エッセイ | 将来の不安
ぼくより明らかに収入があって、東京でいい暮らしをしている友だちが「明日が不安だ」と言っていた。精神的な話を抜きにしても、たしかに年収1000万円とか2000万円とかだと東京で何不自由なく暮らすののはとてもハードルが高い。この物価の上がり方からすると、家買わないと不安になるだろうし。
ということはだ、今の収益水準でしかチャレンジができないことになる。わかりやすくいうと転職や起業が今の収益レンジに縛られてしまう。月100万円の給与をもらっている人は、月100万円以上給与をくれるところにしか転職できない。どれだけやりたいことがあっても。また、月100万円を捨てて、役員報酬なんてほぼもらえないような起業をすることも叶わない。とすると、準備が必要で、マーケットが必要で、それが自分の本当に本当にやりたいことととマッチする可能性は極めて低い。それで成功するならまだしも(しても微妙だと思うけど)、失敗した日には何が楽しくて生きていたのかわけがわからない。せっかく頑張ったのに。
せっかく頑張るなら納得感あることがいいと思う。そしてそのためには、それにいつでも取り掛かれる状態であることが必要。ぼくはおそらく活躍している同年代よりお金は持ってないけど、noteメンバーシップの皆様に月に100万円以上お金をいただけてるおかげで自由度がとてつもなく高い。正直今やってるあらゆることをやめても、(精神的なことは置いておいて)暮らしていくことはできる。これは東京に住んでないからっていうのも大きいのかもしれないけど、「人生でこれはまぁ辞めることはないよね」ってことでお金をいただけているのも大きい。
現実世界、ビジネスバリバリの人の前に行って「noteで暮らしてます」というととても訝しんだ顔でみられる。けど、でもどこか羨ましいというニュアンスを含んでいるようにも感じる。言い方はあれだけど、下に見るしか今の自分を肯定できない、そんなふうにいうこともできるかもしれない。
最近だと、「主観的不労所得」と「さいきょうのはたらきかた」をもっと伝えていきたいと思っている。それはたとえばこのnoteみたいな形。平日日中バリバリ働いて、残業も当たり前の彼ら彼女らにとってはそれを模索する時間は中々ないのかもしれない。つらい。みんな楽にラフに楽しく生きていければいいのに。
ぼくが言ってることは甘いという自覚はある。けど、言ったらあれですがぼくでもできたんだから、誰でもできるとは思うのです。少なくても東京で戦士として働いてる人たちが能力的にできないわけないんです。
彼ら彼女らはその将来の不安から、金融投資を行う。さらに働いて。わけがわからん。いや、わかるんですよ。合理的に考えたらそれが最適だと。だけど、それによって今の給与水準をさらに上げるために頑張って、なんとなく朧げに「好きだなぁ」ってものにかける時間は減っていき、将来の不安をなくす対価として体と心を磨耗していく。んんんんん、ほんとに?ほんとにいいのそれで??
いいなと思ったら応援しよう!
ここまで見てくださるなんて...ありがとうございます!!
チップをいただくより継続的に読んでもらえる方が嬉しいので、よければメンバーシップにぜひ!