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言いたいことをぐっと我慢すると、回り回って大切な人を傷つける。

否定的なコメントがついた。ツイッターはともかく、noteはとても珍しい。「長くて意味わかんねーよ!」(要約)というもので、別に凹んだり怒ったりもそんなにないんですが、多少はイヤだったのでそこあたりを書いてみる。

まずですね、簡潔でわかりやすい文章なんていくらでも書けるから!むしろそっちの方が得意だから!過去の読んでみて、超わかりやすいから。そしてそれから必死に抜け出して今だから!!いつでも綺麗にまとめられる能力なんてAIがさくっと奪ってくれるよ。そうじゃなくて、まだ「意味」としてまとまってない前段階のものを伝えるために筆を駆使してるわけですよ。小説とかって「嫉妬」って言葉にしたら2文字をあれだけの物語にして、会話を入れて伝えてるんですよ?マクロな文章ってものなんてものはただの情報伝達で、それはこれからどんどん効率的になり、人間がやる必要なんて皆無になりますよ。そうじゃなくてミクロな、ともすれば全く意味なんてないような出来事の一つ一つを書くことで浮かび上がる「何か」みたいなやつだけが今後も個人が書く意味のあるものになりますよ。好きで書いてるけど、なんとなくその先があるような気がしてこっちとら得意なものじゃなくて書いてるわけです。わかりやすい文章が読みたかったら辞書でもずっと読んどいてください。あと「増長」じゃなくて「冗長」だから!!!!


ふーふー。全然冷静じゃなかった。

とはいえ感情は割と平坦です。僕は大丈夫です。たぶん。
「言いたいことを言わない」というのがある程度大人の振る舞いみたいに扱われてますが、これちょっと違うんじゃないかなーって最近思ってるので今日はそんな話を。

目の前の人にいきなり理不尽に怒られた時って「うわ、やばいなこの人」くらいしか感情出てこないけど、ある程度こっちに非があったり正確に出来事が伝わってない時は「あ、でもこれはこうで」みたいに説明したくなるし、できることなら事実と評価を分けて対話ができるといいなって思う。

でも、相手が目上の人だったり、取引相手だったりするとこれをぐっと抑えて「おっしゃる通りです」と言ったりする。これも別に悪くない。自分の中に黙っておくほうが利があるという天秤を弾いているから。だけどこれを突き詰めていくと、「本音」と「利益」の天秤になって、利益が勝ち続けてることになる。それは本音が常に表に出せないということとイコール。だから、(抽象的な)サラリーマンは居酒屋で愚痴ばっかり言うわけです。本音を出すところがないから。

経営者だって一緒で、できる人ほど部下の不満なんて会社内で絶対共有できない。違う部下に言ったとしても「この人にいつか自分も同じように言われるんだ」と思っちゃうから。それが組織を蝕んでいくことなんて、たくさんの失敗から学んでる。さらに外向けのキラキラな場だともってのほか。つまりここも「本音」と「利益」が天秤になって、利益が勝っている。だから経営者のメンタルケアとか、NDA結んだ経営者コミュニティーとかがすごく必要になってくる。


で、これは僕にも多少あって、攻撃されてるなーでもここで応戦するのも違うなーとか、足引っ張られてるなーでもこっちも引っ張るのも違うなーみたいなことから言い返したりするのをやめたりします。シンプルにその言い返すってのがダサいってのもあるけど、やっぱりこれも「本音」と「利益」を天秤に乗せて、利益をとってるんだと思う。ある程度美学を取ってるような気もするけど。んで、これこそが大人の振る舞いだーって思ってました。

