幼少期のズレと孤独
私は幼少期から「変わっている」「変人」と言われ続けた。
幼少期の時、私は全く人と話さず、全く笑わない人間だった。周りの人から「声を1度も聞いたことがない」と言われるほど。
私自身は自分以外の人間に関心がなく、いつも1人でいる子供だった。
親がそれを心配し、同い年の子供がいる家に連れて行ったりして、周りと仲良くするように促した。
しかし、私はそれを拒んだ。
みんなの輪に入ろうとするとチクチクと刺すような腹痛がして、動けなくなるからだ。
親には大袈裟で嘘をついていると思われた。
しかし、これが全ての始まりだった。
それからも中学生頃まで、友達が1人も居ない子供だった。また、嘘をつくという概念がなく、何でも正直に話してしまうので周りからも浮いていた。
同じクラスの女の子が「私たち友達だよね?」と言ってきた。その女の子とはクラスが同じというだけで、あまり話したことのない子だった。私は迷わず「違う」と言った。
するとその場の空気が固まったような気がした。
今思えば、世間の暗黙の了解というものだったのかもしれないが、当時の私にはなぜ妙な顔をされたのか理解できなかった。
そして、高校生の春。
私は世の中に対する違和感を俯瞰し始めた。
学校という狭い世界では「友達がいない=悪」という価値観が存在していた。
また、親からも「友達ができるといいね」と言われた。
私はやっと世間のルールを理解し始めた。
世間と自分がズレていることは感じていたが、明確なズレがずっとわからなかった。
そのズレを認識した時、私は深く傷つき、ズレている自分を恥ずかしく感じた。
そして、そのズレを隠すために私は別人になる事を決意した。
私の隠せない個性はそのままにし、それを面白おかしく表現することで「変わってて面白い天然キャラ」としてクラスに溶け込んだ。
世間は「変わっている」ということに対して悪意を持つ訳ではない。「理解できないもの」に対して恐怖心や嫌悪感を抱く。
それなら、「わかるように伝える」という方法しかなかった。
だから私は自分という個性を、世間と同じ目線で観測し、「自分自身をネタにする」という生存戦略を実行した。
しかし、それは同時に本当の自分を傷つける行為に過ぎなかった。周りに溶け込むという代償に私は自分自身を見失い始めた。
「今笑っている私は本当の自分なのか?」
「なぜ笑っているのか?」
「でもみんな笑っているから笑っておこう。」
と自分の違和感を無視するようになった。
そんな高校生活の中でも熱中できるものは存在した。
それは、数学、化学、物理、生物。
これらは私を救ってくれた。
この科目に共通するのは「答えが明確」という点だった。問題を解いてる瞬間だけは、世間の目を忘れ、自分に集中する事ができた。
さらに、周りの女子たちは理系科目を苦手とする者が多く、私に「試験前のヒーロー」として活躍の場を提供してくれた。
私自身もクラスメイトに勉強を教えることで、自分の愛してる世界を堂々と発表してる感覚を味わい、とても誇らしい気持ちになった。
その頃にはクラスメイトからの私の愛称は「ダンゴムシ博士」「化学オタク」となっていた。
そして、素粒子に出会ったのも高校生の時だった。
私は化学を勉強する中で、元素にとても強い関心を抱いた。暇さえあれば周期表をノートに書くくらいには。
この多様な世界が「元素」という小さい物で構成されていることに感動したからだ。
そして毎日、本屋さんや図書館に行き、元素に関係する本を読み漁った。
そんなある日、ある1冊の本が目に入った。
素粒子物理学者の多田将さんの「すごい実験」という本だった。
この本で「素粒子」というものを初めて目にした。
私は素粒子について調べ尽くした。すると、素粒子とは中性子や陽子を構成する、さらに小さい粒子だということを知った。
高校では「元素が世界の最小単位」だと教えられていたが、本当の最小単位は「素粒子」だった。
それからというもの、私は素粒子について知りたくて知りたくて、高校の化学の先生に質問しに行った。すると、思っていたのと違う反応で返された。
「高校生で素粒子を学ぶ必要はない」と。
私はガッカリした。
そして、自分の知りたい情報は自分で手に入れるしかないことを学んだ。
ひたすら図書館で素粒子の本を借り、それをコピーしてノートに貼り、内容をまとめ、独学で「研究ノート」を作成した。
他の同級生には驚かれたが、生物の先生には「ここまで目をキラキラさせながら素粒子の事を語る人は初めてだ」と言われた。
この時初めて、自分の中にある暴れ出しそうな強い好奇心が他人によって肯定された瞬間だった。
なぜなら親ですらも私に対して「変わってる子」というレッテルを貼り付けるだけだったから。
その後、私は大学に進学した。
正直、素粒子物理学部と薬学部で迷ったが、家族の後押しもあり、安定性のある薬学部に進学した。私が愛した「数学、化学、物理、生物」は薬学部でも活きると考えた。
しかし、薬学部での勉強は甘くなかった。
私は学ぶことは大好きだが、要領の良いタイプではなかったからだ。
高校の頃から公式1つ覚えるのに対しても、なぜその公式が成り立つのかまで理解しないと、納得できない性質だった。数学の公式の成り立ちを職員室まで聞きに行き、理解できないと泣いてしまうような生徒だった。
薬学部での勉強は圧倒的に量が多く、そのやり方では通用しなくなっていった。
何も考えずただ暗記すればたしかに点は取れた。しかし、その勉強法は自分を裏切るやり方でもあった。
そこに苦しみ、莫大な量の情報がひたすら流れてくる授業に焦りを覚え、勉強から逃げたくなった。それでも4年生までは何とか進級する事ができた。
しかし5年生に進級する時、試験に落ちてしまい、留年が確定した。
私はそこで生きる気力を失った。
頭には色々浮かんだ。
「素粒子物理学部へ進学していれば、1つの事を深掘りできてこんな事にならなかったかも」
「薬学部は広く浅く覚える事を重視しており、私に合っていなかったのかも」
「自分の不甲斐なさや要領の悪さが大嫌い」
「勉強ができなかったら私に何が残るのか」
そして、私は自ら命を絶とうとした。
しかし、警察に通報され、それは未遂で終わった。
私は薬学部の高い学費を無駄にしてしまった事で自己嫌悪に陥った。
そして、警察にもメンタルクリニックに行くように言われ、医者に相談した結果、半年間だけ「休学」する事にした。
「休学」という選択により私の自己肯定感はさらにどん底まで落ちきった。
しかし、無気力感と同時に「このまま何もしなかったらもっとダメになってしまう」というもう1人の自分が現れた。
それに突き動かされるように私はアルバイトに勤しんだ。なんとしてでも留年した分だけでも学費を返そうと。私は毎日働き、300万円を貯めることができた。
そして、「復学」を決意した。
このままでは終われなかった。
復学後、私は今までよりも勉強に励み、睡眠時間を削ってでも勉強する事に全てを費やした。
いつも頭の中では厳しい自分が見張っていた。
「まだやれる」
「弱音吐いてる場合じゃない」
「勉強以外のすべてを捨てろ」
「何を切捨ててでも前に進め」
「強くなれ」
それにより私はこう考えるようになった。
「努力することを辞めたらそれは人生から逃げることになる。今諦めたら一生そうやって生きていくことになる。それだけは絶対に嫌。」
そして泣きながら叫んだ。
「それでも大っ嫌いな勉強を愛したい」
私の再構築は、ここから始まった。
