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ドヴォルジャーク(8)1877年36歳、成熟期へ、スラヴ時代の到来

 内藤久子氏は著作で、こう述べている。
ドヴォルジャークは、音楽の源泉たるものの多くを「チェコ」においているが、単に「チェコ的な題材」にのみ執着しているのではない。(略)彼自身「スラヴ的」という言葉を好み、排他的なナショナリズムというものが単なる田舎主義を誇張したかたちにすぎないということをじゅうぶん理解していたようである。
1877年以降、たしかにブラームスは、ドヴォルジャークの生涯のなかできわめて重要な影響を及ぼす作曲家の一人となった。というのもブラームスは、ドヴォルジャークが間もなく仲間入りしようとしていた音楽の世界への重要な鍵を持っており、とりわけブラームスが示唆していた、いわゆる「論理的に考える習慣とすぐれた構成力」という点で大きな影響力を持っていた。

ドヴォルジャーク 音楽之友社

ここで、純スラヴ的なモラヴィア地方の民族音楽と接するようになったきっかけであるスシルという人物について調べてみた。

チェコ版 František Sušil, Google翻訳

フランティシェク・スシル(1804年6月14日、ノヴィー・ルーシーノフ[1] - 1868年5月31日、ビストジツェ・ポト・ホスティーネム[2])は、モラヴィア派の神学者であり、ローマカトリック教会の司祭でもあった。

彼は約2,400曲の民謡を集めた『モラヴィア民族歌曲集(歌詞に挿入された旋律付き)』(1853年から1859年にかけて冊子として出版され、その後1860年に歌集として出版された)を出版した。彼はチェコの民族復興運動に尽力した。

民謡
彼は1824年、学生時代に民謡集を収集し始め、最初の歌集を1835年、2番目の歌集を1840年に出版した。彼はモラヴィアだけでなく、チェコ語がポーランド語に取って代わられていなかったオパヴァやチェシン、そしてオーストリアのスラヴ人居住地でも歌を書き留めた。当初は田舎の教師などの助手を雇っていたが、苦い経験を​​経て、自ら歌を書き留めるようになった。助手を使うのは、近所の民謡歌手を一箇所(司祭館や居酒屋など)に招く時だけだった。彼は司祭であったため、陽気な歌の中には、一般の人々が彼の前で歌うことをためらうものもあったため、秘伝とされていたものもあった。目撃者によると、彼自身は歌手たちに陽気な歌を歌わせなかったという。しかし、歌の歌詞は忠実に残そうと努めた。

彼は膨大な収集資料から一部だけを選り抜き、出版にあたり、いくつかの変種を統合する際には、方言を整理し、スロバキア語の歌にハナーチ語の語尾が付かないようにした。また、エルベン版に既に収録されている歌曲は、原則として彼の版には収録しなかった。彼は合計3つの別々の歌曲版を出版したが、同じ歌曲はごく一部しか収録されていない。

エルベンとスシルの歌曲集を比較した際、(誰が?)チェコの歌曲集では歌詞の数が曲の数を大幅に上回るのに対し、モラヴィア民謡では曲の比率が歌詞の数を大幅に上回るという、今日でも広く信じられている見解に至った。チェコ民謡は人工音楽に非常に近く、バロック音楽の基礎を持ち、長調または短調で、しばしば舞踏的な要素を持ち、しっかりとしたリズム構造を持っている。
モラヴィア民謡では状況ははるかに複雑で、緩やかなリズム(長いリズム)の歌もあり、旋律に旋法的な音色が現れることもあります(例えば、カルパティア・アークにおけるリディア4度やミクソリディア7度など)。

1865年、フランティシェク・トマーシュ・ブラトラネクは長大なエッセイ『モラヴィア民謡』を著しました。スシルはこれを自身の作品にとって大きな励みになったと述べています。

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AIによる追記
彼はカトリックの司祭でありながら、言語学者、神学者、そして民俗学者として多大な功績を残しました。

スシルはモラヴィア各地の村々を歩き回り、農民たちが歌い継いできた歌を丹念に聞き書きしました。彼は単に歌詞を記録するだけでなく、「メロディ(旋律)」もセットで記録したことが画期的でした。

