ハルさんの手
ひい、ふう、みい……ハルさんのかさかさした手から、色とりどりのお手玉が宙高く飛んでいく。
シャラシャラとした音と数え歌が、西日の強い古い台所へ響く。
「ハルさん、今度はわたし!」
智恵子はお手玉を奪うように、小さい手で高く放りなげる。
「ひい……」せいぜい一つつかむのが精いっぱいだ。
「ハルさんがして!」
目じりのしわをいっそう深くしながら、ハルさんはお手玉を放り投げる。
ハルさんの手から放り投げられたお手玉たちは、まるで手品みたいにまたハルさんの手に戻ってくる。
智恵子は、ハルさんのお手玉を見ているのが好きだった。
ハルさんは智恵子の実家にいたお手伝いさんだった。
智恵子の母よりひと回りほど年上だっただろうか。
母屋から少し離れた物置が、ハルさんの部屋だった。
物置といっても、人が住めるよう小さな台所と水廻りは備えてあった。
ハルさんは十三でこの家に奉公にきたといっていた。
そのころから、智恵子の母の面倒をみてきたのだ。
智恵子が結婚し、千夏が生まれると、もう腰の曲がったハルさんは、孫かひ孫が出来たようだと喜んだ。
千夏が生まれて幼稚園に上がるころまでは、庭の片隅には池があって、錦鯉が飼われていた。
池の鯉の管理は、ハルさんの大事な仕事だ。
腰の曲がったハルさんが、その時は少しだけ背筋をしゃんとして、両手の平をパンパンとたたく。
たくさんの鯉たちが一斉にハルさんのところに、口をパクパクしながら集まってくる。
千夏は喜んで「しゅごいしゅごい!!魔法みたい!!」と大喜びだ。
ハルさんは前掛けのポケットから、手ぬぐいに包まれたパンくずをさっと出すと、鯉たちに投げ始める。
「千夏もやりたい!!」ハルさんからパンくずをもらい、夢中で鯉の口めがけて投げ入れる。
智恵子は千夏が池に落ちないように後ろから抱きかかえながら、幼い日、ハルさんが投げるお手玉が手から手へ戻ってくる様が、手品のようだったことを思い出していた。
千夏が小学校に入ったばかりの春の日だった。
ハルさんが小さな台所で倒れているのを、智恵子の父が見つけ、救急車で運ばれた。
一命はとりとめたものの、右半身麻痺で車いすの生活を余儀なくされることになった。
ハルさんは生涯独身だった。十三で奉公にだされてから、智恵子の実家がハルさんの世界だった。
幸い、ハルさんの姪が施設に引き取り、たまに様子を見てくれることになった。
夏の終わり、ハルさんは姪に車いすを押してもらい、智恵子の実家を後にした。
ハルさんは何か言いたげだったが、麻痺した口元からはもう言葉が出てこない。
智恵子は腰を落として、ハルさんの手の上に自分の手を重ねた。
しわしわだけど色が白い手。
お手玉を手品みたいに操るハルさんの手。
鯉を、魔法みたいに呼び寄せる手。
智恵子は何も言えず、ただじっとハルさんの手に自分の手を重ね続けた。
「叔母がよく手紙でこちら様の事を聞かせてくれたものですから、施設に入る前にご挨拶をと……」
姪にあたる人は、ハルさんによく似た声でゆっくりと話す。
車いすが乗せられるタクシーを待たせてある。
智恵子はタクシーまで見送ると、千夏と一緒に車が見えなくなるまで立ち続けた。
数日後、智恵子はハルさんが住んでいた物置小屋に入ってみた。
もともと荷物は少なかったのだろう。ハルさんがいなくなっても、変わった風には見えなかった。
台所の小さなテーブルの上には古びたクッキー缶。
よくハルさんにねだって食べたものだ。
缶の蓋を開けると、作りかけのお手玉と端切れが入っていた。
お手玉を一つ手に取ってみる。
ぽたぽたと、智恵子の頬を伝って、お手玉に落ちた。
カナカナカナ……
ヒグラシの声が、西日が当たる古い台所に響いていた。
