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「好きなことをやって生きていく」の先。

大きなプロジェクトにアサインされた。実はあまり最近はこういうことはない。自分のやりたいことだけやってると、誰かとやることも相対的に減るものなのかもしれない。

ただ一方で、自分一人でやりたいことをやり続けるのって、とても虚しいというのも感じるようになった。いや、ちょっとだけ正確じゃないな。きっと、人は一人ではやりたいことをやり続けられないんだと思う。内側から湧いて出る「やりたい!」って気持ちも、どこかで誰かのためになることが必要なのかも知れない。

誰かの要望に応え続けて人生の前半を過ごしたような気がする。それは、自己認識では「自分のやりたいこと」。かんたんにいうと凄くなりたかった。今風に言うと「何者か」になりたかった。当時の僕は、そのために積み上げることを選んだ。とりあえず、いい大学に行こう。弁護士になろう。IPOを目指そう。なんかそういうトラックレコード的なものを手に入れにいってた。京大受かった時、司法試験受かった時、IPOしたとき、そのどれも本気で目指してたから嬉しかった。でも一番は「もう目指さなくていい」という安堵感だったように思う。今思えば。

そこから自己の探究にハマった。他者から評価されなくてもやりたいことを探しまくった。いわゆる自分探し、好きなこと探しである。だから敢えて徹底的に「評価されるから」ってことをやらなくしていった。僕だと当時「IPOという関係者の多い複雑なプロジェクト」を主担当としてやりきれるって珍しい人間だったので、それを使った方が就職先も、起業もやりやすかったんだろうと思うけど、それを嫌って、全くお金にならないようなことをずっとやってた。大人の大運動会やったり、1日にブログ3本書いたり、懐かしい人に会いまくってみたり、みたり、、。やってるってことだとこんな感じだし、やってないって意味だと、何もやらない日とかもいっぱいあった。のんびりすごす。おばあちゃんとこどもと一緒に過ごす、とかとか。

そのうち、自分がとても「内省」をしてしまう人間であると言うことに気がつき始める。みんなこのくらい頭の中うるさいと思ってたのに、全然でした。生きやすいなそれは。そしてよりその頭の中を書き殴る日々が生まれ、自分一人でやりたいことといえばほぼほぼこの「ただ書く」というところに行き着いている。おもしろいもので、このくらいしか「やりたいこと」はなかった。自分一人だと。


最近、さらにちょっとした変化が。
身近な人のために、何かしたいなぁって思うことが増えた。ちょっと説明難しいんですが、今までは自分を保つために「誰かの求めるものに」になろうとしてたんだけど、最近はそうじゃない。なんか自然と満たされてるから、周りも豊かになってくれたら嬉しいなぁくらいの感覚。うまく伝えられないけど、当時と全然違う、他者との関わり方が始まった。

意識をそういう風に変えると、不思議と目に入る情報も変わるもので、「あーこの人たちが上手くいくといいな」とか「この困りごと僕一瞬で解決できるかも」みたいなことが増えて、実際に行動に移すこともできるようになった。シンプルに誰かが喜んでくれるのは嬉しいし、これは続けていけそう。

さらに、当時だとこう「ぐいっ」と気合いを入れないと助けられなかったようなものも、今だと自然に手伝えたりするようになってた。よくわかんないけど奮闘してた過去の自分は無駄じゃなかった。あと、こんなに沢山できることあったのになんで止めてたんだろう?って思う。自分で気がつくまで見えないものってあるんでしょうね。学び。


他者からの評価が欲しくて頑張って、そののち自分軸で好きなこと探しをやった結果、また他者との関わりが生まれてくる。傍目には昔と同じようなことをしているように見えるかも知れない。だけど、確かに違う。螺旋階段。


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