どれだけ本音っぽくても建前。
前回の文章はあまりいい感じではなかった。なんか書かなきゃってのが湧いてきて、その気持ちのまま書いたというか。原因としては、いつもは朝仕事前に書くところを、仕事の合間に書いたことと、テーマを決めて書いてしまったことの2つかなと。うむ。やっぱダメなものはダメなんだ。これ続けたら嫌いになるので、「朝」「テーマなし」は保ちたいところ。一方でこういうふうに自分が心地よく「ただ書く」ができる環境や状況や精神状態を把握できてきているのはとてもプラス。よき。あとは「人がいないところ」が加わって、今僕のこの大量の文章は生まれています。
自費出版も商業出版もしてて、自由に文字というものを使いこなしながら形にしていってる友達と話して、大量に教えをいただいた。なんというか驕ってるつもりはなかったけど、教える立場であることが多くなってたので、「こんなに教えてもらっていいの!!」って驚きと、脳の活性化がやばかった。やはり興味あることの学びは楽しい。最近ビジネス系の誰の話を聞いても退屈しちゃってたのは、あまりそこに興味がないからかもしれない。
一方で、講演、勉強会みたいな感じで誰かの話を一方的に聴くって形ではなく、飲み会みたいな形でざっくばらんに話をする時の学びは多い。聞きたいこと聞けるってのもあるし、やっぱり大勢に話す時は良くも悪くも「建前」で話す。これは仕方なくて、誰が聞いてるかわからない世界でいきなり「ほんとの話」はできない。そりゃそうだ。先述の友達も、彼女の書く美しい文章の裏にある本音みたいなものはたしかにあるのである。そりゃそうだよね、人間だもんってめちゃ思ってもっと好きになるけどね。でもそれは出す場所、出すタイミング次第でとてつもなくマイナスのイメージをつくることになるし、誰かを傷つけることにもなるので致し方なし。やはり、こういう時間を作るに限る。
しかしながら自分でもおもしろいなって思うのは、こういう一人一人本音で話す場が好きなくせに、そうじゃない場(典型例は交流会)に参加してるところ。やはり、そういう場でゆっくり話したい人を探しているんだろうか?その割にはその後一対一で話す場を設けてないな。ここ意識的にやってもいいかもしれない。利害関係ではなく、普通に話したい人とランチとかお茶行くみたいな。男女のこととか考えるのあれなのでできるだけ日中に。
ただ、これって実は結構難しくて「なんの用件もないけど、あなたに興味あるからお話ししませんか?」って本質ではあるもののなんとなく成り立ちにくい。だいたいこういうこと提供できます、こういうこと知りたいです、みたいな方が話しやすい。そこでの無限の脱線は可能だけど。特にオンラインはこうしないとなんか空気感含めて楽しめない。ということは解決策は二つ。
1つ目は、何かチャレンジすることを決めてそれに関する情報の交換的ポジションで人にあっていく。たとえば、この「ただ書く」がもうすぐ3万字くらいになるので、これが10万字くらいになったら自費出版するために動くことを前提に人と話していくというもの。とても楽しそう。
もう1つは、リアルで会っていくこと。つまり旅ですね。人と余談雑談脱線が生まれるリアルという最強のプラットフォームで人に会う。これも楽しそう。どっか行こうかな。となると、誰がどこに住んでるかってリストをつくりたくなる。んで、駅にリマインドでもセットしておくとか良いかもしれない。直近、京都、大分、東京、茨城、香川、滋賀に行くけどそこにいる話したい人たちが浮かぶようにしておきたいものです。
こうして書くととても人との交流を大事にしているようにも見えるけど、基本的には一人が好き。だからこそ誰かに会うときを大切にしているとも言える。誰に会ってもどんだけ会っても消耗しないのであれば、もっと雑にいろんな人に会っていく気がする。昔はなんでこんなことで消耗するんだ、、と嫌だったけど、今は逆にだからこそ大事にできてるって気づけてよかった節さえある。
本音と建前。
僕がむかし読んで感動したエッセイ。そういうものの中にも建前は含まれていたんだろうか?そんなふうに生きられたら幸せだろうなーって必死にメモをとった文章にも、その背後には「その生き方をしたいから書いている」くらいのまだまだ未達成のリアルな人がいたのかもしれない。
良い文章を書く人を無意識で相当高くリスペクトしているらしく、そういう人の人物評がかなり甘い。他の人は相対的に厳しめに見てるのに、文章書く人だけは甘い。このことは友人からも指摘されて、「いや、あの人も真理からまだまだ遠い人ですよ」など言われる。言い切れる彼もすごいなって思うものの、確かにこの人が文章を書いてなかったらその通りだろうななどと思う。良い意味でみんな途中、過程、道中、道草。
誰かと話してるとき、会話自体はある程度オートマティカルになされる。それが心地よかったりする。話題提供者がいて、そこから派生するいろんな会話を、持ってきている引き出しから出し合う会。でもたまにそういうのではなく、考えたことないテーマ、みたいなものを放り投げる。「もう嫌なこととか全くやってないんですか?」「好きなことだけやってて退屈しませんか?」そんなふうに、相手の何も入ってない引き出しを無理やり開けてみる。そこに知りたいことがあるから。ここは今まで空気を読んで会話をこなしてた自分からの大きな変化かもしれない。ある種の勇気。なんだこいつ?って思われることもある。
余談だけど、昨日もちょっとギリギリを攻めた結果、親御さんに不快な思いをさせた気がする(でも自分としては必要とだったというふうには思っている)。
どこかに真理みたいなものがあるのかもしれない、しかもそこに僕よりも近づいてる人が多くいるのかもしれないという幻想に、まだ僕はとらわれている。一見するとすごく世俗的なしょうもない人間にみえる友人は「そんな奴いない」と断じ、かつ「それでいいんだ」というある種の仏教的悟りみたいなことをよくいう。十牛図か。悟ったあとは世俗的に見えるものなのかほんとに。
この「ただ書く」という楽しみを毎日にセットした途端、朝起きるのはいつも楽しみになり、実際書いてる時間はとても幸福になった。一方で、たまには数字に躍らされたいって気持ちも少しあって、逆に囚われずに遊べるようになった。たとえば、Threadsはまったく使い道なかったけど、アルゴリズムの奴隷になって狙って投稿したら20万閲覧とか余裕で行った。
仮説を持って実行して結果を出す。シンプルに楽しい。しかもこんな短期間でその仮説の実証までいけるのはとてもよい。ハマるって人がいるのもよくわかる。だけどこれ自体になんの価値もないってわかってるからこそ、こだわりや好きなこととか無視してやってみるっていうことができてるんだと思う。これは大きな変化。以前だったら「やっても意味ない」「もっと本質的なことをしよう」みたいに考えてそんなこと試してもみなかった。これはとらわれてないからこそ数字の奴隷になることができたという逆転現象なのかもしれない。おもしろい。ちょっと世俗的になってきた。
他にもインスタのリールで「社長の放課後」っていう、スタートアップの子たちの素がわかるようなインタビュー動画をつくってる。1分30秒くらい。一発撮り、編集なし、文字入れだけ。みんな良い子だからこそできてる企画だけど、やってて楽しいし、それゆえに評価も上々。これで世界獲るんだ!的に鼻息荒いとできないことが、あっさりできてる。やはり何か変わったのかもしれない。
これからも、思いついたら試す。勇気を出して尋ねる。ただ書く。で自分の人生を埋めていく。とても楽しい。
これは建前ではなく、本音のつもり。
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→『頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。』
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