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エネルギーを奪う人も、きっとどこかで笑ってる。

トラブルが多い。やたらと多い。ただこれは物事が動いてるってことだから悪い状態ではない。んだけど、肉体的、精神的にダメージ受けるのは受ける。今日靴を無くして永遠と探し続ける夢見てぐったりしておきた。夢占い的には、後悔とか嫉妬されてるとからしい。占いの真偽はともかく、結構近い精神状態。すごいな占い。

メタ的にトラブルを見ることができるようになったので、「全宇宙に比べれば大したことない」「1万年の時間軸なら誰も何も残ってない」みたいな気持ちもあるけど、それでも肉体とか精神が反応しているのはとてもおもしろい。どこまでメタ視点を極めても、人は人としての反応をする。悟りに関する仏教系の本でもそんなことが書いてあった。悟ると、めちゃ人間くさくなるよ、と。仙人とかみたいな感じではなくて、あるがままの自然体のどこにでもいるような人間。体感的に「わかった」上で、自分の怒りとか悲しみとか悔しさみたいなのにそのまま踊らされる。コントロールの技術ではないんだろうね。そういう意味ではそっちに近い。全然悟ってないけど。


最近立場が上の人(ん?立場ってなんだ?、んー、社会的地位の高い人、かな)に会うことが多くて、存在としての上下はないとしつつも、やっぱりいろんな体験を通して深くなってる部分から学ぶことは多いわけで。怖い人も、優しい人も、腹の底が見えない人もたくさんいる。そういう人と話すと少し緊張する。過度に気に入られようとか、仲良くなってやろうとかそういうのはないけど、誰かに紹介してもらったのならその人の顔をつぶさないようにしないとな、みたいな気持ちはある。元来そこまで人に会うのが好きじゃない僕はそれで消耗したりするけど。

でで、相手が少し不機嫌になることもあったりする。これは意見の対立だったり、思想の違いなのである程度仕方ないなーって思う。たとえば、「スタートアップは絶対東京に行くべきだ!」という強い主張を持っている人に対して「たしかに成長のためには行った方が有利ですよね!」くらいのスタンスの僕はちょっと暖簾に腕押し感あるんだと思う。響いてないなーと。こんなに言ってるのに!きぃー!!みたいな感じ。でも当たり前ですが、僕は目の前の相手のことを攻撃してやろうという意図はなく、気持ちもない。だから、相手がどう感じたかまでコントロールできないし、別にしたくもない。

「誰かに攻撃された」と感じるとき、人は攻撃的になる。怒りは大切にしてるものを傷つけられたと感じる時に出てくる。でも、相手は攻撃の意図はない。気持ちもない。ある種、一人相撲。そんな時どうすればいいんでしょうね?

他者に対してどこまで期待するか、でこの感情の大きさも変わる気がする。誰しも自分にとって大切な人だ、という姿勢はとても尊いけど、そのキャパはあるのかもしれない。というか、順番と言ってもいい。全員に対してそれができるならそれでいいけど、一番自分に対して攻撃的な人とか厄介な人からその姿勢を貫いた結果、いつも隣でニコニコしてくれてた人を大切にできていないなんてことがよく起こる。手間がかからない、配慮がいらないからこそ、大切にできず、手間がかかって、配慮がいるからこそ、大切にするために多大なエネルギーと時間を使う。嫌だなそれ。そうしたくないなって思う。

いま、年間だいたい500人くらい「初めましての人」に会う。これはだいたい僕の小学校の全校生徒数。あの巨大な学校という箱、大人みたいな六年生、校庭を走り回る知らない人たち、そういう衝撃と共に迎えた小学一年生の気持ちを毎年味わっている。キラキラ、ワクワク、ドキドキ。そういった気持ちを毎年味わえるの幸運なことだ。

でも流石に鈍麻してるんだろう。誰かと会うことへの感動は減っていってる気がする。以前は、その人が、今ここに至るまでの膨大な背景と運命を想像して楽しく人の話が聞けていた。でも、もちろんまさにその通りの人もいるけど、途中から目の前の人は、僕との出会いに感動しているわけではなく、上司に言われたとか、自分だけ得してやろうとか、アラを見つけてやろうとか、そういうことを思って来てたりすることを知った。つらい。にんげんきらい。

そういう人に対してまで、背景想像したり運命を考えたりすることはとてもつらくなった。相手は目の前の僕はただのパーツとして見ていて、そういうおそらく1000回は繰り返しただろうテンプレのやりとりをしてくるのに、こちらは想像力を働かせて会話をすることは、その間の空間がゆがむ。エネルギーが一方通行に流れる。相手は話した後、なんか元気になったなーって思ってるけど、僕の方の消耗はすごい。循環してない。ただただ疲弊する。そうして自分の身を守るためにテンプレのやり取りを身につけ、お互い何も循環させずただその場をやり過ごす。これの一番悪いところは、相手がしっかりと想像力を働かせて会話をしてこようとしても僕の方が省エネモードになっていることから相手のエネルギーを一方的に奪ってしまうこと。一番嫌だった人に自分がなっていること。だからつらい。つかれる。ひととあいたくない。と人目を避けて山に籠る。

全然このことの解決策はないんですが、まー今思ってるのはそういう場所をつくって、そこにくる人をちゃんと選ぶのがいいんじゃないかと。最近友達がスナックをやってて、そこは自己紹介と他己紹介でしっかり数時間楽しめるそうだ。とても理想的な空間。他にも、全国の公務員と会いまくってる友達が作る空間は最高に良い。他者に対してリスペクトと興味を持っているからこそ「ただ居る」が成り立つ。そういう場所を作っていくのがいい。

その一つとして、映像メディアを位置付けることができるかもしれない。そこで出演いただく人は、僕たちが出演してほしいって思っている人。当たり前。で、その人の人生を聞きたいだけ聞く。相手からも、質問をもらう。遮るものは何もない。お互いがお互いの興味とリスペクトを発揮し続ける空間。そしてそれがコンテンツとして残り、あとで見ることができる。おもしろいのは、映像で自分が笑ったところで、しっかり見てる自分も笑うところ。おもしろい。自分で自分を楽しませるコンテンツ作れるとかエコの極み。究極系。

場合によっては、こぢんまりとしたBARとかをやってもいいかもしれない。好きな人しか呼ばない、絶対儲からないBAR。岡山は物価が安いからギリギリやれるんじゃないだろうか。わかんないけど。


そこまで考えると、エネルギー奪う人が悪いんじゃなくて、そういう場所で人に会ってしまったのが悪かったってなる。人を恨まなくていい。構造を変えればいい。とても健康的。しょうもない人なんて本当はどこにもいないのかもしれない。


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