臨時収入7万円、ビデオデッキは買わず、旅を選んだ〜1989尾道ロケ地巡り
序章
PCのデータを整理していたら、
古いフォルダの奥から数枚の写真が出てきた。
「写ルンです」で撮った尾道の風景だ。
跨線橋。石段。海。
かつてはもっとたくさんあった。
だがPC買い替えの際のコピーミスで、
ほとんど消えてしまった。
それでも写真を見ると、
あの夏のことを思い出す。
1989年。
学生生活最後の夏――僕は尾道を訪れた。
1:映画との出会い
1983年。
週刊テレビガイドに映画の紹介記事があった。
大林宣彦監督の「転校生」。
水曜ロードショーで放送予定の、男女入れ替わりを描いた青春映画だという。
「なんだか面白そうだ」と軽い気持ちで観始めた。
前半は笑った。男女が入れ替わるドタバタに、声を上げて笑った。
だが後半、映画の空気が、少しずつ変わっていく。
互いの立場を知り、
相手を思いやるようになる二人の姿が、
高校生だった僕の心に刺さった。
翌年の放送ではビデオ録画し、繰り返して観た。
1986年。
大学進学で新潟から仙台へ移った。
慣れない街での学生生活が始まった頃、
その街で、「転校生」の上映会があると聞きつけて足を運んだ。
そこで初めて、
テレビ放送版とは違うノーカット版を観た。
「あの場面、カットされていたのか」
そんな発見すら嬉しかった。
そしてついには、
家にビデオデッキもないのに
「転校生」のビデオソフトまで買ってしまった。
観られるのは帰省したときだけ。
それでも、手元に置いておきたかった。
2:7万円の臨時収入
1989年。
臨時収入で7万円が手に入った。
最初はビデオデッキを買うつもりだった。
だが、ふと別の考えが浮かんだ。
――尾道へ行こう。
映画「転校生」のロケ地を、
訪れたくなったのだ。
気が変わらないうちにと、
JR時刻表に載っていた尾道のホテルへ電話したが満室だった。
ならばと、隣の福山市もロケ地なので、福山のホテルに電話して予約を取った。
2泊3日。
出発は一週間後。
翌日、書店で尾道市の地図を買い、
大林監督の著書「ワンス・アポン・ア・タイム・イン尾道」と照らし合わせ、
ロケ地巡りの計画を練った。
この本には、撮影場所についての記述もあった。
3:出発の日
始発の新幹線に乗るには公共交通機関では間に合わない。
タクシーは高すぎる。
僕は仙台のアパートから仙台駅まで、
大きな旅行カバンを手に50分かけて歩いた。
ロケ地巡りの高揚感もあり苦にならなかった。
当時、東北新幹線は上野駅止まりの時代。
朝8時半、上野〜東京駅間の移動は通勤ラッシュにぶつかり、
大きな旅行カバンは人波に揉まれた。
ようやく乗り込んだ東海道新幹線。
車窓から富士山を見るのを楽しみにしていたが、
悪天候で拝むことはできなかった。
昼過ぎ、新尾道駅へ到着。
路線バスで尾道市街へ向かう。
4:ロケ地巡り 1日目
尾道駅の売店で「写ルンです」を購入した。
思い出を写真に収めようという発想が、このときまでなかった。
・跨線橋(こせんきょう)
最初に目指したのは、一美(心は一夫)が自転車で全力疾走した跨線橋。
実際に自分の足で渡ってみると、眼下には山陽本線が見渡せ、
映画で見た風景がそのまま残っていた。
ここで、一夫(心は一美)が一美(心は一夫)の胸をわざとらしく鷲掴みにする場面がある。
今なら問題視されるであろう演出だ。そんな場面を懐かしく思う。

