ぼくたちは苦手な会話を避けるために会話しなければならない。
こういうイベントをやったりするせいで、人に会うのが好きな人だと思われるのですが、うん、嫌いじゃないけど、、。
という感じです。
いや、ごめん!嘘だ。きらい、というか苦手、ですね。それこそ上記のイベント開催からかれこれ2週間。いまだ疲れが抜けない。
なんというか、少人数で、自分の全てを曝け出しても受け止め、それ以上の力で返し合う場はすごく好きなんです。
最近だとキレッキレの中学3年生の子とよく話すんですが、彼が前提としている世界観を一つメタって切り替えしてそれを受け止めて矛盾点やこっちの驕りをついてくるコミュニケーションはひたすらに楽しい。
「あなたのやり方はいつか腐敗するかもしれませんよ?どうするんですか?」
「なんで君がそれをどうにかしたいと思わないの?君も一員だよ?」
上記イベントの主催者であるふじたさんともよくなるけど、脳の隅々まで使って応酬する会話は何物にも代え難い。それこそ飲みの席の会話をラジオに収録して後で聴いたら、過去の自分が笑ってる箇所で今の自分も笑ってしまったりする。とても楽しい。
これらは会話というよりも対話なのかもしれない。会うのではなく、対になる。
では、なぜそうじゃない場が苦手かと。
色々あるんですが、
持ってるカードの見せ合い
で終わるからかな、と。
私はこういう人です。ありがとうございます、私はこうです。でしたら、こういうことができますね。そうですね。ありがとうございました。
いや、悪くはないんですよ?
それで生まれるものも確かにあるし。新たな出会いの大切な役割。
一方でこれはある種の「反射」なんですよね。火に触れた時の反応みたいなもんというか。脳の浅い部分、もっというと脳をほぼ使わずに、言葉の理解→抽象化→持ってるものの提示→マッチング、が行われてて、自己の内面の変化は起こってない。深淵にある自分の何かに触れることなく、上っ面で処理してしまう。
じゃーなぜそういう場をやったり、行ったりするのかというと、そりゃ、脳の隅々まで使った対話ができる人が見つかるからですよ。そしてこれは意図しない場で生まれたりするからタチがわるい。偶然参加したカレーパーティー、たまたま一緒にやることになった実行委員、気が乗らなかった偉い人たちとの交流会。
ぼくらは、苦手な会話を避けるために会話をしなければならない。
なんという矛盾。
人なんて、陽と地と詩とで満たされるほどのものなのに、ぼくたちはまだ何かを求め続けている、ふしぎ。
「♡」は、誰でも(noteにアカウントを作っていない方でも!)押すことができます。この投稿を「いいな」と思った方は、気軽に押してもらえると嬉しいです!
最近Instagramによくいます。
@yamada.monokaki
いいなと思ったら応援しよう!
ここまで見てくださるなんて...ありがとうございます!!
チップをいただくより継続的に読んでもらえる方が嬉しいので、よければメンバーシップにぜひ!