思ってました、が、どうもこれもまだまだ深ぼれるところあるなと。というか大体の二項対立は止揚できるんでしょうね。毎回意識すると良い着地ありそう。今回だと「本音」と「利益」で、「伝えない」と「伝える」に分かれるって感じだったけど、いくつかの方法が考えてみる。たとえば、わかりやすいところでいうと「足を引っ張られた」から「足を引っ張る」のではなく、その相手の人が到底手も届かないくらいの成果を出すことで見返す、とかもその1つかもしれない。足の引っ張り合いじゃなく、相手なんてしてないよという遥か高みから「本音」部分を解消する。これよく漫画とか物語だとやりますよね。かっこいい行動の一つとして。余談ですが、やっぱり今まで二項対立だったものが止揚された瞬間みたいなのに僕たちはカタルシスみたいなものを感じるのかもしれませんね。


ここまではまだなんか思いつきそうなことなんですが、最近は「本音をちゃんと伝える」がいいんじゃないかななどと思ってます。逆に二項対立に戻ってるようにも見えるんですが、「本音」というものを伝えることで「利益」が得られないって構図を変えるって意味だと、これも止揚してるのかもしれないです。

そもそもテキストでも口頭でも、自分の本音と向き合って、場面をメタ的にみた上で事実と評価を分けて、それを適切な語彙で伝えられる人なんてほとんどいません。全人類の0.01%以下だと思います。誰もが誤解のある伝え方をしてるし、自分の本音がわかってません。そんな状態にあって「本音をちゃんと伝える」かつ、それで「利益も損なわない」はとてもチャレンジングな取り組み。挑戦してみる価値のあるもの。そんなふうに考えるようになりました。

たとえばやたらと攻撃的に絡んでくる人にいきなり「あなたの攻撃はこういう根拠から間違えてます。直ちにやめてください」という本音をそのまま伝えてもうまくいかないことがほとんどです。弁護士とか入れてコミュニケーション硬直化しちゃうとこういうことになりがちだったりします。一方で、相手の置かれてる状況をできるだけメタで認識した上で、相手の靴を履き、相手の攻撃の根拠となる本音の部分を探り、類推し、その本音部分が解消されつつ、自分の望む世界になるように対話する。これができたら一挙両得なわけです。

何度も挑戦してるんですが、うまくいくことばかりじゃないです。ただ、ちょっとずつわかることも増えてきました。たとえば、相手の本音は抽象化すると大体「悲しみ」「寂しさ」です。怒りの形になってでてきてますが、それは仲間外れにされた、自分が重要視されてない、大事なものを傷つけられた、です。対立相手になってしまうといきなりそこのケアみたいなことは難しいですが、そこが癒えたなら、そこから始まる論理なんて全クリです。ロジックはただ自分の悲しみを癒すために作り上げた虚像にすぎません。ロジック信仰の人多いですが、こんなもんただ最初に結論があって、それをもっともらしく見せるためだけの道具なんで大したことないですよ。感情的になるな、論理でしゃべれって言われてますが、それはまぁここまで深掘りしたコミュニケーションがめんどいだけです。日常生活でこれを毎回やってたら潰れるので、それはそれで大切なんですが、でもその程度のものです。

相手の「悲しみ」を無視して、「いや、違うと思う」的なコミュニケーションしかとれないから、本音を言わないって選択肢しかなくなって、「本音」と「利益」の天秤が生まれて、利益を取ることで本音が殺され、苦労するわけです。言わない本音は自分の中に溜まり、腐敗し、拗らせて、その相手以外のところでポロッと出てしまいます。大事な人をそれで傷つけたりするからタチが悪い。イヤなやつへ本音を言わなかったがばっかりに、好きな人に歪んだ本音をぶつけるという悪循環。やめたい。そういうの。


ということで冒頭に戻って、僕はまぁ感じたことはちゃんと伝えるわけです。今回は、別に相手は見ず知らずかつ適切なコミュニケーションをする気がない方だったので特に配慮もなく、ただ本音を伝えてます。これで僕が失ったのは、「器が大きい」って評価くらいです。受け入れましょう、器の小ささを。お猪口であることを。お猪口の裏であることを。

でもこれを言わなかったときに、大人としての振る舞いだと思って本音をぐっと我慢したときに、生まれるだろう負の連鎖は止められた気がします。よかった。


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