ほんの少しだけ、違う世界で
「生きている世界が違う。」
時々、そんな風に言われる。だけどきっと、世界が違う。なんてことはなくて、世界を見る角度が、ほんの少し違うだけなのだと思う。
ここでは、そんな私について話してみることにする。
突然だが、私には未だ理解し難い感情がある。それは、
「嫌い」そして「好き」
でも決して、その感情を否定している訳でもないし、全く分からないという訳でもない。あくまで、“理解し難い”というだけだ。
「嫌い」というのは、気持ちが強くなればなるほど、それを、その人を、受け入れられなくなってしまう。できることなら無関係でいたい。だけど、社会の中で関わりを完全に断つのは難しい。いざ関わることになれば、無性に腹が立ってくる。
私はある日突然、嫌うだけエネルギーの無駄だと気づいた。だから、嫌いでいることをやめた。
「嫌い」ではない。「苦手」なのだ。
そうすることで、少しだけ受け入れ難いけれども、しっかりと向き合うことができる。少しだけ、自分の気持ちを閉じ込めてしまえば、なんてことはないものに変わっていった。
一方、
「好き」というのは、多くの意味を持つ。しかしその全てが理解し難い訳ではない。私が理解し難いのは、一般的にいう「特別な存在」に対するもの。きっと、素敵なものなのだろうけど、私はほんの少し、気持ち悪さを覚えた。
ちょっぴり背伸びをしたくなる年頃、思春期に、急激に周りの様子が変わってくる。耳を傾ければ、好きな人いる?だとか、好きなタイプは?だとか…。
未熟な年頃だからこそなのだろうけど、付き合っても結局は別れ、また付き合う。そんな様子を、私は見ていて思った。付き合っていればどこか上の空で弱くなるし、別れれば気まずい雰囲気になる。良いところがないとまでは言わないが、あまり良いもののように思えない。
言ってしまえば、人と付き合って何になるんだ、と思ってしまう。
きっと私がほんの少し、気持ち悪さを覚えたのは、この考えのせいだろう。
けれども、自分にとって特別なものや人を、大切するのはとても良いことだと思う。暖かな心が育つと思う。だから、「好き」というものが理解し難いとしても、「愛情」というものだけは大切に生きようと思った。
ふと思う。
私は「孤独」になれているから、こんな風に思うかもしれない。
私は小さい頃から背が高く、隣には誰もいなかった。
私は昔から話すのが少し苦手で、今日も、会話をただ静かに、息を潜めて聞いている。
私はほんの少しだけ、気持ちや状況を察するのが下手で、気の利いた発言や行動があまりできずにいる。
気がつけば、人を信じきれなくもなっていた。
あの人は、
私と関わっていて楽しいのだろうか。
無理して一緒にいるのではないだろうか。
本当は嫌われているのではないだろうか。
考えすぎだということは、何となく分かっている。それでもやっぱり、相手からどう思われているのか、という私には分かりもしないことばかり考えてしまう。
そうやって徐々に、「孤独」でいることに慣れていった。
でも、「寂しさ」にだけは慣れることはないと思う。だけどそれでいい。「寂しさ」を抱えて、私は生きていく。
私はこの「寂しさ」と共に、世界を見つめている。こんな私にしか分からない、この世界の優しさや痛みを、これからも抱きしめていきたい。
