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【創作大賞エッセイ部門】 私の命は、食事でできている

第一部 始まりは静かだった

第一章 何もなかった頃

大学2年生の私は、講義をすべて受け終え、家に帰宅した。バイトがない日だったため、いつも通りの時間に夕食を食べ、お風呂に入った。スキンケアを終えた後、母の目を盗んで、寝間着姿にダウンジャケットを羽織り、足にはクロックスを履いて、コンビニへ走る。
コンビニに着くと、いつもと同じ商品を手に取りレジへ向かう。毎週のように顔を合わせる店員との短いやり取りを終え、急いで帰宅する。机の上には、コンビニで買った商品の袋が散乱していた。
高校3年生のクリスマスの翌日、私は母と共に病院の待合室にいた。専門外来で初診問診票を書き、測定器に乗る。モニターに自分の受付番号が表示されるまで、何時間も経過していた。
診察室に入ると、白い部屋でパソコンに向かう一人の先生がいた。椅子に腰掛け、初回診察が始まった。先生は「どうしてこの病院に来たのか」と質問した。それは、私の過去を赤裸々に伝えることを意味していた。
高校1年の夏、誕生日の翌日からだった。自分の体型にコンプレックスを抱いていた私は、ある理由から、まるで強迫観念に駆られたかのように運動に明け暮れる日々を始めた。
他人の目が気になりだしたのは、幼稚園の頃からだった。プールの時間、水着になるとボディラインが見える。お腹が出ていた私は、無意識に同級生の体型と自分を比べ始めていた。
それが顕著になったのは、自我が芽生えた小学生の頃だった。習い事でチアダンスを始めたが、衣装はお腹が見えるデザインだった。周りの子よりお腹が出ていることを心配した母は、炭水化物を減らす食事制限を始めた。それは中学生になっても続いた。
中学では卓球部に入った。女子部員の中で一番身長が低かった私は、また無意識に自分を周囲と比べた。思春期に入り、私の中に「美意識」が芽生え始めていた。
テレビが大好きで、週に12本もドラマを見ていた時期があった。自然と、画面の中の俳優たちに憧れを抱くようになった。中学2年生でファッション誌に出会い、スレンダーなモデル体型への憧憬はさらに強まっていく。
中学時代は部活で運動をしていたため、ダイエットには無頓着だった。しかし、コロナ禍の外出自粛中、いとこに勧められた運動動画をきっかけに意識が変わり始める。やがて公立高校への入学が決まった。
高校は私服登校も可能な自由な校風だった。入学当初、なかなか輪に入れず不安だったが、後ろの席の女の子が声をかけてくれ、友達になれた。
「部活をしないならバイトをしなさい」という母の言葉もあり、私は消去法で山岳部を選んだ。部員が少なく、3年生の引退後は私ともう一人が部長として部を支え、最後までその役目を全うした。

第二章 何も食べなくなった日

1年生の夏休み。誕生日の翌日、私は本格的なダイエットを決意した。
それまでの朝食は菓子パン、牛乳、果物、ヨーグルト。コップ一杯のジュースが日課だった。しかし、ダイエット開始後は菓子パンを食パンに変え、ジュースは週1回に制限した。
体型を変えるために、ウォーキングや動画配信サイトの「鬼トレ」に死に物狂いで取り組んだ。太ももへのコンプレックスから筋膜ローラーを購入し、雑誌の通りにひたすらマッサージをした。
運動で追い込むのと同時に、食事も制限していった。お弁当は母に作ってもらっていたが、夕食は自分で決めた小鉢におかずを盛り付け、お米はお茶碗の半分以下に抑えるようになった。

第三章 減っていく数字

ダイエット開始から1ヶ月。体重は時間に比例するように減っていった。
入浴前と朝食前に体重を測ることが日課になった。食事管理アプリですべてを数値化し、前日から少しでも増えていれば落胆し、減っていれば心が晴れた。体重計の数字に、その日の気分も頭の中も完全に支配されていた。
やがて週1回のジュースもやめ、摂取カロリーのない水とお茶だけを飲むようになった。朝食も、6枚切りの食パン半分をトーストするだけになっていった。

