「若い人ってすごいよね」って言うだけじゃなくてさ。
若い人たちと一緒にいることが増えた気がする。
悩みながらも軽やかに生きる彼ら彼女らを眩しいなって見ながら、でもそこで交わす会話で得るものがたくさんある。
彼らと話してて、親との関わり方や、幼少期の過ごし方が自分とは全然違うことを実感する。僕が現役の大学生だったとき、「あ〜いいなあ〜」と憧れたり、「俺は全然違う、、」と悔しがったりした相手と似ている。
片田舎から一生懸命勉強して、大学に編入して、そこでもまだ頑張って大学院に行って、弁護士になって、、とポキっと折れてしまいそうになる自分をいつも鼓舞しながら「がんばった」という勲章だけを手に入れて日々。ある種自分が全人格を賭けて手に入れたものを、軽々と手に入れて、どちらかというとそれの使い方の方に意識があるような常に一歩先という生き方はやっぱり羨ましい。
ただ、当たり前だけどそんな単純な話ではない。彼ら彼女らがそのキラキラした生き方の背後に薄暗い闇ややるせなさがないわけではない。それは「持ってるやつだからいいよね〜」なんて簡単なもんではない。彼女には彼女の悩みがあるよね、なんて言い捨てていいものでもない。彼らをライバル視して、仮想敵として頑張ってた頃の僕はそういうのがまるっと見えてなかったんだろうなぁ。
最近話があうのは、社会的地位がめっちゃ高くて達観しているような方か、悔しさに影で歯を食いしばりながらも軽やかに生きている若い人たち。
僕は、話が合う人って人格的な全方位のレベル感が一緒の人だと思ってる。前者の人は合わせてくれてるだけの可能性が高いけど、後者の若い彼ら彼女らと今こうして楽しく話せてるのは、ようやく僕が彼らと同じところまで来れたからかな、なんて考える。
そんな彼女らが、ビジネスって分野に明るくないからという理由だけで、高圧的にコントロールしようとする大人がいたり、無理難題で潰してたりする大人がいる。
静かな怒りみたいな感覚と、無力感伴うやるせなさみたいなものが同居して、とても気持ちが悪い。ちょっと体調も崩れる。
こういうときいつもすぐ「何ができるんだろう?」って考えてしまう。それはそれで大事なんだけど、今回は「どう在れるんだろう?」って考えてみたい。DOじゃなくてBEの感じというか。
ちゃちい言葉かもしれないけど、本当の意味で彼ら彼女らを人として尊敬し、行なっていることに敬意を払い、ただちゃんと人間同士として付き合う。なんかそういうことなのかもしれないって思う。それをもっともっと意識無意識で同化していく。
「若い人たちってすごい!」って手放しで賞賛するんじゃなくて、ある意味ちょっと嫉妬もしつつ、同じ一人の人間として接する。ここに達観はいらない。健全な好き嫌いもちゃんと持つ。大人気なくても。上下ではなく、師弟でもなく、友。
これができてる大人がどのくらいいるんだろう?
僕には幸運にも何人か年上のダチって感じの人がいる。明らかに自分よりすごいけど、でもそういうの全く関係なくダチって感じは、相手の器のおかげな気がする。
ここは僕が挑戦するテーマな気がしてる。2024年末に覚悟し、ここから数年間はもがいてみようかな。DO以上にBEの勝負になる気がする。わかりにくいけど、ずっとやり続けていく。若い人たちと対等に話してもらい続けられるかどうかが試金石。怖いな。でもがんばろ。
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