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僕は「ぼくのことを好きな人」としか仕事ができない。

僕は「ぼくのことを好きな人」しか好きじゃない。
なんという狭量。器の小ささ。我ながらびっくりである。


そして僕は「ぼくのこと好きな人」としか仕事をしない。
いや、正確に言うと"できない"。


「好き嫌いで仕事をするのか」

「目的のためには清濁併せ呑め」

「そんなことでは人生が縮こまるぞ」


ごもっとも。
それらことについて、ぐぅの音も出ない。
何度も何度も悩んだ。

そしてお気づきの方も多いと思うんですが、こんな事を言っちゃう拗らせ続けた僕のこと好きな人は決して多くない。いや、うん、語弊がありますね。うん。少ない。


好き嫌いをなくすだけで、もっとチャンスが広がるのではないか?
人間関係が小さく小さくなっていくのではないか?

ぐぬぬ...。


しかし「できない」んだからもう仕方ないと割り切って、「ぼくのこと好きな人」とばかり仕事をし始めた。とても楽しい。ずっと文化祭の準備の感じ。ヒャッハーである。

するとある時から、彼ら彼女らが「その人そのもの」として最大化されてないのが気になるようになった。


「彼(彼女)は、そんなもんじゃないのにー!!!!!!!」



・・・この(何のためにもならない自己の内面の吐露という)前置きを長々と書いたのは、ぼくのこの「仕事の心がけ」が、もしかしたらみなさんの仕事の役に立つかもしれないと思い立ってのことです。
決して自己語りがしたかったわけではありません。決して...。


まずは、2つのCASEをちょっと聞いてください。




CASE1 ひーくん

優しい好青年。並外れたUI/UXで大体の人とうまくやれる。能力も高いのでそつなく何でもこなす。苦手なものなんてなさそう。

でも彼の本当の本当のど真ん中は「変容コミュニケーション」。出会うことで、内面の変化が起こるような、言葉だけじゃなく態度や在り方含めたそのすべて。無理に変えようとするわけではなく、お互いが「変わってもいいな」と受け止めあっているときにだけ生まれるコミュニケーション。

その「変容コミュニケーション」ができているとき、彼はとてつもない力を発揮している。その場のすべてが見えてるんじゃないかって思うくらいの場の掌握。それは窮屈なコントロールではない、とっても自由な掌握。場合によっては彼がその場にいるかいないかなんて関係ない。そのくらいの状態を創り出す。

「変容コミュニケーション」をできるようになるためには、哲学やビジネススキルを身につけることを厭わないし、逆に阻害要因にならないように外見もあたりもとても柔らかい。それらのスキルや知識は、派生して勝手に身についただけで、彼がやりたいのは、やり続けておきたいのは「変容コミュニケーション」ただそれだけ。


そんな彼とはいま、学校に行かない子や行けない子のための『無花果もえぎフリースクール』や、通信制のサポート校『無花果高等学園』を一緒にやってます。

はじめは、「優しいUI/UXだからうまくいってるのかなー?」くらいで思ってたんですが、不登校で悩む親御さんの相談に乗っているとき、スタッフの自己成長プログラムをつくっているとき、教育哲学を吸収しているとき、学校に馴染めない子たちが楽しく過ごせる場をつくっているとき、えげつないです。ここまでか、ここまでやるのか、と。

意識的にロジックでやっている部分と、無意識的にやってる部分(というか無意識でできるようなるレベルまで修練したと思われる)がありますが、おそらくあの境地にいける人は日本に数人とかだと思います。まじで。

まだ若いので超えにくい部分(たとえば、年下からは学びたくないって思っている人がいるなど)はありますが、おそらく頂点までいくでしょうね。そしてそれがほぼ自然に、やってて苦じゃないというのがすさまじいです。


だからぼくが仕事で心がけているのは、彼がその「変容コミュニケーション」をとれている時間を最大にしていくこと。

一方的な発信だけじゃなく、そこからコミュニケーションが生まれるような仕組みをつくったり、学校の先生方ともそういったコミュニケーションが生まれる方に優先的に時間を使えるようにしたり、ビジネスモデルをつくったり、「変容コミュニケーション」の結果の最大化とパーパスをつなげたり("よい"教育をつくる。とどける。)。

