家族で出掛けた場所に成人した娘が行った日
皆さんおかえりなさい。今日はどんな一日でしたか?
娘が今日、家族仲が良かった最後の日に出掛けた場所へ行ったそうです。写真がたくさん送られてきて複雑な気持ちになりました。
その場所で撮った家族写真はどれも幸せそうです。でもこの一ヶ月後には家族関係にヒビが入り始めます。
なんだか栄華を極めた光源氏が、女三の宮との結婚をした時期のようです。そのあと光源氏は絶望を味わいます。(因果応報とも言えますが)
これが幸せな今を私が楽しめない理由でもあります。
幸せを感じたあとほどその反動も大きいのかもしれません。
ただ、思うことはあの当時、問題の渦中にいた人も、年老いたり、亡くなったり、小学生が成人したりしてあの頃の姿と変わらない人はいません。非常勤講師だった私がフルタイムで働いています。
ほんの一五年ほど前の出来事なのに遠い昔の夢物語のような気持ちがします。
何かを経験した私は、経験をしなかった私にも戻れず、若くなることも人生をやり直すこともできません。ただ、道の角度が少しだけ変わって、気がつくと本当は歩もうと思っていた道から随分と外れてしまったという感じです。
それは良し悪しの問題ではなく、人生にはままならないことがあるというだけです。もしかしたら定められた運命だったのかもしれないとすら思っています。案外、人が努力で手に入れられるものは多くはありません。
私の人生は、自分が努力して手に入れたものはほとんどありません。いつも思ってもみない形で努力が報われることが多いです。
たとえば、現在勤務する学校は、自分には分不相応だと思うことがあります。
同僚がみんな優秀で、若い人から年長者までも、管理職や事務員さんも学ぶことの多い人ばかりです。そういう環境で仕事ができることは人生でも多くないと思います。
今年も退職や転勤はありましたし、来年も離職される人はいるでしょう。もちろん新しい人も加わるでしょう。同じ学年で授業を担当する人も変わりまし。
同じなのは箱だけです。
生徒も一年経てば別人のように成長しますし、卒業もしていきます。学校は同じ場所にありながら、いつも違う場所になり得る不思議な場所です。
いままで勤めた学校も良かったときもありますが、現在の学校は過去で最も恵まれた環境だと思っています。同じ学校ですが、昨年度より何倍も良い環境です。
そして、娘が送ってくれた写真と過去の写真を見比べて、場所の雰囲気はそのままなのに写っている被写体が変わり、娘の隣にいる人も違っています。同じ人物が、笑顔で立っている写真なのに、笑顔の意味がまったく違います。
もしもこの先同じ場所に娘が行ったなら、どんな写真を撮影するのでしょう。その頃、私はどうしているだろうと思いました。