『モラヴィア国民民謡集』

彼の最大の業績は、1860年に出版された**『モラヴィア国民民謡集(Moravské národní písně s nápěvy do textu vřaděnými)』**です。

  • 規模: 約2,400曲もの歌と、約800のメロディが収録されています。

  • 内容: 恋愛歌、労働歌、祭りの歌、伝説を扱ったバラードなど、モラヴィア人の生活のすべてが網羅されています。

  • 特徴: スシルは司祭であったため、卑俗すぎる表現を一部修正したという指摘もありますが、基本的には非常に忠実で学術的な記録を行いました。

  • レオシュ・ヤナーチェク: モラヴィア出身の巨匠ヤナーチェクは、スシルの曲集を徹底的に研究しました。彼の独特なリズムや旋律の語法は、スシルが保存した民謡から強い影響を受けています。ヤナーチェク自身も後に民謡収集を行いますが、その基礎を築いたのはスシルでした。

  • アントニン・ドヴォルザーク: 彼の有名な『モラヴィア二重唱曲』の歌詞の多くは、スシルの曲集から採られています。

4. スシルの信念

スシルは、**「民謡は民族の魂の最も純粋な表現である」**と信じていました。彼にとって民謡の収集は、単なる趣味ではなく、抑圧されていたチェコ・モラヴィア文化のアイデンティティを守り、次世代に伝えるための「聖なる使命」でした。

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上記にある「スロバキア語の歌にハナーチ語の語尾が付かないようにした。」とは?
をAIに教えてもらった。

ハナー地方(モラヴィア中部、オロモウツ周辺)で話される**ハナー方言(Hanáčtina / ハナーチティナ)**は、チェコ語の諸方言の中でも非常に特徴的で、特に「母音の変化」が語尾や語中に顕著に現れます。

スシルが収集した民謡の中にも、このハナー方言独特の響きを持つ歌が多く含まれています。ハナー語の語尾や音の特徴について、主なポイントを解説します。

1. 最大の特徴:長母音の変化(単母音化)

ハナー方言の最も有名な特徴は、標準チェコ語の二重母音や特定の長母音が、別の長い単母音に置き換わることです。これが語尾に現れると、非常に独特な響きになります。

  • ou → ó

    • 標準語で語尾が「-ou」で終わるものが、ハナー方言では「」になります。

    • 例:mouka(小麦粉)→ móka

    • 例:nesou(彼らは運ぶ)→ nesó

  • ej → é

    • 標準語(特に口語)の「-ej」が「」になります。

    • 例:dobrej(良い)→ dobré

2. 形容詞の語尾の変化

形容詞の語尾は、ハナー方言を判別する最大の目印です。

  • 男性単数主格:-ý → -é

    • 標準語:mladý(若い)→ ハナー語:mladé

    • 標準語:dobrý(良い)→ ハナー語:dobré

  • 女性単数対格:-ou → -ó

    • 標準語:dobrou(良い...を)→ ハナー語:dobró

このため、ハナー地方の人は「Dobré rano(ドブレー・ラノ/標準語ではDobré ráno)」のように、語尾を「エー」や「オー」と長く伸ばす、おっとりとしたメロディックな話し方になると言われます。

3. 動詞の語尾(3人称複数)

動詞の活用語尾も特徴的です。

  • -í / -ají → -ijó / -ó

    • 標準語:prosí(彼らは頼む)→ ハナー語:prosijó

    • 標準語:dělají(彼らはする)→ ハナー語:dělajó

    • 標準語:mluví(彼らは話す)→ ハナー語:mlovijó(※uがoに変わるのも特徴)

4. 語中の母音の変化(語尾に影響する音の響き)

語尾そのものではありませんが、言葉全体の響きを変える重要なルールがあります。

  • y → e

    • 標準語:ryba(魚)→ ハナー語:reba

    • 標準語:strýc(叔父)→ ハナー語:stréc

  • u → o

    • 標準語:ruka(手)→ ハナー語:roka

    • 標準語:kluk(男の子)→ ハナー語:klok

まとめ:ハナー語の響き

ハナー方言は、標準語の「i」や「u」といった狭い母音が、**「e」や「o」といったより広い母音に変化し、さらにそれが長く引き伸ばされる(ó, é)**傾向があります。

