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「チャレンジしてるね!」って言われることは増えたけど、増えた分だけチャレンジ感は減ってるのかもしれない。

チャレンジとか挑戦とかって話。
先日、1万2千人の参加者全員が何らかのチャレンジをしてるんじゃなかろうかってIVSというイベントに参加してきた。僕たちはメディアパートナーとしてだったので、その人たちにカメラを向ける。そうすると今やってることを、もっというと今チャレンジしてることを目をキラキラと輝かせながら語ってくれる。これほどまでに純粋なチャレンジが集まる場はなかなかないなーって感動した。

一方で「僕たちはチャレンジしているのか?」という問いもずっとぶつけられてる場だったとも言える。僕たちはよく「チャレンジしてるね!すごい!」と言われる。前まではその言葉を素直に受け入れて、「うんうん、僕たちは幾つになってもチャレンジできてるんだ」って思っていた。

んですが、ちょっと違うかもなって。僕たちはもしかしたら客観的にはチャレンジしているのかもしれない。だけど、「チャレンジ感」は明らかに減っている。とても減っている。当初のファンドを組成した時とかは、確かに「チャレンジ感」を持っていた。どうなるかわからない、回ってみたらみんなにやめとけと言われる。「地方でやっても意味ないよ」「そんな筋悪いことしてどうするの?」「投資先なんてあるの?」「そんなことやるなら他の意義あることやりなよ」。まぁそういった声をたくさんもらいながら、一緒にやってる友人と傷を舐め合い一つずつ形にしていった。とてもチャレンジ。そしてチャレンジ感もいっぱい。

では今2号ファンドを組成しているときはどうだろうか?もちろん上記みたいに言われることはあるけど、わかってくれる人も確実に増えて、「そのチャレンジ知ってるよ応援!」「誰もやってないからこそ意味あるよ!」「むしろ地方で一番かっこいい!」みたいに言ってもらえることも増えた。リスクを背負ってはいる。失敗したら失うものもある。だけど、このチャレンジの過程ですでに一定報われてしまっている。報われるとチャレンジ感はどんどん減っていく。

さらに最近だと、あらゆることは過程で、その道草を楽しむのが人生、くらいの人生観をもっているからタチがわるい。だってそうじゃない?この人生観だと、この苦しんで動き回って今こそが尊い人生。どれだけ周りからチャレンジしているって思われていても、ずっと報われてしまっている。今、この瞬間が満ち足りてしまっている。僕たちはもう本当の意味でチャレンジ感を得ることはできないのかもしれない。


と、悲観的に書きましたが、根本的に「チャレンジ感」が必要なのかは疑問だったりする。チャレンジ感がないけど、客観的にチャレンジし続けることの方がインパクトが大きかったり、より繊細に挑戦できたりしているような気さえしている。あの時の「チャレンジ感」懐かしいなーって思いながらも、粛々とチャレンジする方が人生は豊かなのかもしれない。
(チャレンジ感とチャレンジの言葉の整理わかりにくかったら、主観と客観くらいでわけておいてもらえてもいいかも)


似た言葉に「勇気」がある。チャレンジの前提条件のように扱われるけど、それ以外でもこの言葉はワークする。そして僕はよく考えるとこっちの言葉の方が好きなのかもしれないって思うようになった。

先日、弊息子がとある会で問いを投げられてた。オープンクエッション。「どうすればいいと思う?」のような形。今まで元気に手をあげたりしてた他の子供たちは誰も手をあげない。頭の中に??が浮かんでるのがよくわかる。僕からみてもこのタイミングでこの質問は微妙ちゃう?答えにくっ!て思ったくらい。でもその誰も手をあげず、シーンとしてるところで弊息子は手を挙げて「〜ってことなんじゃない?」って答えてた。今後のみんなの回答の方向性を示す投げかけ。現にこのあと他の子達も活発に手をあげて答え始めた。おーかっこいっって思って帰って聞いてみた。あーいうときって緊張とかしないの?って。そしたら「する。緊張したー。でも誰かがやらないと次に進んでいかないから」って。超かっこいい。自分の利益とか見栄えとかじゃなくて、今ここでやるべきだって思ったことにビビりながらも進んでやること。とても美しい。

思い返せば、鬼滅の刃の善逸のような、ダイの大冒険のポップのような人が好きだった。持たざる者、でもやるべきことをやる人。もしかしたらこれが「勇気のある人」なのかもしれない。もちろん持ってるが故の悩みや葛藤はある。物語の主人公はそういう人が多いだろう。だけど、持ってなくても、世界を救うような人と対等に、時にそれらの人を超え行動する人。勇者って主人公じゃなくて、そういう脇役なんじゃないかって思うくらい、勇気のある人。


振り返って、最初のIVS。

会場は、すでに誰かに何かを語ることのできる「何者か」で埋め尽くされ、ピッチではある種、このイベントの最強の「何者か」を決めていた。登壇者はとてもリスクを背負ってチャレンジしているスタートアップ起業家。かっこいい。でも彼らはわかってるのかもしれない。この挑戦が、この失敗が、いつか自分の財産になることを。


一方会場の隅。何者でもない学生の彼女は、名刺を渡しても興味を持たれず、すぐ他の人への会話に切り替えられる。少し寂しそうな目をした後、でもまた他の人に名刺を差し出し挨拶をする。この2枚目の名刺こそが勇気なのかもしれない。そんな気がした。


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