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教員を退職、16時に仕事を終える暮らしの中で見えてきたこと

毎日おいしいごはんが作れる暮らしがしたい。

できれば16時に仕事を終えて、簡単な料理を作って、余裕を持って家族と楽しく過ごせたら。

そんな思いもあって、フルタイムの仕事から降りた。そして、16時に仕事を終える暮らしは手に入った。

実際にやってみて、わかった喜びも苦しみもあった。だから、ちょっと言葉にしてみたい。

なぜ16時なのか。復職してしんどかった頃、1時間だけ早く帰ることで息継ぎができたから。

ゆっくり買い出しをしたり、布団に潜りこんで落ち込んだり、たった1時間の違いが大きかった。

優先順位は、自分の健康、家族の幸せ、仕事。そのはずなのに、忙しい日々の中、その順番は簡単崩れてしまう。

仕事で余裕がなくなって、子どもを叱る口調が厳しくなる。そんな自分が嫌だった。

今は16時に仕事を終えて、子どもと過ごす日々が楽しい。一緒にゲームをしたり、虫取りに行ったり。よく笑うようになった。

ふらっと台湾に行けるし、好きなとき、好きな時間に本屋やカフェに行ける。平日の森なんて、とても静か。鳥たちと一緒に過ごさせてもらえる。

一方で、将来への不安は大きい。

いろんな仕事をやっているけれど、収入は当然、下がってしまった。そして、克服したと思っていた課題が、また自分の前に現れる。心底うんざりするときもある。

見捨てられ不安。人にがっかりされるのが怖い。休職中に完璧主義をゆるめられない理由を考えていたとき、あぁ、がっかりされたくなくて、手が抜けないんだと気づいた。まぁ、誰だってそうだ。ゆっくり手放していった。

ただ、仕事のメールを送った後、返事を待つ時間が落ち着かない。
返事がないという返事は、なかなか堪える。

もちろん、相手にも事情があるし、検討中のこともあるはず。
でも、「見捨てられ不安」が顔を出し、どうにも居心地が悪い。

教師をしていた頃、基本的には対面でのコミュニケーションが多く、相手の表情や間の取り方も、ひとつの情報だった。

メールやオンラインミーティング、頻度は少なかった。
今はそちらが圧倒的に多い。シンプルに、慣れていないのだ。

仕事が変われば、やることも変わる。場数を踏んで、慣れていく日々。

本当はもっと、営業をしたらいいのだ。声をかけたら、快く応じてもらえることもたくさんある。

でも、調子が悪いと自分からのアクションが減ってしまう。自由は、自分次第は、疲れるものなんだ。

ではどうしたらいいだろう?問いの前に立ちながら、友達に弱音を吐いたり、ごはんを作ったり、休憩したり。そんな日々。

さらに言えば、もうひとつ、気づいたことがある。

やる気は持続しないし、やっぱり暮らしが大事だ。

人生はいつか終わるし、終わりがいつ来るかわからない。
だから、今この瞬間から、精一杯生きよう。

休職中に停滞していた頃、コロナ禍に入ったやるきスイッチ。

確実に僕の原動力になったし、今も助けられている。でも、気合いやハイテンションは持続しない。

むしろ、なんやかんや生きることのほうが、今の自分に合っていると感じる。

ギターを弾いたり、noteを書いたり、Podcastで話したり。

終わりを考えることより、何かをつくり、育み続けること。

うまく言えないけど、支えられている感覚がある。

そして、教師は辞めたけど、今もちょっとだけ、子どもに関わる仕事をさせていただいている。

人は育つし、自分も育つ。かけがえのない仕事だ。

ちょっとしたことで感謝され、ちょっと自信が回復し、ちょっとメールが送れることもある。そんな自分が面白い。

人は人で傷つき、人に癒される。仕事で得られるお金以外のもの、すべて「やりがい」と括ってしまうのは、いささか乱暴なんだろう。

自分が今の暮らしを続けられるのか、またフルタイムの仕事に戻ることになるのか、まだわからない。

でも、あのまま続けるより、いったん降りて見えた景色はたくさんある。

いいとか悪いとか、それは2年後に振り返ればいいのだ。

今はただ、夕焼けを眺めるように、今の景色を味わっていきたい。

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