スシルの民謡集をめくると、歌詞の中に "nesó" (they carry) や "pekné" (beautiful) といった表記が出てきますが、これらは誤字ではなく、スシルがハナー地方のありのままの言葉(語尾)を忠実に記録しようとした証拠です。

この「広くて長い母音」が、ハナー地方の民謡に、ゆったりとした、どこか素朴で温かみのある性格を与えています。

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この最後の部分が大切!

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上記に書かれている人物【フランティシェク・トマーシュ・ブラトラネク】とその著作『モラヴィア民謡』の要約をAIに頼んだ。

フランティシェク・トマーシュ・ブラトラネク(František Tomáš Bratranek, 1815–1884)は、スシルと同時代の人物で、ブルノの聖アウグスチノ修道院の修道士(メンデルの同僚でもありました)であり、哲学者・文学者です。

彼が1854年にドイツ語で著した**『モラヴィアの民俗詩(Die mährische Volks-Poesie)』は、スシルの収集活動とは対照的に、「民謡を美学的・哲学的に分析した」**非常に重要な論考です。

その要約と主なポイントは以下の通りです。

1. 民謡を「有機的な自然物」と捉える

ブラトラネクは、ゲーテの研究者でもあったため、植物学的な視点を文化に応用しました。彼は民謡を、誰かが意図的に作った「作品」ではなく、モラヴィアの風土という土壌から自然に生えてきた「植物」のようなものだと考えました。

  • 民謡は民族の精神(民族魂)が自然に形を成したものであり、その土地の気候、風景、歴史と切り離せないものであると説きました。

2. モラヴィア民謡の「悲哀(メランコリー)」の分析

彼はモラヴィア民謡、特にスシルが収集したような歌の中に流れる**独特の悲しみや切なさ(メランコリー)**に注目しました。

  • この悲しみは、単なる絶望ではなく、運命を受け入れる静かな強さや、深い精神性から来るものであると分析しました。

  • 隣接するドイツの民謡や他のスラブ民族の歌と比較し、モラヴィア独自の「内向的で深い感情表現」を高く評価しました。

3. 象徴としての自然

ブラトラネクは、民謡の中に登場する植物(バラ、ローズマリー、柳など)や動物、自然現象が、単なる飾りではなく、**人間の感情を映し出す象徴(シンボル)**であることを解き明かしました。

  • 例えば、特定の木が恋人たちの運命を象徴しているといった、民俗詩特有のメタファー(隠喩)の体系を論理的に説明しようとしました。

4. 収集家スシルへの理論的裏付け

スシルが「足」で民謡を集めた実践者であるなら、ブラトラネクはその価値を「頭(理論)」で証明した人物です。

  • 彼は、スシルが収集した膨大な資料を素材として使い、それがいかに芸術的に価値があり、人間精神の本質を突いているかを論じました。これにより、当時は「農民の素朴な歌」と見なされがちだった民謡を、高い学術的・芸術的価値を持つ「文学」の域まで引き上げました。

5. ドイツ語で書かれた意義

彼はチェコ人(モラヴィア人)でしたが、この著作をドイツ語で書きました。これは、当時の知識層の共通言語であったドイツ語を通じて、**「モラヴィア文化の素晴らしさを広くヨーロッパ(特にドイツ語圏)の知識人に知らしめる」**という戦略的な意図もありました。


まとめ

ブラトラネクの『モラヴィアの民俗詩』は、**「民謡とは、その民族の魂が風景と一体化して奏でる音楽的な自己告白である」**ということを哲学的に論じた名著です。

スシルがモラヴィア民謡の「体(楽譜と歌詞)」を保存したとすれば、ブラトラネクはその「精神(意味と美学)」を解明したと言えるでしょう。この二人の仕事が車の両輪となって、後のヤナーチェクなどの芸術音楽へと繋がっていきました。

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モラヴィアに興味のある私には、意味のある内容で、AIも楽しい。