業財産権制度を支える行政機関としての役割を、時代の要請に即して整理した文書だった。行政機関として必要なことは過不足なく書かれていたと思う。
ただ、2018年のデザイン経営宣言を経て、組織そのものを書き換えようという機運が内側から立ち上がってきたとき、「この言葉の先にいる人たち——発明家、事業者、研究者、地域の作り手たち——一人ひとりの姿が、もっと前に立ち上がってきていいのではないか」 という感覚が、プロジェクトのなかで静かに共有されていった。
有志の職員、外部のデザイナー、現場の事業者と、何ヶ月もかけて対話を重ねた。「知財とは誰のものか」「なぜ私たちはこの仕事をしているのか」——建前を一枚ずつ剥がしていくような作業だった。
そうして2021年6月、約12年ぶりに書き換えられた新しいミッションが公表された。
「『知』が尊重され、一人ひとりが創造力を発揮したくなる社会を実現する」
私がここで何度も立ち止まって噛みしめたのは、「一人ひとりが」 という一語だ。これは「全体を良くする」から「一人ひとりが動き出せるようにする」への、静かな、しかし決定的な主語の書き換えだった。
かつての産業構造では、知財は大企業や大規模な研究機関が牽引する領域だった。しかし今は、3Dプリンターがあり、ファブラボがあり、デジタルツールが個人の手の届くところにある。創造の起点が、大きな組織から"一人ひとり"へと確実に移り始めている。 その変化を、行政の背骨に刻む言葉が必要だった。
そしてデザインという営みは、まさにN=1に寄り添う力を根に持っている。グアテマラの織物職人一人ひとりから立ち上げた仕組みが、やがてコミュニティを変えていったように。
文言を変えただけじゃないか、と言う人もいるだろう。けれども、組織の一番上に掲げる言葉が変わるということは、その下にぶら下がる全ての仕事の意味が、少しずつ書き換わっていくということだ。言葉は、制度の設計図そのものだ。
では、その"一人ひとり"とは、具体的にどんな人たちなのか。ミッションを書き換えた後に始まったI-OPEN PROJECTの現場で、私はその顔を知ることになる。
この経験を通じて、私のなかで「政策を作る」という仕事の見え方が、大きく変わった。
前回の記事で私は、自分の仕事を「セクターの間に立って、言葉と仕組みを翻訳している人」と表現した。翻訳者であり、共設計者(co-designer)。その働き方の輪郭は、まさにこのミッション書き換えの現場で形になった。
政策は、行政が一方的に作って下ろすものではない。現場で動いている一人ひとりの事業者・住民・当事者の言葉を拾い、それを制度の言葉に翻訳し、両者が噛み合う経路そのものを一緒に設計していく——そういう営みの連鎖として立ち現れる。ミッションを書き換えるとは、その翻訳の出発点を、組織の一番上に据え直すことだった。
第1回で書いた川崎町の「スーパーがない」話も、Glass Rockの「最後の1マイル」の話も、突き詰めれば同じ構造を持っている。制度の言葉と、現場の言葉のあいだに生じる距離を、どう埋めるか。 その距離を埋める経路を、セクターを跨いで設計する仕事こそが、ノマド政策家の仕事だ——その輪郭が、この特許庁の経験で初めて自分のなかに立ち上がった。
I-OPEN PROJECT — 知財を「独占」から「共感」へ
この新しいミッションを、具体の事業のかたちに落とし込もうとしたのが、I-OPEN PROJECTだった。
知的財産——特許、商標、著作権——と聞くと、多くの人が「独占」や「囲い込み」を連想する。実際、知財制度は法的には「他人に勝手に使わせない権利」として設計されている。
でも、現場に立ち始めて、ミッションに書いた「一人ひとり」の顔が見えてきた。
それまで特許庁が知財の文脈で接点を持ってこなかった——あるいは、向こう側からも「知財なんて自分たちには関係ない」と思われていた——人たちのなかに、社会を本気で動かしているプレイヤーがたくさんいたのだ。
奈良県生駒市で「まほうのだがしやチロル堂」を立ち上げ、あらゆる子どもたちの居場所を作っている吉田田タカシさん(2022年度グッドデザイン大賞)。難病の子供達とその家族のために、自らの手で医療サポートツールを考案している母親。SDGsの観点から地域の課題と企業を結ぶNPO。知財とはこれまで無縁だったスタートアップ。

