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勝手に判断され、勝手に失望される。けど、

自分が本当に伝えたいこととか、大事にしてる価値観とか、意図とか意義とかそういうものを全部置き去りにして、目の前の相手の持ってる「ものさし」で一様に測られ、判断され、会話が繰り広げられる。吐きそうになる。以前はここまで気になってなかったと思うけど、最近は結構ほんとにきつい。これは僕が弱くなったからなのか、感度が上がったからなのか、そんな人にたくさん会ってるからなのか、逆に会ってなくてたまにあるからなのかわからないけど。

振り返ってみると、以前からそのダメージは無意識下で受けていた気はする。でもその頃は「自分がまだまだなのがよくないからだ」的に消化していた。ん?現在もまだまだなのに「まだまだだから」って思えないのがよくないのか?わからない。けど、たぶんこれは自分が「何者か」になっていたとしても取れそうにないモヤモヤなのでもう少し違うところに何かがある気がして入る。

以前はこのことを「マウントを取られた」と表現していたかもしれない。ただここは友達が「非マウント力」カンストしてるので、実は最近あまり「マウント取られたなー」って感じることはなくなってきた。余談だけど彼は、本当に非マウント力が高い。彼と接する人全ての人が、彼に何かを教えようとする。横から見てると彼を侮ってるなーって僕からは見えるけど、一番得しているの彼だ。最も情報が集まるし、人は誰かに何かを教えるってときに、よくわからなパワーを発揮するんだなって見てて思う。我先にと率先して貴重な情報を出しまくる。すばらしい。彼の生来なのか身につけたのかわからないこの「非マウント力」は成長するためのかなり有効な力。彼が成長しているかどうかはわからないけど。

と、マウントの話はそのくらいに。これちゃんと自分の中で分けられるようになったのは結構最近。以前までは他者の指標で評価されることを「マウント取られた」とごっちゃにしてた。似てるしね。売上1億円の時に「売上10億で〜」みたいに言われて凹むのがマウントだとすると、意義も意図も伝わってないのに「すごいですね!」って言われるのが、他者の指標での評価というか。なんかそんな感じ。別にフィードバックがポジティブでも、もやる。

以前も書いたけど、「自己紹介」ってやつが悪いんだと思う。というか性質的にしょうがないというか。相手からキャッチーに捉えられる自己紹介にカスタマイズされていくとき、どんどん自分が大事にしているものから遠のいていく。こっちから他者の指標に合わせに行ってるんでしょうね。すごくいや。やめたい。けど、やめられない。対面で初対面でってなるともう仕方ない。そういうもんだと割り切るだけの強さが僕にはない。一生抱えるんだろうこれは。いやだなぁ。。


でもちょっと待てよ?初対面でもジャッジされてるって感じない人とかいるぞ?なんでだ?その瞬間その人のこと「いい人!!!」ってめっちゃ思ってるぞ。。だいたい1つの会で1人いるかいないかくらいだけど、確実にそういう人がいる。もしかしたらそういう人が多いコミュニティとか会とかあるのかもしれない。あってほしいな。結構救いだそれ。

こういうのを「ぬるま湯に浸かってる」って言われるんだろうか?新しい出会いに躊躇し、向き合うことを回避して、気の合う人だけと仲良くする。「コンフォートゾーンから出ろ!」と強い人に言われるのかな?でも、それでよくない?これいつも「コンフォートゾーンから出ろ!」っていう人に思ってることなんだけど、いや、出る必要なくない?むしろ正確には「コンフォートゾーンを広げろ!」じゃない?同じ意味で言ってたら申し訳ないけど、人は安心安全だからこそチャレンジできて、その結果として、新たなコンフォートゾーンを発見していくと思うんですよね。以前の自分では想像もできなかったところに行く手段として、コンフォートゾーンをもっと大事にすればいい。だって、全世界がコンフォートゾーンなら、もうそれが最強ちゃうのかな?


僕も新しく何かにチャレンジしている人が好きで、それは一言で言うと「勇気」なのかもしれないけど、そういうの持ってるかどうかがめちゃ大事で、その人が成し遂げたことの大小とかは究極どうでもいい。子供が今までできなかった逆上がりに自ら挑戦してることが、売上100億という結果に劣っているとはどうしても思えない。この感覚で、目の前の人に接してるつもりだし、そういう風に接された時に喜びを感じている気がする。

まー自分の行動指標で言うと「ジャッジするな」なんでしょうね。それはとても腑に落ちてるし、できてないこともあるかもだけど、頑張りたいなって素直に思います。

一方で、「ジャッジされること」については何も解決してない。どうすりゃいいのよ。1つは、ジャッジしない人を大事にするってことはあるかもしれない。それはしましょう。そうしましょう。そういう人を「友達」と呼んでるのかもしれない。あとはなんだろう?意義も意図も大切なことも何も伝わらず「ジャッジされたな」って感じたとき、やっぱりもう書くしかないのかな。書くしかないのかもしれない。

僕は今、毎朝文章を書いてて、これ自体が何かになるとはあんまり思ってません(何かになったら嬉しいけど)。そこに至るまで葛藤はあったし、でもこれで行くんだって決意と、それだけの行動量を示し続けてます。誰かにってよりも自分自身にってやつです。でもこれって人によっては、「これだけやってるの成功してないやつ」ってジャッジも可能なわけです。効率よく世の中が求めてる文章を書いて、多くの人に読んでもらって、ってやってる人がいるのにそういうのがやれない人、できない人、って評価もできます。

映像番組セトフラも、これだけ毎週アップしてても、登録者が少なくて、価値のないメディアって評価も可能です。

僕も年間1000人くらい会ってるので、そういうのわかります。相手が今どう思ってるかの精度は流石に上がってきていると思います。かなり精緻にそのあたりが感じ取れるようになってるなと。

セトフラは確かに登録者少ないかもしれません。だけど、今この瞬間しか残せないスタートアップ起業家やアトツギの方の素顔を残せてると思います。その人たちが5年後10年後見たとき、いや、その人たちを5年後10年後に知った人が見たとき、その映像はとてつもない価値になると信じてます。

文章も、今この瞬間の僕ができる最高のものを表現し続けてる自負があります。これらは時代にハマってないのかもしれません。何かを伝えたいなら文章ではなく動画を、動画の中でも飽きない編集を、が大事なのかもしれません。だけどそれはやらない。それは近視眼的すぎるから。

かっこよくいっちゃったけど、しんどいなぁ。誰かに褒められたら嬉しいし、自分たちが意義あると思ってることが、信じたまま伸びていったらやっぱり嬉しい。こっちであってたんだって思える。ずーっと強く否定され続けられてるようにも感じる。このあたりがたぶんモヤモヤの正体なのかもしれません。

でもふと、そうじゃなかった選択をした自分を想像する。めちゃくちゃおもしろくなさそうです。絶対そっちになりたくない。そのくらい嫌だなぁって感じます。ということはつまり最初から選択肢なんてなかったんです。モヤモヤしつつ、こっちをやるだけ。やるだけ。やるだけ。やろ。


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