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苦しい夜の処方箋

物語が必要な夜がある。
友人に勧められて「三体」を読み始めた。正確にいうと再読。以前読んだ時は「おもしれー。。」くらいだったのが、今は「おっもしれぇ〜!!!!」くらいになってる。不思議だ。ストーリーはわかってるはずなので、ストーリーに変化はない。もちろんわかるようになったことが多いとかそういうのはあるかもしれない。でもそれよりも今の自分の状態にあっているという方が大きそうだ。

現実世界が充実していると、夜眠るのが楽しくなる。明日起きたらこれしようあれしようってワクテカしながら、しかもそれを楽しみながらする二度寝なんて最強すぎる。
でも、現実世界にトラブルや嫌なことがあった時は、寝る前の時間、そのことを何度も反芻してしまう。考えたくなくても考えてしまう。ストレスを暗示する夢を見てしまう(夢占い的に)。とてもいやだ。そしてこれはコントロールできない。勝手に起こるというわけだ。

そんな時に物語。
物語は僕にもう一つの世界をくれる。その世界では、今抱えてる苦しみはない。主人公の苦しみや登場人物の苦しみはある。それを歯痒く思う自分もいる。でも自分の苦しみはない。これもしかしたら現実世界でも同じなのかもしれない。自分が苦しみだと思ってるものも、別に自分の苦しみじゃない。そんなお話。ちょっとよくわかんないですね。言いたいのは、物語は自分と自分の痛みを切り離してくれる作用があるってことです。


痛みや苦しみの処方箋は多い方がいい。それこそお酒に溺れること、ギャンブルに狂うこと、新しい出会いに邁進すること、なんでもいい。でもそれらのアドレナリン的解決策はいずれ限界を迎える。つまり「もっともっとくれ!」である。これは脳の性質的に致し方ない。そうなっていくものだ。

でも物語はおそらくそうじゃない。
一生無限に味わえる。辛いことがあった日、苦しいことがあった夜、物語に僕たちは救われている。


こういう物語をつくってくれる人たちが心身ともに健康に生きていって欲しいなって思って(主に自分のために)、できることはやりたいなど考えてます。小さいところだと、その作品をちゃんと買うこと。おもしろかったら「おもしろかった!」とSNSでいうこと。人に勧めること。トラブルの中にいるなら解決する手伝いをすること。もっと飛躍したいなら持ってるものを提供すること。小さいことでもできることはやる。何度も言うけど、これは自分のために。だって未来の自分助けるかもしれないんですよ?すごくエゴイスティック。頼む、俺のために健康に生きてくれ。


今までいくつか事業をつくったりしてきましたが、その中に絶対うまくいかない種類のものがありました。それは「誰かを助けたい」で始める事業です。誰かの可哀想な様をみて、どうにかしたいで頑張って、そうこうするうちに依存され、場合によってはその関係性自体に自分が依存し、消耗し、継続できなくなる。まず自分が自分の足で立たないと、とても難しい。「誰かのために」ってGiveの気持ちのように見せかけて、「誰かを救う自分のために」動く場合はただのTake。お互い消耗する。

上記と矛盾するようだけど、どちらかというと立脚点が逆。まず自分のため。その自分のためを究極的に考えていくと、周りの人も、その先の人も幸せにしなきゃならんなってなるのが前者。まず相手のため。その相手を利用して自分を幸せにしようとしているのが後者。とても似ているけど全然違う。

そしてこれはNPOとか非営利セクターでもたくさん起こってる。教育関係とかも。「弱者」と自分が勝手に思い込んでいるもの、子供だったり、貧困だったり、障害だったり、そういう前提で優越的な地位に自分が行かない限り自分を保てない人がいる。そういうのは、そうじゃない人が見たら一発でわかる。多分ほんとにちゃんとやってる非営利セクターの人とか、うまくいくNPOといかないNPO相当ちゃんと目利きできると思う。

構造的に「弱者」というポジションに置かれているってことを否定するとかではなくて、自分が目の前の人をどのように見ているかって話。また、自分がその存在をどう「利用」しているかって話。利用って言葉が強いかもだけどわかりやすさのために使わせてください。

自分に立脚点がちゃんとある人は、まるでコップから水が溢れるように結果として誰かに何かを分け与えてる。これはいっぱい持ってるから、成功してるからって話ではなく、精神的な話の方が近い。もちろん生活が安定しているってのはそれを行いやすい要因だとは思うけど、必ずしもそうじゃない。何も持ってなくても、満たされている人はいる。

一方で他者に立脚点がある人は、穴の空いたコップにひたすら水を注ぎ始める。自分のものだけじゃなく、他者からのものも。その奪取がないだけで、他にも行き渡る人はいるだろうに奪いつづづける。そういう人がチームにいると、チームはとても満たされなくなり、結果として外に何も出せなくなる。

できることなら自分に立脚点を持った上で、結果として誰かのためになるようなことができたらいいなって思う。難しいけどね。あと前に出て話す時は説明の順序を逆にしなきゃいけなかったりしてさらに難しくなる。ほんとはよくもわるくも自分を満たすためにやってるだけなのに、それは求められてないから、課題(=可哀想にあっている人たち)はこれで、だからこんな解決策をしているんですって感じに。

友人は「自分がうまい酒を飲むため」にやってるって言ってる。とても正直。そして全然刺さってない。そりゃそうだ。そんなもん応援しない。でも正直。あとで「わかるー」って言われてることも多い。特定の課題解決のためにやっているって説明をした方が応援やモメンタムが生まれるのはわかってるけど、やっぱどっかに虚偽が入るよね。

あ、でもおもしろいのが最近その友人は「うまい酒を飲むためにやってると思ってたけど、だったらこの方法じゃなかったのではないか、、」と悩み始めてたりする。もちろんどっちとどっちを完全に選べる状態で選ぶなんてことはあり得なくて、今この瞬間での選択が数限りなくあるだけなんだけど、ある意味で「うまい酒を飲むため」と自分を落ち着かせていたところがさらに深まってるの良き。目的が手段レイヤーの落ちた時が成長だよね。

僕の場合は「ただ書く」ためにあらゆることやってるって感じになってる。それはとても利己的で、だけどその方が世の中良くなってる気がする。わかんないけど。悲しい思いも、誰かのチャレンジを応援することも、チームと笑い合うことも、全部全部その瞬間瞬間が尊く、そして全てが「ただ書く」ことにつながっていく。

全部過程。
だけど、その過程を過程だと思わず、今この瞬間だと思い続けながら。




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