第四章 自分の中の違和感と達成感

高校生になり、友人との外食が増えた。しかし、心から楽しんでいる自分と、楽しんでいる振りをしている自分が共存するようになった。
外食の前には必ずお店のメニューの栄養成分を調べ、食べるものを決める。家族との食事でも、スマホのメモと電卓で摂取カロリーを計算し続けた。当時の摂取エネルギーは、本来必要な量の半分にも満たなかったはずだ。
自転車通学中、異常なまでの手足の冷えを感じるようになった。冬の持久走では学年上位に入ったが、走り終えた後の脈拍が驚くほど低かった。「スポーツ心臓になったんだ。最高」と当時は喜んでいたが、それが身体の異変の始まりだった。
2年生になり、身体測定が行われた。入学当初から体重は激変し、スカートのウエストが合わなくなっていた。腰まで落ちてしまうスカートを店で詰め直してもらい、ようやく履けるようになった。
山岳部の活動はコンビニ飯が多かったが、前日から各社のパンやおにぎりのカロリーを1時間以上かけて調べていた。電車移動中も「座ると運動にならない」と頑なに立ち続け、歩数計アプリで消費エネルギーを管理した。
一方で、飲食店のホールでバイトも始めた。常連客から「笑顔がいいね」と褒められることもあり、やりがいを感じていたが、受験のために1年足らずで辞めた。
受験生になり、1日12時間の勉強を自分に課した。成績は学年トップクラスを維持し、指定校推薦で志望していた福祉系の大学への合格を勝ち取った。合格後は、クレープ屋で新しいバイトを始めた。

第五章 戻れなくなった身体

食生活はさらにエスカレートした。
トースト半分を30分以上かけてちびちびと食べる。夕食のカレーも小さなスプーンで少しずつ口に運ぶ。身体機能は悲鳴を上げていた。猛烈な冷え、中途覚醒、そして月経が止まった。
当時の私は「生理が来なくて楽になった」とさえ思っていた。それがどれほど危険なことかも知らずに。便秘も悪化し、2〜3週間に一度しか出ない状態だった。
12月中旬、友人と焼肉食べ放題に行った翌日、異変が起きた。牛のようなゲップが止まらなくなったのだ。胃薬を飲んでも効果はない。不安になりスマホで検索すると、一つの言葉が画面に現れた。
「摂食障害 拒食症」

第二部 拒食の時間

第六章 高校三年生の冬

病院の初診で、専門医に言われた。「真面目で『いい子ちゃん』になりやすい病気だね。心の内を溜め込むタイプでしょう」。
図星だった。医師から、食事と行動、そして「心の毒」を書き出すノートを渡された。
自分の行動を客観的に分析すると、驚くほど専門書の記述と一致していた。常に頭の中は「次の食事」のことで支配されていた。
高校を卒業し、念願の大学生になった。友人関係は広がり、海外留学やボランティア活動にも積極的に参加した。バイトは塾講師に変え、教える楽しさに夢中になった。
母の理解と、少しずつ主食を増やす努力により、体重は徐々に増えていった。「共病日記」と名付けた日記には、趣味や好きなバンドのことも綴った。
私が福祉の道を選んだのは、祖父の介護をする母の姿や、ADHDと診断された弟の存在があったからだ。社会福祉士を目指し、学びは充実していた。
大学1年の夏休み、地域連携プログラムで訪れた田舎町での体験は、まさに「青春」そのものだった。
しかし、猛暑の中でアイスを食べる頻度が増え、クリニックの短い診察時間では伝えきれない不安が溜まっていった。
秋学期、体重はさらに増加したが、比例するように胃の不調も現れた。食べ過ぎると胃がSOSを発し、私はトイレに駆け込むようになった。

第七章 拒食のピーク

ハロウィンの日、事態は悪化した。友人とのランチで無理をして食べたデザートと、その後の講義で差し入れられたドーナツが、私の胃の限界を超えさせた。バイト中、何度もトイレに駆け込み、空気を吐き出した。
翌日から食事が摂れなくなり、体重は再び落ちた。母の助言もあり、相性の悪かったクリニックから元の病院へ戻ることを決めた。
2年生になり、専門的な学びはさらに深まった。ボランティアや実習、留学費用のためのバイトに明け暮れる日々。しかし、指導方針を巡ってバイト先でのストレスが溜まり、私の表情は曇っていった。
病院の担当医が転勤することになり、再びクリニックへ。食べ過ぎては気持ち悪くなり、母に弱音を吐く。そんな日々が繰り返された。

