エッセイ | 朝井リョウと有益さの衣
朝井リョウが好きである。
『イン・ザ・メガチャーチ』が2026年本屋大賞を受賞したことでさらに人気が拡大。いま本好きな方も、そうじゃない方も「朝井リョウ」を知るようになった。
朝井リョウを知ったのは、『桐島、部活やめるってよ』。
最初に思った感想は
「嫌なこと書くな〜」
でした。
いや、いい意味で。やっとどうにか脱ぎ捨てて忘れられてたスクールカーストの嫌なところをもう一回目の前にぶつけられて、嫌だなぁ〜である。とても嫌だった。
そんな僕と朝井リョウとの出会いはともかく、これ表現がすごく難しいんですが、作品を超えて実態としての朝井リョウさんが結構好きなわけです。
僕個人としては、作家と作品はできるだけ区別して扱いたいわけですが、まーとはいえ分離不可分なのは重々承知。朝井リョウさんが全く作品を書かずに今のキャラクターであったとして同じように好きになったか甚だ疑問ですが、でもなんというか、あれだけ頭のいい人が、同ジャンルで、興味関心ある分野をちゃーちゃー語ってくれるのはとても楽しい。「信頼できない語り手」とか最高である。
これなんて、「え、なんか聴き逃した?」ってところからスタートし、タイトルコールに至る前にクライマックスを迎えるとても僕好みのラジオである。すごい。
と、ここまでが前段。本編は、このYouTube。
こちらおもしろいんでぜひ見て欲しいんですが、話の中に「二層構造」がでてくる。すごくざっくりいうと
表層:「ファン経済」
深層:「人間を動かす原動力」
という構造になっているというお話。
本当に書きたいテーマは、「人間を動かす原動力」で、それを「ファン経済」で包む。朝井リョウさんは「求肥」(あの大福とかを包むモチみたいなやつ)と表現していた。
"本当に言いたいことを包んでこそ遠いところに届く"
とのこと。
これ僕がずーっと言ってる「有益さの衣」のことやん、、と。
これは別に「有名な作家と同じレベルだ!わーい!!」みたいなことが言いたいわけではなく、どっちかというと絶望というか虚しさというかそういう話。
これさ、朝井リョウレベルの作家でもやらなあかんの?
純粋な創作性みたいなものはもうないのかもしれません。かつて子どもの頃ぼくが憧れていたような。
ここから二つの帰結が導けて
・だから、みんな求肥(=有益さの衣)を纏う必要がある
・だからこそ、そうじゃない創作に挑戦する必要がある
という。
論理というのはいかに適当かというのがよくわかりますね。結論ありきです。
たとえば、僕はいまnoteだけで1000万円以上手に入れています。月に100万円が安定して入ってきています。嘘だと思うなら、メンバーシップの人数×単価をやってみてください。
と、いうのが求肥です。
朝井リョウさんのメガチャーチでいうところの「ファン経済」です。やってることは一緒です。
お金の方が低俗感ありますが、ある意味でファン経済も「みんなが求めているもの」という意味では大差ありません(朝井リョウの時代における嗅覚が凄まじいって違いはあります。お金は誰でも欲しがりますが、ファン経済は「いま!」だけです。ここは朝井リョウのすごいところ。というか、このあたりが低俗さがあるかどうかなのかもしれませんね)。
とはいえ、「お金」というコーディングをするのか、「ファン経済」というコーディングをするのか、別に一緒です。本当に伝えたいことは、二層目にあります。
いや僕だって朝井リョウという作家と一緒と言い切ることに抵抗がないわけじゃないですよ?ただ伝えたいのはそこではなくて、かつて僕らが信じてた創作の神秘性みたいなやつはやっぱりないんですかね?辛くないですか?どうですか?
これはどちらかといえば、僕がビジネスの世界で身につけたスキルが役立つ(役立ってしまう)場面です。創作という不可侵領域をビジネスがザグザグと土足で踏み荒らしています。僕がnoteを伸ばした方法、多くの方に読んでもらえるようになった方法、いっぱいお金をもらえるようにあった方法、そういうものと一緒です。いやです。でもそういうものなのかもしれません。そしてその方がうまくいくのかもしれません。
「いつか、純粋な創作をするんだ。」
と思ってましたが、そんなものはないのかもしれません。常に混ざって分離不可分で汚れて、でも評価されてみたいなものなのかもしれません。つらい。でも救いでもある。どう思いますか?
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