彼らは「独占したい」から始めているのではなかった。自分たちが見てしまった課題と、それを解くために組み上げた仕組みを、共感する仲間と一緒に広げていきたい——そのために、初めて「知財」という言葉に触れようとしていた。
ならば、制度のほうも、彼らに合わせて編集し直せるのではないか。
「権利を守る」だけでなく「共感を広げる」道具として、知財を使い直す
そう問い直して立ち上げたのが、I-OPEN PROJECTだった。
社会課題に挑む事業者を公募し、弁理士・デザイナー・ビジネスの専門家たちがチームを組んで伴走する。5年間で延べ87名の専門家と42名の事業者が集まり、2023年にはこのプロジェクト自体がグッドデザイン賞を受賞した。

ただ、受賞そのものよりも私の記憶に刻まれているのは、採択された事業者たちが、専門家たちと出会った初日のテーブルの空気だ。自分の事業の価値を言語化するのに苦労していた事業者が、チームの対話を通じて「自分たちがやっていたのは、こういうことだったのか」と発見していく瞬間。制度を解説する立場にいた弁理士やデザイナーが、事業者と同じ目線で一緒に悩み始める瞬間。
制度の言葉が、一人ひとりの言葉と混ざり合って、新しい意味を獲得していく。
前回書いた「翻訳の連鎖」という発想は、このテーブルで芽吹いた。行政と事業者のあいだには、埋めなければならない意味の距離がある。その距離を埋める仕事は、制度を作る仕事と同じくらい本質的だ——この確信を、私はI-OPENの現場で得た。
強いリーダーシップと、ボトムアップの引き継ぎ
もう一つ、あの5年で学んだ大切なことがある。
変革は、トップのビジョンだけでは現場が動かない。かといって、ボトムの熱意だけでは制度の壁を越えられない。トップの強い意思と、ボトムの"やりたい"の束が、うまくバトンを渡せたときに、組織は本当に動く。
特許庁のデザイン経営は、当時の長官であった(現東京大学公共政策大学院特任教授の)宗像直子さんの強いリーダーシップがなければ、あの規模とスピードでは立ち上がらなかった。組織の外側で起きている潮流を、庁内の業務に接続する意思決定は、長官の覚悟がないと通らない。
宗像さんが退官された後、私は結果として、そのボトムアップの側を引き継ぐような立ち位置で残り続けることになった。トップが切り拓いた道筋の上で、有志のネットワークを束ね直し、外部の専門家たちとI-OPENの設計を続けた。
この「トップの強いリーダーシップ」と「ボトムの継承」のバトンリレーは、一つの組織のなかで見た、とても貴重な連携だった。
そして、その宗像さんとのご縁が、いま私が東京大学公共政策大学院(GraSPP)で「公共政策のデザイン」の非常勤講師を務めさせていただいている出発点になっている。I-OPENでの出会いが講義の場になり、講義の場が山梨県や川崎町の現場に繋がっていく——前回書いた景色は、全部ここから続いている。
あのバトンリレーが、いまの私の立ち位置を作った。 そういう意味でも、特許庁の5年は、Kumanomicsの"序章"だった。
骨格としての5年 — ノマド政策家の原点
改めて振り返ると、2019年から2024年の5年間で、私は3つの感覚を体に刻んだ。
(1)N=1から仕組みを立ち上げる
グアテマラの織物職人たち、I-OPENで出会った母親やNPOや町工場の人たち。一人ひとりの困りごとや"やりたい"に寄り添うことから、初めて制度や事業の設計が意味を持ち始める。統計や鳥瞰図ではなく、N=1から発想することの力を、身体で覚えた。
(2)翻訳の経路を設計する
現場の言葉と、制度の言葉のあいだには、必ず距離がある。その距離は、誰かが意図的に経路を引かなければ埋まらない。翻訳者であり、同時に経路の共設計者である——ノマド政策家という働き方の輪郭は、I-OPENのテーブルで立ち上がった。
(3)トップとボトムのバトンリレーで変革を持続させる
トップのビジョンだけでは現場は動かない。ボトムの熱意だけでは制度の壁を越えられない。両者が時間差でバトンを渡し合える構造が、組織を本当に動かす。この力学を一度見てしまうと、企業でも自治体でもNPOでも、同じ補助線で設計を考えられるようになった。
そして、この5年で得た感覚だけでなく、人との出会いもまた、今につながっている。I-OPEN PROJECTに、NPO法人Issue+Designの理事として参加してくれた小菅隆太さんは、地方創生×SDGsのカードゲームの普及に知財をどう活かすかというテーマで関わってくれた。その小菅さんが今、KumanomicsのPRディレクターとして、さらにGlass Rockの共創コーディネーターとして、社会課題と政策とビジネスを同じテーブルに乗せる仕事を一緒にやっている。I-OPENのテーブルで隣に座った人が、創業後の同志になった——この事実そのものが、あの5年が"序章"だったことの証だと思う。
この3つの感覚が、いまのKumanomicsの3本柱に、ほぼそのまま対応している。