第三部 自由と回復と不安定

第八章 日常が壊れる音

大学2年生、2度目の夏休み。お盆休みでバイトが休みになった時、抑えていた欲望が暴走した。デリバリーや外食、毎日のデザート。この時はカロリーの呪縛から解放されたかのように振る舞っていた。
しかし、診察で「むちゃ食い」への恐怖を相談した帰り道、私は「誕生日までスイーツを食べない」と決意したはずなのに、気づけばロールケーキを手に取っていた。

第九章 最初の過食

帰宅してデザートを食べた後、強烈な不快感に襲われ、トイレで排出した。その後、細菌性腸炎と診断され、痛みと闘いながら誕生日の夕食を迎えた。初めての飲酒と食事は、激しい動悸と嘔吐という最悪の結果に終わった。
その後も、食べ過ぎた翌日は食事を抜くという不規則な生活が続いた。家族旅行の台湾でも、不眠と屋台の誘惑、そして胃の不調に苦しんだ。
帰国後、バイト先での人間関係も限界に達した。体調不良の中で受けた厳しい指導に、私の心は折れた。高熱と下痢で再び細菌性腸炎になり、心身ともにボロボロになった。
ある日、バイト帰りに異常なまでの甘いものへの衝動に駆られた。寝間着にクロックスのまま、一心不乱にコンビニへ走った。
机の上には菓子パンやアイスのゴミの山。成人女性の1日分を優に超えるエネルギーを、わずか2時間で詰め込んだ。
共病日記には自責の念が綴られた。「なぜ忘れてしまうのか。自分で自分の首を絞めて、痛い思いをして学べ。バカ!」。
塾の移籍を提案してくれる恩人との出会いもあり、環境を変える決意をしたが、過食の頻度は週4回へと増えていった。

第四部 回復期という不安定

第十章 日常化する異常

10月、過食は常軌を逸した。以前の自分とは正反対に、成分表示も見ずに高カロリーなものを買い漁る。胃が破裂しそうなほどの痛みで眠れず、翌日の講義は睡魔と倦怠感で頭に入らない。
友人にも隠しきれないほどの顔色の悪さ。自室で一人、暗闇に落ちていく心。「食欲なんてなくなればいい」と泣きながら書いたページには、涙の跡が残っていた。
11月、新しい病院の専門外来へ。先生は言った。「食事を抜くと暴食が増えます。三食しっかり、定食のようなバランスで食べてください」。
驚きながらもその教えを守ると、次第に過食は落ち着いていった。ウエストがきつくなったズボンにショックを受けつつも、それが回復の証だと言い聞かせた。
しかし、実習のストレスやバイト先でのトラブルが重なると、再び心は不安定になった。恩師とのバイトの話も立ち消えになり、裏切られたような絶望感に襲われた。
「なんで私だけがこんなに苦しいの」。母に泣きつき、過呼吸になりながら、自分と向き合い続ける日々。

第10章 悪夢

年末、不眠と過食が再び激しくなった。コンビニで幼馴染に遭遇し、嘘をついた罪悪感から自傷行為に及んでしまう。
年明け、私は入院することになった。産婦人科の一角にある病室での生活は、私に「編み物」という新しい趣味と、自分自身の「自信のなさ」に向き合う時間を与えてくれた。
退院後、スウェーデンへの短期留学へ。現地の「自分は自分」という文化、料理を残しても良いという大らかな考え方に触れ、私は救われた。
帰国後、過食衝動は影を潜めた。

終章 まだ途中

春になり、私は3年生になった。
目標ができた。社会福祉協議会で働き、この病気の恐ろしさを若い世代に伝えること。そのために「フードライフアドバイザー」の資格勉強も始めた。
この闘いは何年続くかわからない。
それでも、あの日々があったからこそ、今の私がある。
「回復」を信じ、私なりの「幸せ」の形を探しながら、一歩ずつ歩いていく。
【作者より】
私も主人公と同じ病気を抱え、先の見えない日々を送っています。
心に抱える傷の大きさは人それぞれですが、どうか一人で抱え込まないでください。
誰かに、何かに、救われる日が必ず来ます。
誰に何を言われようと、あなたはあなたのままでいい。
いつか自分を愛せる日が来ることを、私も願いながら、生き続けます。

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