人口8,000人の町に、JR東日本が"線路のない駅"をつくった理由
ノマド政策家のフィールドノート第3回
宮城県川崎町には、JRの線路が通っていない。
駅もない。
新幹線の最寄りは仙台駅で、そこから車で約40分。鉄道を軸に沿線開発を行ってきたJR東日本にとって、本来は「管轄外」の土地だ。
ところが今、この町にJR東日本の社員が何度も足を運んでいる。
地域の住民と同じテーブルにつき、町役場の職員と一緒に、まちの未来について話し合っている。
なぜ、線路のない町に鉄道会社が来たのか。
これは「CSRだから」でも「地方創生の予算がついたから」でもない。もっと根本的な問いが、この動きの裏にはある。

第1回で書ききれなかった、もう一つの川崎町
第1回で、私は川崎町に家族と10日間滞在した話を書いた。スーパーがないこと。国営みちのく公園に地元の子がいないこと。仙台からの移住希望者と空き家がつながらないこと。点在する魅力が面としてつながっていないこと。
あの記事は「虫の目で見えた景色」——つまり、現場に身を置いて初めてわかる、生活者の手触りの話だった。
今回は、その景色の上に、どんな「仕組み」を描こうとしているのかを書きたい。
第2回で、私は特許庁のI-OPEN PROJECTについて書いた。知財を「独占」から「共感」へと読み替え、80人のプロジェクトチームで特許庁のミッションを12年ぶりに書き換えた話だ。あの記事の核は「組織の中での仕組みの書き換え」だった。
今回の話は、組織の「中」ではなく「間」の話だ。行政と企業と住民——異なるセクターの人たちが、同じテーブルについて、一つの町の未来を共に設計するプロセスの話。
鉄道会社が「線路の外」に出る理由
JR東日本は、WaaS共創コンソーシアムという枠組みで地域との連携を進めている。WaaSとは「Well-being as a Service」の略で、鉄道を運ぶだけでなく、地域の暮らしそのものに関わっていこうという構想だ。
これは、JR東日本にとっても大きなチャレンジだと思う。
沿線開発は、鉄道会社が100年以上磨いてきた得意技だ。駅をつくり、沿線に住宅や商業施設を開発し、人の移動を生み出す。その循環の中で鉄道の利用客が増え、地域が栄え、会社も成長してきた。
しかし、人口が減っている。沿線の外にも、暮らしの課題がある。鉄道会社がこれからも地域の暮らしに寄り添うなら、線路の敷かれていない土地にも足を踏み入れる必要がある。そのとき、従来の「開発」の論理だけでは、うまくいかない。
ここに、私のような人間が入る意味がある。

三つの椅子を、同じテーブルに置く
川崎町のプロジェクトには、三つの異なる椅子がある。
一つ目は、行政の椅子。 町役場や県庁が座る。予算措置や制度設計のレバーを握っている。ただし、予算は常に限られているし、「前例がない」ことには慎重にならざるを得ない。
二つ目は、企業の椅子。 JR東日本をはじめ、複数の企業がコンソーシアムの会員として参加している。技術やサービスを持っている。ただし、「ビジネスとして成立するか」という問いから逃れられない。
三つ目は、住民の椅子。 ここが最も大事で、最も難しい。住民は一枚岩ではない。子育て中の親、商店を営む人、高齢者、Uターンした若者——それぞれが異なる関心と異なる不安を抱えている。

この三つの椅子を、同じテーブルに置く。言葉にするとシンプルだが、実際にやるとものすごく難しい。
なぜなら、三者はそれぞれ違う言語を話しているからだ。
行政は「事業計画」「KPI」「実施主体」という言葉で考える。企業は「マーケット」「スケーラビリティ」「ROI」で考える。住民は「あのバス停が不便」「子どもの帰りが心配」「魚が買えない」という、具体的な暮らしの言葉で語る。
この翻訳ができなければ、三つの椅子は形式的にテーブルに並んでも、対話は噛み合わない。第1回で書いた「セクター間の翻訳」が、ここで具体的に試されている。
縦糸と横糸——複雑さを、そのまま受け止める
川崎町で見えてきた課題は、大きく分けると二つのテーマに集約される。
一つは、移動の問題。 地域の「足」の確保だ。バスの路線は限られ、高齢者の買い物や通院に支障がある。
もう一つは、教育・学びの問題。 放課後の子どもの居場所。学習塾へのアクセス。地域の中での教育格差。
これが「縦糸」だ。テーマごとに課題の性質が異なり、関わるべきプレイヤーも違う。
一方で「横糸」がある。行政、住民、企業という三者が、それぞれの立場からこの縦糸に関わっている。住民の中にも、交通に困っている人もいれば、教育に強い関心を持つ人もいる。企業の中にも、モビリティを提供できるところもあれば、教育プログラムを持っているところもある。
ここが、地方の共創プロジェクトの面白さであり、難しさだ。