※以後、混乱を避けるため、一美(心は一夫)と外見ベースで表記する。
・尾道本通り商店街
次に尾道本通り商店街へ向かう。
そこにはダボダボのズボンにリーゼントやアイパー(当時の不良スタイル)の高校生がいた。
尾道の穏やかな街並みの中にも、当時でいうところの“ツッパリ”たちがいる、と少し微笑ましく思った。
・茶房こもん
千光寺へ向かうと、ロープウェイ乗り場の近くで茶房こもんを発見した。
ここは事前調査になかったロケ地だ。テラス席を見ていると、
一夫と一美がヒロシ君を巡る会話を交わした場面が思い浮かんだ。

・千光寺
節約のためロープウェイは使わず、徒歩で千光寺を散策。
一美がチンピラに絡まれる場面のロケ地を発見し、
思わず「転校生ごっこ」で、岩に登るポーズを取ってしまった。

事前にはあまり調べていなかったが、千光寺は見どころの多い寺だった。
朱塗りの建物が斜面に沿って建ち並び、独特の景観を形作っている。
さらに、そこから見下ろす尾道水道は絶景だった。
紺碧の海、緑の島々、青空、そして霞の向こうへ消えていく瀬戸内の島影――。
風景や自然美にさほど興味のない僕でも、しばらく見とれてしまうほどだった。

・御袖天満宮
千光寺から御袖天満宮へ向かう途中、偶然にもロケ地を発見した。
映画で通学路として数回登場した小路で、
屋根瓦の家々と奥に見える尾道水道が絵になる場所だ。
撮影当時と違い、手すりが設けられ石畳も補修されていた。

御袖天満宮に到着すると、映画で見たあの雰囲気そのままだった。
人気のないひっそりとした佇まい。
蝉の声がかえって静寂を際立たせる、独特の空気感がある。
現場の石段はかなりの急勾配で、撮影の苦労がしのばれた。

・真偽不明の話であるが
「転校生ごっこ」と称し、階段落ちを真似する人がいるという話を聞いたことがある。
これは大変危険な行為なので絶対にしないでください。
実際の撮影ではマットを敷き、スタントマン(JACの藤川 聡さんや村上 潤さん)によるスタントも交え、安全に配慮して撮影されている。
また、尾美としのり君の立ちションする場面も撮影用ギミックである。
・帰路
その後、尾道駅へ戻り、福山行きの電車に乗った。
作中にも尾道から福山へ移動する場面があり、この列車移動もまた映画の世界に浸る時間となった。
車窓から眺めた、夕焼けに染まる尾道水道は美しかった。
5:ロケ地巡り 2日目
・福山城
2日目のスタートは福山城。
まず目に入ったのは、一美が腰掛けていた松の幹。
撮影当時とほとんど変わらぬ姿で残っており、
同じ場所に腰を下ろし、「転校生ごっこ」を楽しむ。
何も知らないヒロシ(一美の憧れの人)。
噛み合わない一美と一夫。
そして真相を知るアケミ(一美の友人)が、
すべてを見透かしたようにニヤリと笑う
――あの場面を思い出し、口元が緩んだ。

・一夫の家
その後、尾道へ戻り、尾道水道沿いを歩きながら主人公・斎藤一夫の家として使われた邸宅を訪れた。
そこは現在も普通に人が暮らしている民家である。
そのため、距離を取って静かに眺め、近くを通る際も立ち止まらないよう気を配った。
ここで不審者と思われ、広島県警のお巡りさんに職務質問でもされたら困るので…
・福善寺
次に訪れたのは福善寺。
ここは、「鷲の松」と呼ばれる、
石柱で支えられた松の枝が特徴的なお寺である。
映画では、一夫が「もっと女の子らしく歩いてよ」と言うと、
一美がふざけてスカートの裾をつまみ、
モンローウォークを披露する場面が印象に残っている。

ただ、この日は船の出航時間が迫っていたため、
福善寺をじっくり散策する時間は取れなかった。
・瀬戸田(生口島)
続いて船に乗り、瀬戸田(生口島)へ向かう。
映画では、衝動的に家を飛び出した一美と一夫が、
瀬戸田行きの船に乗る場面が描かれていた。
実際に船に揺られていると、
「小林聡美さんや尾美としのり君も、この景色を眺めていたのだろう」と思いを馳せた。

