八百屋
「昔々あるところに八百屋がありまして」と前口上を述べなければいけない程、八百屋の数は減った。下町にはまだ「キャベツ200万円ね」という威勢のいい声も聞こえてくるそうだが、僕の家の近くにはない。きゅうり1本90万円ね!の時代は、とっくに終わり、子供の頃の生の経済学講義は、忘れられている。八百屋と魚やと肉屋がそろったお店に行き、八百屋では野菜、魚屋では魚、肉屋では肉といった買い物をするから、近所にできたスーパーを見にいった時には何時でも揃っていることに酔いそうになった。威勢のいい声だったり、屋根からつるしたお釣りだったり、肉やの包装紙だったり、魚やでは今日入った新鮮な魚の目だったり、そういうシチュエーションが演じている、現代でいったらブランディングのようなものがそこにはあった。
自分の子供にとって、そういった経験をさせてやれないのは、少し寂しい。仕事から家に帰り、妻に豆腐がないことを告げられ「コンビニ行けばいいじゃん」という4歳児。コンビニに行けば何でも手に入ると思っているのか。何でも手に入る。そんなものは、必要なのだろうか。昔。近所には豆腐屋があって遅くとも18時前に買いに行かないと売ってもらえなかった。だから豆腐のない日はわかめの味噌汁、大根がなければネギの味噌汁。そうやって自分達で工夫するものだ。無ければ無いでどうにかやる、そのことこそが社会に出て必要な経済学だと思う。今この時代は、自分達でできること事をやりたがらない。手間に対して敏感すぎる。
大人になってアートを見るようになった。1作品90万円もする絵を目にした。さらには900万円する絵もみた。アートはお金じゃないのだろうが。にしても、高い。高すぎる。そういう八百屋が懐かしいと言っている吾輩には縁のない世界なのだろう。しかしながら。できる範囲でやろうとしても、90円では買えないのではないか。