あとは何度も何度も「変容コミュニケーションに時間を使おう」と言い続けてます。ぶれないように。



そうするとですね、立ち上げたときは何となくぼくがリーダーでオーナーで、って感じだったんですが、どんどん彼のものになっていきました。
ポジティブ乗っ取りです。

別に抜けるわけでもなんでもないですが、凄まじい勢いで進み始めたのでついてくのに必死です(楽しいです)。



CASE2 けっけ

とらえどころのない、何をやりたいのかわからないカジュアルな男。なんとなく色んな所に手を出して、楽しく遊んでる人。


でも彼の本当の本当のど真ん中は「チャレンジへのリスペクト」。表現は変わるかもしれないですが、ここだなぁと最近よく思うようになりました。

この「チャレンジへのリスペクト」がポジティブなものから来ているのか、ネガティブなものから来ているのかは正直まだまだわかりません。ただ、この「チャレンジへのリスペクト」が発揮される際の彼のエネルギーは凄まじいものがあります。

そのチャレンジの大小は関係ありません。初めてイベントをすることも、転職することも、起業することも、そのどれもが大切なチャレンジ。

そして、まだチャレンジしていない、チャレンジするかもしれない人へのリスペクトもある。高校生や大学生などへの講演やコミュニティ参加にも積極的。


「チャレンジへのリスペクト」から、そういう人と飲み続けるために自身のチャレンジをやめない。彼自身がチャレンジをやめたらきっと置いていかれるから。


そんな彼とはいま、瀬戸内VCという独立系VCを運営しています。

正直、正直言って僕は苦手な人も多くて(投資先にはいません)、人に会い続けるのが億劫になることもしばしば。だけど彼は起業家、もっというとスタートアップ起業家というチャレンジのど真ん中の人たちと会うのに一切の躊躇はなく、さらに、「ん?」って思うようなことをされても、その根底にリスペクトがあるから受け入れる。

こっちをナメてくる人ってのもまぁいるんですが、そんな人にでもリスペクトをもって接している彼をほんと心の底からすごいなーって思います。僕にはできないし、VCというか、起業家と関わり続けるポジションが彼の天職だなぁと。

だから(誤解を恐れずに言うと)オープンイノベーションとか自治体との地方創生とかは苦手です(それ系は僕に振ってくださいw)。
おそらく彼は「チャレンジへのリスペクト」に関する分野で超一流として認知され始めると思います。一旦今は、VC、講演、コミュニティ組成あたりから頭角を現すのかなと。




仕事の心がけ 「その人そのもの」

仕事をしていると、やるべきこと、お金のこと、VISIONのこと、みたいなことが頭の中を占領し、物事が直線的に進んでいる感覚に陥りそうになります。

「これを達成するためには、この能力を持った人を採用して」

そういうのもとても大事。
やりたいことがあるなら、無限の手段から最適の一手を選び続けるのは定石。


でも、それでうまく行かないことがあったときに、目の前の人が「その人そのもの」でいられてるのかなぁってちょっとだけ心を配ってみる。

上記の2つは一緒にやってるのでわかりやすい成果がでてますが、そこはあんまり問題じゃない。

一緒にいるだけで子どもたちが思わず笑顔になってしまう人、考えるのが苦手だからこそ全て本当に思っているんだなっとスッと入ってくる人、自己肯定感が低いのは内省がうますぎるからって人…。


そういう人たちの、「その人そのもの」みたいなのをしっかりと見つめに行く。そしてちょっとだけ「その人そのもの」が出やすいように関わってみる。


それはたいしたことじゃないかもしれない。
子どもたちが集まりやすい場所にいってもらったり、複雑な人間関係の場所に入ってもらったり、考えていることを文章にしてもらったり、コミュニティを紹介したり、そんなちょっとしたアクション。


だけど、その効果は絶大。
その人が「その人そのもの」と結びついているとき、周囲は圧倒される。


役割とか能力とかそういうのもたしかに大事なんだけど、それだけでうまく行かないって思ったときに、目の前の人が「その人そのもの」でいられてるかどうか気を配る。

そうすると、どうやっても乗り越えられないって思っていた壁をあっさりと、まるではじめから壁なんて無かったかのように超えていける。
僕は何度も何度もそのような体験をしてきました。


枠に人をはめるんじゃなくて、人に枠を用意する。

そんな仕事の心がけ。
もしかしたらありなのかもしれません。

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