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ズレとの戦い

「幼少期のズレと孤独」の続き。

私は復学してから死ぬ気で勉強をした。

鬱に押しつぶされそうになった。
常に自分を責める言葉が脳内に響いていた。

「勉強すらできなかったら私に何が残るのか」

「こんなはずじゃなかった」

「自分が嫌な人間になってくのが怖い」

そして、散々病みきった後
自分を奮い立たせる言葉を叫んだ。

「這いつくばってでも生きる。
落ちる時が来たとしても負けない。
そんなに弱くない。」

「何度倒れても良い。その度に回復して強くなるのがこの私。倒れる度に強くなるなら、いつか無敵になれるよね。」

「普通の人が七転び八起きなら、
私は百転び百一起き。」

私はここまでしないと自分を許せなかった。
常に気を張ってないと、弱い自分に飲み込まれそうになるから。

私が吐いた言葉たちは私の逃げ場を塞いでいった。

苦しくて辛くて痛くて逃げ出したいのに、逃げることを私は許さなかった。

逃げたい自分VS厳しい自分

の戦いを24時間毎日繰り広げていた。

思考回路が行ったり来たり、
気分の上がり下がりが激しく
不安定だった。

そんな日々の中、新たな私が顔を出した。

それは「逃げたい自分」「厳しい自分」の戦いを常に俯瞰して見ている「観測する私」だった。

観測する私は自分に問いかけた。

「私は一体何がしたいの?」

「何のために争っているの?」

人間は誰しも「幸せ」を求め、そのために行動する生き物だ。

だとしたら

「私は幸せになるためにこれをしているの?」

「私の本当の幸せって何?」

観測する私は
そんな原始的なところまで思考を深く掘り下げていった。

本当の幸せとはなんだろう。
誰かに認められること?
沢山のお金を手に入れること?
社会に適応すること?

どれもピンと来なかった。

でもいつもどこか虚しかった。なんでだろう。
私は何になりたいんだろう。

なぜ弱い自分を許せず、ムチを打ち続けるのだろう。

何が足りないんだろう。

たくさんたくさん考えた。
そして辿り着いた答えは

「私は私に愛されたかった。」

それに気づいた時、涙が止まらなかった。

私は他の誰でも無い、私自身に認めてもらいたくて自分を追い詰め続けていた。
そんな簡単な事にずっと気づけなかった。
考えてみれば、留年した私を責める人物など、どこにもいなかった。ただ、私だけが私を責め続けていたのだ。

しかし、それに気づいたからといって、自己否定する癖は止まらなかった。
自分の中で折り合いがつけられなかった。

だったらもがくしかない。
自分の中の気持ちを言語化した。

「自分の幸せは自分で探して掴み取る。
他人に委ねたくない。」

「限界まで頑張ってから考える。まだ頑張る余地があるのに弱音吐いてる場合じゃない。自分に甘えたくない。」

「どんな状況でも絶対にブレない軸が欲しい。」

「諦めない、去年の壁を越える。」

「絶対合格する」


どんなに泣きたい夜でも、参考書を抱きしめながら語りかけた。

「私は君を愛してる。だから全部知りたいの。」


その時の私は勉強することで自己肯定感を保っていた。

「勉強することだけが私の希望
私の精神安定剤」

「問題解く度に自分の頭の悪さに悔しくなる。けど解けるようになった瞬間は自分のことを肯定してあげられる。」

そうして、もがき苦しみ身体を壊しながらも
勉強だけは手放さなかった。
その結果、去年落ちてしまった試験に合格する事ができた。すると、厳しい自分からの攻撃がピタリと止まった。

私は負けなかった。
自分自身の努力が自分を救った。
私を救えるのは私しかいなかった。

こうして
逃げたい自分VS厳しい自分
の戦いは幕を閉じた。

この戦いで得たものは
自分と本気で向き合う時間だった。


その後は、
極端な自己否定は止まったものの、しばらく虚しさが広がっていた。
この時はまだ完全に自分を愛せたわけではなかった。

それでも、これは始まりだった。

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