行政のなかで学んだ"編集の作法"を、別のセクターに持ち出す。それが2024年9月の創業のときに私がやりたかったことであり、いまKumanomicsが日々やっていることだ。
ノマド政策家という働き方は、特許庁の5年で準備された。 この連載が書籍化されるとしたら、その第1章は、おそらくこの5年の話になる。実はこの5年の内、2年間はデジタル庁にて事務次官クラスのデザイナーの元でも働いていたのだが、その話も別の機会に譲りたい。
あなたが"ひとりで抱えている"ものは、何ですか?
専門性も、経験も、技術も、守るべき場面では守らなければならない。ひとりで抱えること自体が悪いわけではない。
けれども、もしあなたが「自分だけのもの」として抱え込んでいる何かが、"共感する仲間を増やす仕組み"に編集し直せるとしたら——その瞬間、景色は変わる。制度は、組織は、関係は、書き換え可能になる。
特許庁という最も固いはずの組織で、それが起きるのを、私はこの目で見た。だから信じている。どんな現場にも、編集し直せる余白は、必ずある。
あなたが今、何気なく"自分のもの"として握りしめている知恵や経験は、誰と分かち合えば、より大きな意味を持ち始めるだろうか。
次回は、川崎町の「その後」を書きます。人口8,000人、JRの線路すら通っていないこの町に、なぜJR東日本の社員が何度も足を運んでいるのか。「お手伝いします」ではなく「あなたは何がしたいですか」——その問いかけの先に見えた、行政・企業・住民の三つの椅子を同じテーブルに置く試みについて。
〜編集後記「てのひら草子」〜

妻の橋本みどりです。僭越ながら、今回もイチ読者として感じたことお話しさせてください。
I-OPENについて、鮮明に覚えていることがあります。それは、チロル堂の吉田田さんが「特許庁の皆さんが、自分のしたいことを言語化してくれて、頭のいい人たちってすごいなー」とおっしゃっていたこと。すごいアイディアを持っている人と、人の気持ちを汲み取る能力を持った人と、専門の知識を持つ人が繋がることで、予想を超える成果物が生まれるというのは、まさにこのことだと思いました。
はたまた、吉田田さんのように自ら発信していける人はいいのですが、例えば、夫の話によく出てくる、お母さんの負担を減らすために薪割りの機械を作って特許を取ったニュージーランドの13歳の女の子。先日訪れたログハウスにもこの薪割りの機械が置いてありました。このように、世界に通用するすごいアイディアを持っている人はどこにいるかわかりません。この子はお父さんが技術職だったので、特許申請に至ったと聞いています。
今はSNSやAIが普及して、芸能界にコネがなくても有名人になれたり、楽譜が読めなくても作曲ができたり、絵が描けなくてもデザイナーになれたり、アイディアを持っている人が活躍できるソースが飛躍的に増えました。
夫がやっていることは、冒頭でお話しした『人の気持ちを汲み取る能力』の部分で、埋もれている人の声やアイディアを言語化して出力すること。当時は何をやっているのか本当によくわからなかったんですが(笑)、特許庁の5年間でそのノウハウの土台を確立させたんだなと感じました。
1人のアイディアでたくさんの人が幸せになることを夢見ている。自分だけが夢を追いかけるのではなく、たくさんの人を巻き込んで、みんなとともに歩むことが夫の喜びなのだと思います。

橋本 直樹(はしもと なおき)
株式会社Kumanomics 代表取締役/ノマド政策家
東京大学法学部卒業後、経済産業省に入省。国家公務員として初めて美術大学院に留学。米国パーソンズ美術大学にてMFA(美術学修士号)を修了。帰国後、知的財産権により社会課題を解決する「特許庁 I-OPENプロジェクト」の立ち上げなどに携わり、2023年に同プロジェクトでグッドデザイン賞を受賞。2024年、株式会社Kumanomicsを設立。組織の枠を越境する「ノマド政策家」として、企業と行政が共創し、ビジネスと政策を一体でデザインするプロジェクトを多数手がける。その他、虎ノ門ヒルズGlass Rock共創コーディネーター、東京大学公共政策大学院 非常勤講師などを務める。
Web: https://kumanomics.jp/
