📝軽いはずの趣味が、感覚の軸になるまで
カフェ巡りは、軽い趣味だと思っていた。
新しい店に行って、
コーヒーを飲んで、
少し写真を撮って帰る。

どちらかといえば、
「深く打ち込む趣味」というより、
気分転換や息抜きに近いもの。
だから私は、
カフェ巡りをどこか“軽い趣味”として見ていた。
でも最近、少し考え方が変わった。
それは、
「趣味には、いろんな役割がある」
という視点だった。
趣味というと、
つい“どれだけ深くハマれるか”で考えてしまう。
長く続いているほうが偉い。
知識が多いほうが本物。
人生を変えるくらい熱中しているほうが深い。
そんな空気が、どこかにある。
でも実際には、
趣味ってもっと役割がバラバラなのかもしれない。
たとえば、
・疲れを回復するための趣味
・誰かと繋がるための趣味
・自分らしさを表現する趣味
・世界の見え方を広げる趣味
・「自分に戻る感覚」を保つ趣味
みたいに。
それらは綺麗に分かれているわけではなく、
同じ趣味の中に何層も重なっている。

そう考えたとき、
カフェ巡りの見え方が変わった。
カフェって、
ただコーヒーを飲む場所ではない。
家でも職場でもない場所で、
一人でいても不自然じゃなく、
でも完全な孤独でもない。

移動して、
席について、
飲み物を待つ。

その流れの中で、
少しずつ頭の回転が落ちていく。
考えが整理されたり、
逆に、ぼーっとできたりする。
あれは、
暇つぶしではなく、
感覚を元の位置に戻す時間だったのかもしれない。
しかも、
回復のために始めたものが、
いつの間にか別の役割も持ち始める。
光の入り方。
椅子の高さ。
器の質感。
空間の余白。

そんなものに反応しているうちに、
気づけば、
自分が「何を心地いいと思う人間なのか」が見えてくる。
趣味って、
「何が好きか」だけじゃなく、
「自分が何に反応する人間なのか」を知っていく行為なのかもしれない。

だから、
軽い趣味か、深い趣味か、
という話ではなかった。
その趣味が、
自分のどこを支えているのか。
そしてその役割は、
続けるうちに、
少しずつ広がっていく。
軽い趣味だと思っていたものが、
いつの間にか、
自分の感覚の軸になっている。
そんなことが、
人にはあるのだと思う。

