私はなぜ、ずっと書き続けているんだろう。──noteを始めて、「書くこと」が好きな自分に再会した
思い返せば、私は昔から「書く」ことが好きでした。

小学校の頃は、友達とプロフィール帳や日記を交換しあって。今日は何を書こうかな、友達はなんて書いてくれるかなと考えるのが純粋に楽しかったし。
中学校・高校の頃は、友達と毎日手紙のやりとりをしていました。部活や恋愛相談など日々のちょっとした悩みを相談したり、逆に普段言えない自分の本音を思い切って伝えたり。
大学生の頃は、テストの授業よりも、自分の考えをレポートに書いて提出する授業を好んで選択したり、少しだけSNSをはじめてみたり。
社会に出てからは、縁があって企業の広報の仕事に携わる機会をいただき。そこでプレスリリースやブログ、社内報など… 毎日書いて書いてかきまくって、「書く」を鍛えてもらいました。
こうして振り返ってみると、プロフィール帳も手紙もレポートも広報の仕事も、形は違っていても全部「書く」ことでつながっていました。
じゃあ、私はなぜこんなにも書くことが好きなんだろう。
noteを始めた今だからこそ、少し立ち止まって考えてみることにしました。
小学校から大学までは「自己表現のひとつ」だったなと思います。
中学生くらいから、「こう言ったらどう思われるかな?」と考えすぎてしまい、自分の気持ちを言葉で伝えるのが少し苦手でした。
それは大人になった今もあまり変わりません。
だからこそ、一度頭の中で考えを整理し、自分のペースで言葉を選べる「書く」が好きだったのだと思います。
一方で、会社でやってきた「書く」は自己表現とはちょっと違います。
会社で扱っていた製品が技術的に難しい内容だったので、事実を正確にわかりやすく相手に伝える必要がありました。なので、そこに自分の気持ちや考えを表現する余地はあまりありません。
製品の特徴をわかりやすく書いて、記者の方に納得してもらえたり。技術者の熱い想いを記事にして反応があったり。これはこれでとても楽しく、毎日好奇心をくすぐられて仕事をしていました。
ただ最近、改めて気づいたことがあります。
それは、「書くこと」は私にとって単なる作業ではなく、大切な自己表現なのだということ。
そう思ったきっかけは、意外にも生成AIでした。
生成AIは驚くほどきれいな文章を書いてくれます。構成も整っているし、読みやすい。
それなのに、読んでいるとどこかしっくりこない。結局いつも、自分で全部書き直してしまっていました。
たぶん私は、正しい文章を書きたいわけではない。自分が感じたことを、自分の言葉で表現したいのだと思います。
noteを始めるというウィッシュリストを叶えたことで、昔からずっとそばにいた「書くことが好きな自分」に、改めて再会できた気がします。
これからも、自分の思ったことや感じたことを、自分の言葉で残していきたい。
そして、もしその言葉が誰かの小さな楽しみや、ほっとする時間につながったなら…
それはきっと、とても幸せなことだと思います。
