私にだけ見えていた鳥居の話
これは、私が初めて「師匠」と呼べる方と出会い、
七番目の弟子として、毎週、他県にある師匠の家へ通っていた頃の話です。
当時の私は、平日に仕事を休み、早朝から車を走らせていました。
普通に考えれば、毎週仕事を休んでまで通うというのは、簡単なことではありません。
けれど私にとって、その時間はとても大切なものでした。
師匠の家には、たくさんの生徒さんが集まっていました。
そこで交わされる会話。
師匠から聞かせていただく知識。
日常の中では決して触れることのできない学び。
それはまるで、宝箱の中からひとつずつ宝を受け取っているような時間でした。
私は毎週、その場所へ向かうのが楽しみでした。
そして師匠の家の敷地に入る時、
私には、いつも見えているものがありました。
それは、鳥居でした。
綺麗な石の鳥居。
一般的な赤い鳥居ではなく、
伊勢神宮にあるような、静かで、まっすぐで、余計な飾りのない形の鳥居でした。
師匠の家の敷地に入る時、私はいつもその鳥居をくぐっていました。
そして不思議なことに、その鳥居をくぐると、
私にまとわりついていた軽いものが、結界のような壁に阻まれて、私から剥がれていくのです。
私はそれを、いつもバックミラー越しに見ていました。
「おぉ〜、剥がれていった…」
そんなふうに、どこか面白がりながら見ていたのを覚えています。
重いものがすべて取れるわけではありません。
けれど、その鳥居をくぐると、ある程度、身体も感覚も軽くなる。
私にとってそれは、毎週当たり前のように起きていることでした。
その日も、いつものように師匠の家へ向かいました。
朝の掃除から始まり、決められた時間になると祝詞が始まる。
いつもと変わらない流れでした。
そして昼食の時間になりました。
私は師匠の横に座らせていただいていました。
その時、ふと、ずっと気になっていたことを聞いてみようと思いました。
私は師匠に聞きました。
「師匠、なぜ師匠の敷地の入り口に鳥居を建てられたのですか?」
その瞬間、空気が止まりました。
周りにいた生徒さんたちの表情が、明らかに変わりました。
全員の頭の上に、
「?」
という文字が浮かんでいるように感じました。
箸の動きも止まりました。
私はその反応を見て、少し戸惑いました。
すると師匠が箸を止め、私の方をまっすぐ見ました。
そして静かに聞きました。
「それは、どのような鳥居?」
「材質は?」
「形は?」
私は一瞬、意味が分かりませんでした。
え?
どのような鳥居?
材質?
形?
どういうことだろう。
けれど私は、見えているままに答えました。
石でできていること。
赤い鳥居ではないこと。
伊勢神宮の鳥居と同じ形であること。
すると、近くにいた生徒さんが私の名前を呼びました。
そして、少し言いにくそうに言いました。
「鳥居なんて、ありませんよ……」
その言葉を聞いた瞬間、私は固まりました。
え?
あの鳥居は、実物ではなかったのか。
みんなには、見えていなかったのか。
一瞬で、私の中の認識が変わりました。
私は師匠の方を見ました。
すると師匠は、満面の笑みを浮かべていました。
そして、こう聞きました。
「あなた、いつから見えていたの?」
私は答えました。
「初めて来た時からです」
そして続けました。
「あの鳥居をくぐると、軽いものが剥がれていくんです。低いものは、しょうがないという顔をしながら帰っていくように見えます。重いものは取れないけれど、あの鳥居をくぐると、ある程度軽くなるんです」
それを聞いた師匠は、さらに嬉しそうな顔をしました。
そして声を上げて笑いました。
「そのとおり」
「鳥居が見える人に久々に会えて、私はとても嬉しい」
「やはり私の弟子ね」
その言葉を聞いた時、私は初めて、深いところで安心しました。
自分が見えているもの。
感じているもの。
それが、ただの思い込みではないことを確認できるから。
誰にも説明できず、
誰にも確認できず、
自分の中だけで処理していた世界が、
師匠に「合っている」と言われること。
師匠は、その後、その場について話してくださいました。
師匠のご実家は、先祖代々神社に関わる家系でした。
そして師匠自身も、「場」というものをとても大切にしている方でした。
師匠はこう言いました。
「神社は、建物があるから神社になるわけではありません」
「ここを神社とする。そういう強い志を持つことで、何もなかった場所も、しだいに神社と同じような場になるの」
「でも、それを維持するのはとても大変…」
「私が傾けば、この場は神社でなくなる。どれほど大変かわかる?」
その言葉を聞いた時、私は思わず唾を飲みました。
なぜなら、その大変さが、少しだけ分かる気がしたからです。
ここには毎日大勢の生徒さんが通われる。昼食の後は個人鑑定が夜まで続けられる。ご老体でありながら若者に負けないくらいの意志の強さと自制の強さ。激しい人見知りなのに毎日頑張る師匠を見ていて理解できないはずがありませんでした。
人が集まる場所には、いろいろなものが持ち込まれます。
悩み。
疲れ。
怒り。
悲しみ。
不安。
嫉妬。
期待。
依存。
見えない重さ。
そこに来る人たちは、現実の世界でたくさんのものを抱えてやって来ます。
そして、その場所を開いている人は、それらに触れ続けることになります。
けれど、いちいち影響を受けていたら、その場は保てません。
場を開く人は、自分自身を整えていなければならない。
自分の欲に飲まれてはいけない。
人の感情に流されてもいけない。
褒められても傾かず、誤解されても崩れず、
それでもそこに立ち続けなければならない。
理不尽なこともある。
いらない噂を立てられることもある。
村八分のようになることもある。
それでも、自分を正し続ける。
一本の大黒柱のように、揺らがずに立つ。
その場に来る人が、少しでも軽くなれるように。
安心して息をつけるように。
帰る時には、来た時よりも整っているように。
師匠の言葉を聞きながら、
それまで教えていただいていたことが、私の中で一つにつながっていく感覚がありました。
鳥居が見えるかどうかが大切なのではありません。
本当に大切なのは、
その鳥居が生まれるほどの覚悟で、
場を守り続けている人がいるということでした。
私には見えていて、他の人には見えていなかった鳥居。
けれど、それは確かにそこにありました。
そして私にとってその鳥居は、
自分の感覚が初めて静かに肯定された、
忘れられない入り口でもありました。
もう少し自分の感覚を整理したい人へ。
話しながら整えたい時は、必要なタイミングで「くまさんのて」を思い出していただけたら嬉しいです。