瀬戸田港へ到着すると、そこには映画とほとんど変わらない風景が残っていた。
住之江旅館、ほこら、石灯籠、そして斜めに伸びる松の木――
まるで映画のワンシーンに入り込んだような気分になる。

島を散策していると、立派な寺院建造物を発見。
瀬戸内海の小島にこれほどの建築物があるとは、と驚いた――
下調べ不足のせいだったが、後から調べると耕三寺だった。
予定にはなかったが、急遽見学することにした。
人出は多すぎず少なすぎず、ちょうど良い賑わいだった。
異国情緒漂う装飾が施された建物もあり、
自分が瀬戸内海の小島にいることを忘れるほど夢中になった。
ここで、当時付き合っていた彼女へのプレゼントを購入。
……もっとも、その品を渡すことはできなかった。
事情については、お察しください。
・電話をかけてもらった場所
その後、尾道へ戻り、ロケ地探しを再開。
目指したのは、一美が敬子(クラスメイト)に頼み、一夫の家へ電話をかけてもらう場面のロケ地である。
大林監督の著書に記載があったので、すぐに見つかると思っていたが、特定できなかった。

この日は朝から一日中歩き回ったため、陸上部で鍛えた足でも、さすがに限界だった。
6:ロケ地巡り 3日目
・向島連絡船
3日目のスタートは連絡船で向島へ渡る。
これもまた、尾道の日常を象徴する風景のひとつだ。
当時の運賃は40~50円ほどで、その安さに驚いた記憶がある。
この連絡船は、映画「さびしんぼう」で、ヒロイン・百合子が通学に利用する場面にも登場する。
「あれに乗って、映画の雰囲気を味わってみたい」――そんな思いもあった。
さて、向島でひと通り景観を楽しんだ後、
尾道市街の山手へ目を凝らす。
主人公・斎藤一美の家として使われた邸宅を探した。
しかし手がかりは掴めなかった。
今のようにネットがある時代ではない。
手がかりは、映画の中に映し出されていた山手の洋館の映像だけだった。
尾道市街へ戻ると、僕は勘を頼りに尾道駅の裏手から東側の路地を歩き回った。
「たぶん、この辺ではないか」
そんな漠然とした勘だけで尾道の入り組んだ小路や坂道を巡った。
結局、見つけることはできなかった。
後年になって調べると、当時の自分の“勘”は、いい線までいっていたようだ。
そう知ると、少し嬉しく、そして少し悔しい。
・小路を発見
そんな中でも映画の冒頭にあった小路を偶然にも発見。
写真に収めた。

斎藤一美邸を見つけることはできなかったが、少し報われた気持ちになった。
7:食事の記憶はほとんどない。
食事に関しては安く済ませることを考えていた。
それでも、地元の大衆食堂で食べた「タコの天ぷら」だけは覚えている。
揚げたての味というわけではない、ごく普通の天ぷら。
それでも、あの噛みごたえと、タコのうま味は記憶に残っている。
今思えば、もっと地元のものを食べておけばよかった。
あの旅で悔いが残るとすれば、そこだけかもしれない。
そして、帰りの新幹線でも富士山は見えなかった。
あれから30年以上が経った。
ビデオデッキの代わりに尾道でのロケ地巡りを選んだ、
あの選択は、正しかったと確信している。
【あとがき:タコの天ぷらの謎】
「タコの天ぷら」って、よく考えると少し不思議なメニューです。
私の地元である新潟や、その後暮らした地域のスーパーのお惣菜コーナー、居酒屋、さらには天ぷら専門店でも、見かけたことがありません。
あれは尾道ならではの名物だったのだろうかと、今でもずっと気になっています。
もしかして、西日本ではポピュラーな料理なのでしょうか?
もしご存知の方がいれば、コメントで教えていただけると嬉しいです!
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