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目標を達成することが虚しくなってきた。

今日はうまくまとまってないことを。

子どもと遊んでると、自分の「たのしいー!!!」を追求して、それを分け与えてくれるのが良くわかる。こんなの作ったよ!これできる?わーわー!ととてもエネルギーのカタマリ。周りにいると自然に元気になる(体力的には大変疲れる)。

一方大人でも、同じようにエネルギーがいっぱいの人がいる。こんなこと今やりたくて!いまここまでいって、これで悩んでるんだよー、一緒にやる?とてもエネルギー。やっぱり元気をもらう。


昔はこれを一人で自己完結できるものだと思っていた。
だけど、子どもはその昂りを伝える人がいなかったら、大人も共に歩む人がいなかったら、ここまでエネルギーが増えてなかったんじゃないかなって思うようになってきた。一人の追求の時間はもちろんあるんだけど、誰かに渡して、さらにそれを受け取ってという循環がエネルギーの増幅には必要なのかもしれない。


ちょっとだけ話変わって、「楽しい」と思うことをやり続けてて、それはわかりやすくDOだけでなくBEもあり、たとえば、湯船にのんびり浸かる、とか、河原をぼーっと見るとか、文章の都合上DOっぽく書いてるけど、基本はBE。そこにいるだけ、そこであるだけって感じ。んで、その「楽しい」はもちろん楽しいんだけど、刺激的な「楽しい」もたまに欲しくなり、目標みたいなものをつくったりする。これはなんでもいい。登録者1万人にする!とか利益完全新規で1200万円つくる!とかほんとなんでも。「!」のつく目標みたいなやつ。この目標を達成した時の気持ちは、あの時の気持ちに似てるんだろうなーなんて思いつつも、それに向かって試行錯誤するその時間自体はやはり楽しいわけです。目標達成よりその前の道草のために目標を作るという矛盾ですね。

でで、それももう限界というか、もちろん目標達成までの道を楽しむための目標ってものは「まぁ、うん」くらいの感じなので。

でもこれ非常に面白くて、他者を入れてくるとちょっとだけ様子が違う。これもなんでも良くて、起業で悩んでる若い人の相談に100件のる、とか、推し30人にポジティブな機会を提供する、とかとか。そうすると、その達成は目標の大小関わらずやっぱり嬉しいわけです。当たり前なのかもしれないですが。循環してる。

これは「他者にいいことしなきゃ!」みたいなときにはなかった感覚で、満たされてない自分の何かからさらに差し出してる時は、ただただしんどかったし、それで「ありがとう」って言われても、「はぁ」くらいでした。だけど今はそうじゃない。「ありがとう」って言われると「ひゃうぃごー!」くらいは嬉しい。そして、明日から生きていく糧になってる。大袈裟でなく。

なんかそういうことなのかもしれない。



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