普通のコンサルティングなら、テーマを一つに絞り、ロードマップを描き、実行計画を作る。しかし、この町の課題は一つのテーマだけで解けるものではない。移動の問題と教育の問題は、実は深く絡み合っている。
たとえば——親が仙台に通勤している間、子どもが放課後に学べる場所がほしい。しかし、その「場所」に子どもが通うためには「足」が必要だ。移動の仕組みと教育の仕組みが噛み合って初めて、一つのソリューションが生まれる。
この複雑さを、「シンプルにしよう」と縮減するのではなく、そのまま受け止める。縦糸と横糸の交差点に、何が生まれるかを見る。それが、この町で私たちがやろうとしていることだ。
「お手伝いします」ではなく、「何がしたいですか」
このプロジェクトで、最も大事にしていることがある。
それは、企業が「お手伝いをしに来ました」と言わないことだ。
これは直感に反するかもしれない。大企業がリソースを持って地方に来るのだから、「何ができますか」「何を支援しますか」と聞くのが自然だろう。
しかし、その問いかけは、実は相手の主体性を削いでしまう。「やってもらう側」と「やってあげる側」という関係ができた瞬間に、支援が終われば元に戻る。だから私たちは、対話の場で別の問いを立てる。
「あなたは、この町で何がしたいですか?」
この問いを投げかけると、最初は戸惑う人が多い。行政に何かを要望する場には慣れていても、「自分が何をしたいか」を語る場は少ない。
しかし、語り始めると変わる。
川崎町で私が出会った風景の一つに、「百のやど」という宿泊施設がある。蔵王の麓、この町の里山に建つ小さな宿だ。
運営しているのは、もともと大学の研究者だった若者たちを含む5人のチームだ。必ずしもこの町の出身ではない。「地域にもっと循環の仕組みを作りたい」という想いを抱えて、各地で地域おこし協力隊などの活動を模索していた。
きっかけは、川崎町で長年にわたり森林保全に取り組んできた地元の方の一声だったと聞いた。「この町でやってみないか」。その呼びかけに応えた若者たちが集まり、宿という形で「食とエネルギーの地産地消」を実装し始めた。
薪ストーブで空間を暖め、井戸水と太陽光を使い、化石燃料に頼らない暮らしを設計している。里山の木を使うことが森林保全につながり、地元農家の食材が食卓に並ぶ。宿泊者は収穫体験や薪割りを通じて、そのエネルギーの循環を体で感じる。
私がこの宿に泊まったとき、印象に残ったのは、若者たちと地元の方との関係だった。外から来た人が「やりたいこと」を持ち込み、地元の人が「場所」と「知恵」で応える。どちらが支援する側でもない。互いの持ち物を持ち寄って、一緒に暮らしを編み直している。
これは「ニーズ調査」の結果としては出てこない。アンケートの選択肢にも載らない。「この町でやってみないか」という一声と、「やりたいです」という応答。対話の場で「やりたい」を語る自由が生まれたとき、初めて表に出てくる種だ。
企業がここに加わるとき、最も価値が出るのは、この種を見つけて「それ、うちの技術と組み合わせたらこうなりませんか」と乗っかるときだ。JRの社員が地域との関わりの中で、鉄道とは違う「つなぐ」機能を見出す。それは会社にとっても新しい事業の芽になりうる。
支援する側と支援される側、ではない。互いに「やりたいこと」を持ち寄り、掛け合わせる。百のやどの若者たちと地元の森林保全の方がそうであるように。これが、私が「共生経済」と呼んでいるものの、最小にして最も純度の高い姿だ。
6年と、これからの節目
この町には、もう一つ、印象深い話がある。
第1回にも登場した町議会議員の清隆さんが、町議になるはるか前から関わり続けてきた場所がある。旧支倉小学校——清隆さん自身の母校であり、家のすぐ近くにある廃校だ。
2012年に廃校となったこの校舎が、2018年に「イーレ!はせくら王国」として再出発した。体育館はワイナリーに、教室はカフェや木を使った子供の遊び場に生まれ変わっている。

