「価値観だいじ」ってみんな言うけど、目の前の人の涙止める方が大切じゃない?
インターネット上の「ことば」みたいなものについて考える。
前から思っていたんですが、どうも僕は文字による悪意にめちゃくちゃ敏感です。口頭で言われても気が付かないことがあるくらいなのに、文字だけは裏も面も対角線も気になって、何日も考えてしまいます。一度固定したもの、人の思ってることを文字に表すことが難しいこと、何度も目にすること、いろんな要素が重なって文字は強く自分に残ります。
だからかSNSは相当穏やかじゃない限り見ないです。たとえば「〜すべき」って文字を見るだけでちょっとうっとなります。色々考えが止まらなくなります。ましてや、誰か特定の人を攻撃していたり、特定の組織を否定していたり、みたいなものをみると、その正当性とは無関係に苦しくなります。ここに対して強ければもっと文字を書く者としてできることあったんだろうなぁって寂しくなったりもするんですが、流石にこれだけ影響を受けるのを知ってからはもう仕方ないなって思ってます。
ここを深掘りして考えていくと、「価値観」みたいなものが評価されすぎてるんじゃないかなぁってところに辿り着きます。常識を偏見のコレクションって昔の賢い人が言ったように、おそらく価値観もそんなものなんじゃないでしょうか?いいすぎかもですが...。
もちろん自分が選んで形作ってきた価値観を大切にするのは悪いことじゃないと思います。「どんな人が好きなの?」に対する30年くらいのベストアンサーは「価値観が合う人」「嫌いなものが一緒の人」みたいなものであることから、価値観というものは生きる上での結構上位のものなんでしょう。僕も譲れないものみたいなのが多い方なので、気持ちはわかります。
でも、あなたのその大切にしている価値観、目の前の相手を泣かせてまで持っとかないといけないものなんでしょうか?その涙止めるためなら、価値観くらい捨てれません?
難しいのはわかるんです。そんなことできたら戦争は無くなります。でも、そうなんです。戦争さえなくなせるんです。目の前の人のために価値観が捨てられたら。
もちろんこれは理想論で、みんながみんなできるわけじゃないから、どこかに不幸が固まるかもしれません。だけど少なくても今目の前にいる人が大切な人なんだったら、その大切な人と自分の価値観を秤にかけて、大切な人を選ぶのはどうですか?対立していたように見えてた何かが消えていくと思います。もともと価値観自体も移ろいゆくものですし。
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