再生までに、約6年。
6年——。都市で暮らす感覚では長く感じるかもしれない。しかし、地域の営みの時間軸からすれば、ようやく芽が出はじめたくらいのところだ。建物を改修すること自体は、お金があれば数ヶ月でできる。しかし、地域の人が「あそこは自分たちの場所だ」と思えるようになるには、一緒に汗を流す時間が要る。
清隆さんは廃校後もずっと、ボランティアで校庭の草刈りをし、壊れた木の階段を直し続けていたと聞いた。彼のお母様を含めた近所の農家が食材を供給し、週末になると親子連れをはじめ多くの住民が集まってくる。廃校が「誰かの施設」ではなく「みんなの場所」であり続けているのは、こうした地道な積み重ねがあるからだ。
この町には、いくつかの重要な節目が迫っている。令和9年度末に小学校1校と中学校1校が閉校する。そして令和11年度末(2029年度)には国道286号のバイパスが開通し、仙台からのアクセスが劇的に改善する。
この節目を、ただの「変化」として受け止めるか、「何かを始める起点」にするか。その差は、その時点で住民の中に「自分はこれがやりたい」という言葉がどれだけ蓄積されているかにかかっている。
だから今、対話を重ねている。小さな実証実験を一つずつ始めている。全部を一度に解決することは、できない。しかし、一つのテーマで仕組みが動き始めれば、その経験は隣のテーマにも展開できる。
教育の仕組みがうまく回れば、同じインフラで高齢者の買い物支援ができるかもしれない。移動の仕組みが整えば、それは通学にも通院にも使える。
一つのエコシステムが、少しずつ、面として広がっていく。その最初の一歩を、今、この町で踏み出そうとしている。
まだ、完成していない
正直に書けば、このプロジェクトにはまだ「成果」と呼べるものは少ない。
大企業が地方に入ってきたときに起きがちな「最初だけ盛り上がって、あとは尻すぼみ」になるリスクは、常にある。住民の中にも「どうせまた一過性のものでしょう」という冷めた目はある。行政の担当者が異動すれば、温度感が変わるかもしれない。
この記事を「成功事例」として書くことは、今の段階ではできない。
しかし、それでいいのだと思う。
共創というのは、設計図通りに建物が建つような話ではない。関わる人が増え、対話が重なり、小さな「やりたい」が一つずつ形になっていく。そのプロセスそのものに価値がある——というのは綺麗事に聞こえるかもしれないが、少なくとも私はそう信じている。
旧支倉小学校が再生するのに6年かかったように、この町全体の「共生」が形になるには、もっと時間がかかるだろう。しかし、2029年度にバイパスが開通するとき、この町に「自分たちで考え、自分たちで動く」文化が根づいていたら。企業が去った後も、住民と行政の間に対話の習慣が残っていたら。それこそが、このプロジェクトの本当の成果だと思う。
線路はなくても、人と人がつながる「駅」は、つくれる。

次回は、少し趣を変えて、起業そのものの話を書きたい。14年いた霞が関を飛び出し、「クマノミクス」と名乗るまで。カレンダーが真っ白な朝に何を考えていたか。「最高」ではなく「最愛」の会社を——受注ゼロの週が教えてくれたこと。
編集後記〜てのひら草子〜

妻の橋本みどりです。ここでは、夫の記事に対して私が感じたことを、率直にお話しさせていただいています。
夫はいつも、私が思い悩んでいる時に一つ一つ話を紐解いて、悩みの根本を一緒に考えてくれます。そして最後に言われるのは、「あなたは、どうしたいと思っているの?」という問いかけです。私がこうしたいと言えば、それが難しいことであっても、ちゃんと伴走してくれます。そうして私が決めた道のその先で、また辛くなって声をあげたら、再び寄り添って励ましてくれるのです。私は夫に『自立』させてもらっていると感じます。
たまには「俺の決めたことについてこい!」と力強く引っ張って欲しいと思うこともありますが(笑)、夫は自分自身がどんなに大変でも、相手の気持ちを尊重し寄り添って、そして必ず自分のしたいこともやり遂げてしまいます。今回の文章を読んで、川崎町でのプロジェクトの根本は、普段の夫そのものの姿だと感じました。
地方創生といえば、立派な施設や公園を作ることをイメージしがちですが、盛り上がりすぎるとゴミが増えたり交通量が多くなり、かえって地元の方は不便を感じることもあるでしょう。私の地元もすごく田舎なのですが、これはこれでゆったりしていいもので、子どもの頃は野生児のように山や川で駆け回って遊んでいたのを思い出します。
この度のプロジェクトでは、過疎地域ならではの良さを活かしつつ便利にする。住まわれている方々自身が持続していける仕組みをつくるという話を聞いた時は、目から鱗でした。
きっとこの地方創生は、具体的なゴールが決まっていないことでより可能性が広がりますが、到達点が明確でないものに取り組むのは、すごく難易度が高いことだと思います。それでも、地域住民も含め関わるすべての人と対話を重ねて、ともに最高の成果を目指していくという過程こそが、夫の掲げる”デザイン”の真髄といえるでしょう。

橋本 直樹(はしもと なおき)
株式会社Kumanomics 代表取締役/ノマド政策家
東京大学法学部卒業後、経済産業省に入省。国家公務員として初めて美術大学院に留学。米国パーソンズ美術大学にてMFA(美術学修士号)を修了。帰国後、知的財産権により社会課題を解決する「特許庁 I-OPENプロジェクト」の立ち上げなどに携わり、2023年に同プロジェクトでグッドデザイン賞を受賞。2024年、株式会社Kumanomicsを設立。組織の枠を越境する「ノマド政策家」として、企業と行政が共創し、ビジネスと政策を一体でデザインするプロジェクトを多数手がける。その他、虎ノ門ヒルズGlass Rock共創コーディネーター、東京大学公共政策大学院 非常勤講師などを務める。
Web: https://kumanomics.jp/
